4B 2022/05/11版
第4回 参考資料
歌麿「ポッピンを吹く女」(1792~1793年)
紅摺絵 石川豊信「二代目瀬川吉次の石橋」(1750年)
錦絵 石川豊信「二代目瀬川吉次の石橋」(1750年)
錦絵 月岡芳年「新撰東錦絵」「一休地獄太夫之話」
鈴木春信 見立菊慈童「一休地獄太夫之話」
鈴木春信「中納言朝忠(文読み)」
鳥居静長「美南見十二候 九月 漁火(いざよう月)」 天明4年
鳥居静長「吾妻橋下の涼み船(あづまばししたのすずみぶね)」
鳥居静長「「六郷の渡し 左」
「寛政三美人」 歌麿画
歌川国政《三代目市川八百蔵の梅王丸》 寛政8年(1796)
歌川国芳「がしゃ髑髏」
こうやって、俗芸術のひとつとして「浮世絵」を見てから「萌え絵」を見れば、案外、遠くないというか、親和性が認められるのでは?
デジタル・コスメ、プチ整形も、浮世絵の美人画と同じく、個人の特性よりも、様式美が優先的な要素とされるアゲ嬢のみなさん。
D 浮世絵
D-1 歴史と概要
浮世絵は人物画ばかり。風景画は江戸末期に登場。
歌舞伎役者(イケメン)、庶民の女性(ギャル・アイドル)が表象の対象。童顔、童形、セクシーだけどカワイイ、ようするに、萌え絵、アニメ画と共通。
・紅摺絵から錦絵へ
創生期の紅摺絵(べにずりえ)は、2〜3色のみだった。
のちに多色擦り(8色擦り)の錦絵(にしきえ)になった。
錦絵誕生以前の色摺版画。墨摺絵に紅色や緑色、また黄色などを加えたもので、何れも原色のままで複雑な色あいは出していない。
しかしそれまでは墨摺絵に手で色を施すしかなかったのが、版木に「見当」をつけることにより、版木を使って色を加える木版画の製作が可能となった。
紅摺絵は紅を主として緑色、または黄色を用いたので、通常は2色か3色のものであったが、後にはやや進んで4色5色を用いるようになった。しかしだいたいは紅色が主体なので、これらをも紅摺絵と呼んでいる。(Wikipedia)
・錦絵
版元、絵師、彫師、摺師四者の分業による、木版画浮世絵の完成形態。
大小暦((自作カレンダー)の交換ブーム(1765~1768年明和期)に制作された版木を絵双紙の版元が買い取って市販用の一枚絵に転用して発売したのが始まり。
色鮮やかなそれらの絵は当時輸入されていた中国の織物ー蜀江錦(しょこうきん)のように美しいことから錦絵と呼ばれた。(Wikipedia)
D-2 太平の時代のヒーロー、ヒロイン、芸能、アイドル、イケメンの肖像画、二次元化された現実(ゴシップ)
・浮世絵の題材画題は次に挙げるカテゴリーに分別できる。
一般的な庶民 〜小町(美しすぎる町娘)
遊郭の遊女 〜アダルト系(?)アイドル +春画
浮世絵のスター 〜芸能、アイドル、ブロマイド
ゴシップ的事件 〜悪党、任侠、仇討ち‥
娯楽小説の場面など 〜劇画化
風景(名所絵)や花鳥図 〜江戸の後半期に登場
・小町アイドル 江戸の美人画(女)〜会いに行けるアイドル的な町娘の肖像画
現実に向ける眼差し。
一般的な庶民 ー小町(美しすぎる町娘)
・美人画の様式 ~見るために奇想された様式としての身体>もえ絵
ウリ型の顔
細い線で描かれた目鼻口
小さな手足
注視される無防備な身体
〜鈴木春信(すずき はるのぶ)〜豪奢で可憐な美人画:幻想的
〜鳥居静長(とりい きよなが) 〜大柄で成熟した若者:スーパーモデル型
美人画 アイドルとスター
次々と出版される現代のアイドル写真集と同じく、浮世絵はアイドルのグラビアとして機能していた。
浮世絵の人物表象の特徴を以下にあげてみる。
●個人より衣装に感心を寄せる図像
小町であっても細目の黒髪…
更紗(さらさ)の着物 →えのぐ染め →友禅へ
●衣装と共に姿勢(しなやかさ)を強調
湯女図、遊郭の遊女など
●優雅に変形(デフォルメ)された
●女性的な要素が強調される
隠し撮りのような構図(人物と視線があわない)〜見られるための美女
観賞用の身体性 ~オタク的
●大首絵という三等頭キャラ
マンガ、LINEスタンプ、イラストに等しい。
芸能スター 歌舞伎役者 〜イケメン
浮世絵における美人画(人物)の様式とは、見るために奇想された様式としての身体であり、現代のもえ絵、アニメ絵と共通する。異なるのはタッチ、美しさに対する趣向といえる。
芸能、アイドル、ブロマイド、グラビアといった消費系エンターテイメントの性質が近い。それは現代のタブロイド誌、カストリ雑誌、週刊誌、ネットニュース、インスタグラム的なものにも親和性が伺える。
げぜん・ビラン・任侠、犯罪のポスター
●娯楽小説の場面など
EX: 歌川国芳 水滸伝 江戸の劇画コミック・ヒーロー作家
風景(名所絵)、花鳥図
*省略します。
D-3 漫画化—日本的美意識の完成、江戸庶民のプリントメディア
・現代に連なるマンガ、アニメ的即時性エンターテイメントの完成
大衆都市江戸の庶民のために、安価で発売された色彩鮮やかな二次元メディア、浮世絵は漫画カルチャーの始まりのひとつである。
江戸の文化は妄想的二次元(イメージ)と、庶民がいきかう場末(ストリート)の先に広がるような三次元の両方で成立したハイブリッドなイメージの文化であった。
浮世絵は、理想の女性像を追求して常に同じイメージを生成し続けた。それは「カワイさ」を追求する現代的な日本の美学と親和性をもつ。
平成以降の時代も、(我々が浮世絵の女性像がどれも同じに見えるのと同じように、未来人が現在の日本の身体イメージ=女性像を見るときにそうでるように)均一なイメージとして、違いが認められないのではないか?
歴史上の神や女神のイメージの追求と模倣がそうであったように、信仰としてのカワイイが、江戸時代に成立していたという捉え方も可能であろう。
*現代のリクルートスーツの均一化がそうであるように、日本における学園幻想と帰属意識による同化作用は、ヤンキー的思考、あるいは竹槍思想と、同等の美意識なのかもしれない。
草双子 ー黄表紙
草双紙(くさそうし)とは、江戸時代中頃から江戸で出版された絵入り娯楽本、赤本・黒本・青本・黄表紙・合巻の総称である。この「草」は、草競馬・草相撲・草野球などの「草」とおなじ「一般の〜」という意味合いを含むものである。絵草紙・絵双紙・絵本とも呼んだ。各頁の挿画の余白に平仮名の説明を添え、童話から始まり、次第に成人向けに進化した。
wwwwwww 草!
黄表紙(きびょうし)は、江戸時代中期の1775年(安永4年)以降に流行した草双紙(一種の絵本)のジャンルの一つ。
恋川春町の『金々先生栄花夢』(1775年刊行)が、それまでの幼稚な草双紙とは一線を画する、大人向けの読み物として評判になった。
それ以降の一連の作品を、のちに黄表紙と呼ぶようになった。1冊5丁で、2・3冊からなるものが多い。毎年正月に刊行されるのが通例であった。なお、朋誠堂喜三二、恋川春町の「文武二道」を冠する黄表紙は、松平定信の文武奨励策を風刺したものとして、幕府から圧力を受けた。
山東京伝の洒落本・黄表紙も摘発され、京伝は手鎖50日の刑を受けた。黄表紙の挿絵には多くの浮世絵師が参加しており、他に北尾政美、歌川豊国、玉川舟調、喜多川歌麿、鳥文斎栄之、鳥高斎栄昌、葛飾北斎らがこれらの挿絵を描いていた。文化期頃から敵討ち物が全盛となって長編化し、合巻というジャンルに移行した。
『金々先生栄花夢』からも知られるように、黄表紙の筋書き自体はたわいもないような話であるが、言葉や絵の端々に仕組まれた遊びの要素を読み解くことに楽しみがあった。ふきだしの様なものが描かれるなど現代の漫画に通じる表現技法を持っていた。
(wikiより)
奇異表紙の資料は、Aのページの「うがち」と「見立て」のF-3を参照してください。
E 日本の社会的身体
E-1 和服、かみしも(裃):中身がない張りぼて衣装による威嚇
EX:かみしも(裃) ~自分を大きく見せる 中身がない張りぼて衣装による威嚇。
着物は不思議な衣装だ。上から羽織り、下に垂らしてして着る。
まるで、人事態のの存在よりも衣装(文様、柄、着方)の方が存在を放つ。
E-2 烏帽子(えぼし) から リーゼントへ
+
=
⬆️
中世の時代、庶民でさえ寝るときも烏帽子を被っていた。人前で烏帽子が落ちるというのは、死ぬほど恥ずかしいことだった。
江戸期になると、髪形が一変。
地毛で烏帽子をつくるような髷(まげ)になる。女性も同様に結いの髪形になる。
明治期になり髷が禁止される。
↓
昭和期(戦後)になって、アメリカ文化(リーゼント、ポマード)が入ってくると、旧日本文化を尊ぶ無自覚な風潮が起きた。
GIカットやリーゼントなど、戦後に押し寄せたアメリカ文化
の洗礼により成立したアメリカの模倣とアレンジによるハイブリッド、またはキメラ的なヤンキーファッションとしてのつっぱりヘア—
中国の「人民服」と同じく、昭和戦前まで日本にも「国民服」と呼ばれた制服、あるいは標準服と呼ぶべき衣装があった。
日本の国民服の帽子は烏帽子をモチーフとしたもので、いかに烏帽子にナショナリティー的趣をよせていたかが伺い知れる。
傾き者の茶筅髷
このような髪形が変化していく過程は、戦国時代に戦争に明け暮れる武士が烏帽子をやめて、茶筅髷(ちゃんせんまげ)と呼ばれる、髪形を取り入れたといったのもちょんまげ成立要因のひとつと考えられる。