禍ツ天彗のゴヲスト・パレヱド

河葉之狐ラヰカ:回線工事中につき読み専

【序】月白の妖狐

序幕 初夏、或いは夏の終わりの影

 あれは確か、七歳の頃だ。

 幼い妹は受け入れ先の病院が見つからない難病を抱えて、かろうじて見つけた大学病院で莫大な金額が必要となる生命維持装置を取り付けて延命していた。けれど娘のためならと意気込んでいた両親は入院三ヶ月が過ぎる頃には金銭のことで夫婦喧嘩が絶えなくなり、妹をどうにか処分・・しようというおかしなことまで共謀し始めた。

 初夏、ロッカーにあった自衛用拳銃を握って両親の寝室に入り、射殺した。まずは父の左胸と頭部に二発。銃声で飛び起きた母の頭に三発。四〇口径の拳銃弾は両親の命を奪い去った。

 それから記録していた両親の会話などから妹の身の安全を保証したが、更生施設にいる間に妹は限界を迎えて死んだ。

 その時誓った。

 妹のためなら世界を滅ぼしても構わないと。

 妹にもう一度会うためなら、なんだってしてやると。


×


「心配性なんだよ、ったく」

 エレフォンのメーラーに来ていた級友からの「今日、なんかちょっと変な暑さじゃない?」というメールに漆宮燈真しのみやとうまはそうぼやいた。素直に水分を取れと言えばいいのに、こいつは時々変な言い回しをする。曰く霊感があるとのことだが、そんなおとぎ話を信じられるほどもう子供ではない。創作としては楽しめても、リアリティのある話だとはどうしても思えなかった。

 同時に着信したもう一人の友人からは「明日どうする?」と既に遊びの文面。燈真は手早く「そろそろ学校だし、ゆっくりさせろ」と返事を打った。学校からの課題は出ていないが、だからといって勉強をサボっていると家族がうるさいし、私立校で留年など考えたくない。

 そんなことを考えながら歩いていると、ふと視界の端に懐かしいものが見えた。

 吹き抜ける夏風に揺れる銀髪。燈真の髪は、妖怪の血がクォーターの比率で混じっており、父の遺伝が強く出てしまったが故に母と姉は黒髪なのに自分は銀髪というものだった。小さい頃は家族で似ているはずの髪の色や目の色が姉や母と違うせいで、周りからこそこそ後ろ指を刺されたりして、それが理由で少し荒れた部分があった。今となっては、あまり気にしていないが。

「神社……ねえ」

 夏休みも残すところあと数日ほど。学校から出されている課題は作文だけで、そんなものはとっくに終わらせていた。自己裁量制の課題しか出さず、私服登校も可能な傍目には不良校っぽく見られる地元の私立校に通う燈真は、友人と遊んだ帰りの夕暮れに、小さい頃はそこそこ頻繁に来ていた神社の前を通りかかった。

 寂れた小さな神社で、夏や正月には有志が出店を出したりする。都市部では一杯三〇〇葎貨りっかする甘酒も、こういう場所では無料で振る舞ってもらえる。夏バテにもいいというし、明日か明後日にコンビニで甘酒を買おうかと考えていた。以前はしょっちゅう飲んでいたが、近頃ではすっかり飲まなくなった。

 ここへ最後に来たのは小学生の高学年くらいか。記憶にある神社はもっと大きかった記憶があるが、はっきりとは思い出せない。随分と寂れてしまい、朱漆塗りの鳥居は今にも崩れそうである。今でも初詣とか、やっているのだろうか。

 手元には備えられるものはないが、小銭ならあるし、参拝くらいはしておこうかと思った。オカルトなんて信じていない、といいつつも神に祈りを捧げるのは裡辺人、そして本土の大和人特有のアニマリズムに寄った神秘主義、都合のいいことにしか目を向けない国民性の現れだろうか。

 燈真はそのまま爪先を神社に向けて、鳥居の前で頭を下げてから階段を登る。神社だとか、お寺だとかのマナーに関してはあまり詳しくないが、入るときと出ていくときは頭を下げるとかなんとか……というのはなんとなく覚えていた。正しいという確証は全くないし、マナー講師を自称する素人が適当なことをそれらしく発信するせいで、本来の意味が失われるケースも多い。ああいった輩は、燈真と、そして父が悉く嫌うものだった。軍人である父は「何が了解は敬語ではない、だ。ふざけやがって」などと、酒を飲むと毎回愚痴っている。

玉津たまづ稲荷……だっけ。昔狐見たんだよな……今でもいるのかな」

 裡辺地方にいる狐は北海道から渡ってきた──正確には、裡辺地方の動物園で飼育されていた大量のキタキツネが独立戦争の混乱で脱走し、野生化した──ものの亜種で、リヘンギツネと呼ばれている。毛皮の厚みと毛量が極めて多く、「毛玉みたい」などとも言われている。俗にいう『モフみが凄い』というやつだ。

 神社に入ると古い記憶と重なる景色に、懐かしさを抱いた。けれど境内には人影はない。覗いてみても社務所にも人はおらず、御朱印一枚三〇〇葎貨の文字が書かれた紙が寂しく風になびく。

 財布から五葎貨玉を取り出して、賽銭箱に投げ入れた。鈴はなく、鳴らせない。老朽化して危険なので、自主的に取り外した感じだろうか。なけなしの知識で二回腰を折る。それから柏手を二回打った。拍手、というものが訛った言い方だとオカルトライターをしている姉が言っていた記憶があった。特にこれといって願うことはないが、とりあえずは友人と家族の身の安全を祈る。それからもう一度だけ頭を下げて、ゆっくりと踵を返し、

「……ん、」

 傍の、おそらくは御神木であろう大樹の影に何かがいた気がした。稲わらのいは左綯いで、神聖なものであろうということがわかった。これも姉の入れ知恵である。

 さっきの陰は……野良犬かなにかだろうか? 半世紀前、正確には五三年前の独立戦争の際、ペットの多くが主人を失って路頭に迷った。その末に野生に還ったものは多く、また、中には裡辺の土地の特有の妖気で変化(ある意味では適者生存における進化だろうか)したものもいた。

「……下手に関わるなって母さんは言うけど……ほっとくのも……」

 燈真は動物好きだ。ペットは飼っていないが、しかし八歳の頃までは雑種の犬を飼っていた。寿命で死んでしまった時、姉と二人で十日以上も酷く落ち込んでいたことを今でも覚えている。

 見るだけにしようと決めて御神木に近づくが、すぐに「キッ!」と悲鳴が聞こえて、心配になった燈真は興味本位で注連縄が巻かれている御神木の後ろへ急いで回った。

 と、そこに。

「っ、……!」

 何か、……そう、言うなれば『鬼』ともいうべきものがいた。

「、ぁ……」

 それは野ネズミと思しきものを手に、それを頭から齧って咀嚼していた。大きさは十歳児の子供ほどか。上背は一三〇センチから一四〇センチほどであるが、両腕が異様に長く地面についている。大きな鉤爪は四本で、指のようになっていた。腹は不摂生が祟った中年のようなビール腹で、でっぷりと出ている。頭部には毛がなく醜悪な顔をしており、ひたすらに野ネズミを捕食している。体に比して短い足は、バネの力が強そうに大きく屈折した関節と発達した太ももが特徴的だ。

 妖怪というには、あまりにも人間離れしていた。式神というには、あまりにも邪悪だ。

 なんだ、これ……。

 小鬼は燈真に気づいてこちらを見て、金色の目を細めた。それは弧を描き、三日月状に。まるでもっと大きな獲物がかかったことを喜んでいるような、そんな。

「クソ……」

 ここには自分しかいない。オカルト好きな姉も、皇国陸軍の父もいない。女だてらに腕っ節が強く、父を尻に敷く逞しい母もいない。

 対人、対並妖怪との喧嘩なら負けない自信がある。だが、これは……。

「っ、ぁ……たっ、助けて! 誰か!」

 燈真は叫んで、こけつまろびつしながら逃げ出した。逃げること、助けを呼ぶことは決して恥ではないと父は言っていた。聞いたばかりの頃は恥ずかしいと思っていたが、けれど護身術においては大声で助けを呼ぶというのが最も重要で、そして最も効果的なものだと父から厳しく教えられた。困った時には素直に助けを求める、というのは思いのほか重要で、これができるかどうかで人生の選択肢は変わってくる。

 あくまで一応、ということで身に付けた護身術だが、喧嘩が強い自分には無縁だと思っていた。けれど、いざおかしなものと、理解の及ばないものと対峙して理解した。

 これは、無理だ。一般人などでは勝てない。

「あっ、ぐ……っ」

 小鬼が足のバネを解放して飛びかかり、燈真の背中に膝蹴りを叩き込む。ぐりっ、とねじ込まれた膝頭の痛みに息が詰まり、勢いに押しつぶされるように転がる。

「はぁっ、ぁ、ふっ、……くそっ、このっ、カマ野郎!」

 慌てて仰向けになって、馬乗りになろうとする小鬼の顔面を運動靴の裏で蹴りつける。人間基準で言えば頭一つ二つ抜きん出た、プロアスリートやプロの格闘家並の膂力で数回ガンガン蹴り付け、怯んだ隙に逃げ出す。

「どけクソが! っ、──誰か、助けて! 誰かっ! 誰かいないのかよ!」

 階段が見えた。転ぶかもしれないが、そんなことを言っている場合じゃ──、


「──〈威吹鬼いぶき〉」


 凛とした女の声。

 気づくと隣に影。それは月明かりのような美しい白さと、高貴でありながらどこか不可思議な紫紺の色を持つ妖狐。

 六本の尻尾を揺らす、和装っぽいような変わった、黒灰色をメインに据えたデザインのなんらかの制服を着ていた。女妖狐は腰から抜いた太刀を抜刀。そのままの勢いで、バンッと空気を叩き割るような音を発しながら振るい抜いた。

 風圧で燈真は膝を折って、慌てて小鬼を見た。斬撃──その衝撃波に巻き込まれたそいつは首が深く切り裂かれて、そこから墨汁のような黒い液体をこぼす。妖狐は追撃を加えんと踏み込み、鋭い刺突を小鬼の心臓へ。引き抜いて大腿部を叩き切って、両腕を落として、周到に首を切り落とした。

 その間、恐らくは一秒も掛からなかっただろう。

 小鬼は軋んだ木材のような苦鳴を漏らして、霧散した。

 妖狐は刀の霧となって消えた墨汁を振り払うように一度薙ぎ払い、鞘に収める。

「よかったわね。私が近くにいて」

 その女は、年上だと思っていたが燈真と同年代か少しだけ上──多分、十七か十八くらいの、二つくらい年上であろう少女だった。

「あ、ありがとう……ございます。俺は、」

「名乗らないで。私とあんたはここで終わり。金輪際二度と関わらずに終わる。あなたにとってはそれが幸せよ」

 そうは言っても、燈真には引き下がれない理由があった。

「軍人の親父から礼儀はしっかり通せって言われてる。将来は俺が父さんや母さん、姉貴を守るし、結婚したら奥さんや、子供とか……ごめん、口下手で。とにかく名前を聞かなきゃ、お礼なんて言えな──。……ごめんなさい、敬語……忘れてました」

「はぁ……軍人さんの子か。……いいわ、あなたの立派なお父様に免じて一度だけ名乗る。……稲尾椿姫いなおつばき

 風が吹き抜ける。落ちていた随分と遅咲きの夏椿が巻き上げられ、その真っ白な花弁が舞った。

「ありがとうございます、稲尾さん。俺は……」彼女は何も言わない。名乗っていいということだと判断し、燈真は名乗った。「漆宮燈真です。本当に助かりました。それで、さっきのって……」

 燈真は椿姫という少女が刀を持っていることなどどうてもよかった。この土地には若くして従軍する者もいる。厳しい審査が必要になるが、愛国者であると判断されれば十代半ば、最低年齢十五歳から従軍許可が出る。もしかしたらこの少女は、そういった類だろうか。妖狐であるならば、妖怪にも人権が認められた土地への愛や帰属意識は強いのかもしれない。ただの人間でさえ、この土地が好きなものは多いし、燈真もその一人だ。

「ええ……そうね。あれは魍魎もうりょうっていう……ううん、なんでもない。とにかくあんたは今、悪い夢を見てると思って。いい?」

「は……、いや、夢も何も、さっき蹴られたとこ痛いし、俺があれを蹴った感触は──」

「他人に話せば、あんたがああなるわよ。わかった?」

「それ、どういう──」

 椿姫は緩やかに、けれどすっと燈真の目の前に。絶世の、傾国といえる美貌と瑞々しい花弁のような、瑞々しい桃色の唇。ドキッとした直後、

「おやすみなさい」

 ドムッ、と拳が腹にめり込んだ。

「っ、ふ……」

 燈真はそのまま意識を手放して、その場に倒れ込んだ。

 椿姫は電子携帯式タブレットエレフォンを取り出して警察へ通報。

「あの、神社にお参りに来たら、多分高校生くらいの男子が倒れてて……はい、あの、私門限があって……一応、屋根とかがある社務所の方で寝かせておくので、迎えに来てもらえますか? はい、はい……では、あとで両親と警察署に向かいます。はい」

 妖狐なのに猫を被った口調で、さながら本当に偶然の発見者のように告げて、通話を切る。椿姫は燈真を軽々持ち上げて社務所の玄関口に横たえると、そのまま跳躍。一般的な人間と比較し、平均して一二〇パーセントほど身体能力に優れる並の妖怪ではあり得ない敏捷性と機動力で神社の敷地から出ていった。その途中でさっきのエレフォンとは違うそれで連絡。

「確認されていた魍魎とは違うけど、多分それに釣られて発生した別個体を処理。目撃されたけど、軍人の子供だし、幻惑術をかけたらから吹聴はしないと思う。けど、警戒はしておいた方がいいわね。……ええ、責任は私がとる。じゃあ、少ししたら戻る」

 白狐は竹藪を越え、消えていった。

 間も無くしてパトカーのサイレンの音が響いてきて、燈真は無事助け出されるのだった。

 警察病院で目を覚まし、そこで落ち着いた雰囲気の腰が低い若い警官と、どこか疑り深いものの理解ある三重半ば近い巡査部長──スーツを着た刑事のお手本のような男、そして母と姉から何があったのかを聞かれたが、燈真はうまく思い出せず、最終的には「まあ、お父様のお仕事もあって、彼なりにプレッシャーがあったのかもしれませんね」といった判断が下された。燈真はその数日後、一度だけ心理カウンセラーと話すケアをして、そうして数日後には新学期を迎えるに至るのだった。

 二学期を迎えた今でも、あれが夢だったのか、そもそも何を経験したのか──うまく思い出せずにいた。

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