第9話 魔物
この世界には魔物や魔獣と呼ばれる生物が存在する。
妖魔、魔獣、モンスター、魍魎――そういった『魔物』と総称されるというのは遠い昔に異端の魔女が異世界から呼び出した怪物の総称であり、先天的な本能で人を襲う習性を持った危険な生物だ。
人々はそれを制御する術を探したが、結局は無理だという結論に達した。
しかし魔法技術――魔術の発展により薬品調合が錬金術と形を変えてから、薬物による
例えば迷路にネズミを入れ、餌で誘導してゴールまで導く。これを何度か繰り返すと、ネズミは勝手にゴールへ向かうことが可能になる。
これを人間に応用すると、敵が見えた途端反射的に発砲し、敵の殲滅率を上げられるという効果も期待できた。最も、その後に起きるシェルショックなどの神経症のアフターケアを考えると、とても実用的とは言い難い。
それはともかくとして、魔物にもこの条件付けが可能であり、人々は様々な薬効効果を持った香を焚いたり薬品を散布したりして魔物を遠ざけ、繁栄を手に入れた。
そして当然、魔物を上手く飼いならそうとする者も現れる。
「ロゼ、安全な位置から狙撃を。僕は前に出るので。危なくなったら下がるんですよ。いいですね。あと無駄撃ち、誤射はしないでください。銃弾程度で僕は死にませんが、痛いので」
「はい」
獣脚類のような外見の、発達した後ろ足二本で歩行するようになったワニというような具合の外見をした、紫色の外皮を持つ魔物――デオノスが氷の上を進む。
レンは防寒着の上から啖器――蒼黒い大剣を形成する。左目の白目部分が黒く濁り、さらにモナド強化をかけて全身から蒼い燐光を発する。
魔術は魔力を様々な現象に変える行為であり、魔力がなければ、或いは魔力を上手くコントロールすることができなければ魔術は扱えない。
しかし魔力となる元素である魔素は大気中に遍在し、そして魔力のコントロールなど子供でも学べる。その技術が独占されていた頃は魔術師はありがたがられたが、今では小学生でも魔術を扱えるほどだ。
つまり魔素さえあれば、無限に魔術を扱えるということだ。
しかし人間の体は魔力を循環させるには繊細であり、疲労を覚え、限界を迎えれば魔術を扱えなくなる。
けれどレンは半魔人。常人を遥かに超える肉体を持っている。
ドン、と音を立ててレンは疾駆し、目の前のデオノスの口の中へ大剣を捻じ込む。そのまま真下に振り抜き、腹まで捌くと、臓物と血肉を撒き散らせながらよろめくそいつを蹴飛ばして横から飛び掛かって来る一体に狙いを定める。
目撃者が出るかもしれないが、別に構わない。レンは半魔人であることを隠してはいないのだから。
突っ込まれると面倒なので余程のことがない限り公衆の面前では使わないが、いざとなれば躊躇いはない。リーグの保護を受けている、という理由が最も大きいが、ゼノさえ殺せれば社会的に死のうが生きようが知ったことではない。
鋭い爪の一撃を大剣で弾き、左の上段回し蹴りを繰り出す。鋼鉄仕込みの靴。レンの脚力が合わさればそれは最早戦鎚であり、デオノスの頭は熟れた果実のように吹っ飛ぶ。
散発的に響く銃声から、ロゼも戦っていることがわかる。
一体が地面を蹴立てて大口を開く。レンは左のアッパーカットを打ち込み、仰け反ったところの喉へ剣先を入れ、股間まで斬り下ろす。ばしゃ、と吹き出る血はレンを染めない。防御のために体表に沿って薄く張っている障壁が弾く。これがレンの蒼い燐光の正体だ。
と、奥から尾を振るデオノスが見えた。
やつらは斧のような尾に生えた棘を射出する能力を持ち、その威力はなかなか馬鹿にはできない。
斥力フィールドを張ってそれを防ぐと、爪先で落ちた棘を蹴り上げ、籠手に変えた右手で掴むと投擲する。
デオノス自身が発した速度の倍の勢いで飛んだ棘は頭部を穿ち、背中まで抉って遥か彼方に消えた。
条件付けという技術自体はここ最近のものだが、そういった行為自体は昔から存在した。呪術とかなんとかと言われる怪しげな儀式がそれだ。様々な先住民族は独自の方法で薬品を調合し、現代の条件付けを古くから行ってきたのだ。
それと同じことをクレアキア島の先住民がしていたのか、それともネルソン側から方法を学んだのかは知らないが、とにかく連中は魔物を操る術を持っているということだ。
一体のデオノスが跳躍し、その勢いを利用して尾を叩きつけてくる。レンは右足を引いて体を反らすとその攻撃を躱し、大剣で頭部を斬り落とす。
レンの啖器による大剣は重量と勢いで叩き斬ることに特化したもので、サーベルやなんかのように滑らかに斬ることを前提としたものではない。しかし刃が鋭いことに違いはなく、それをレンの力で振るえば、首を落とすことくらい造作もないことだ。
敵の勢いが失速し始め、数も減りつつある。だが逃げる様子はない。やはり条件付けされているのだろう。野生の魔物であれば、危機に陥れば、或いは勝てる相手ではないと悟れば逃げていくものだが、その様子がない。
レンは大剣を振るい、迫る魔物を斬り伏せていく。
ときには左の拳が振るわれ、蹴りが連動し、凄まじい膂力が唸りを上げる。
と、そのときだった。
「…………?」
魔物がぴたりと動きを止め、それまで飢えた獣のように暴れていたそいつらが突然踵を返した。
(これも条件付けですか……いえ、犬笛のようなものでしょうか)
犬笛は人間の可聴域を超えた周波数帯で発せられる音であり、人には感知できない。どこかから発せられたその犬笛が魔物を引き揚げさせたのだろうか。
この経験は初めてではない。薬品で催眠状態に陥れ、一定の音を刷り込ませて突撃と退避を覚えさせることは可能だ。
レンはひとまず戦いは終わったと思い、大剣を解除した。黒い白目が元に戻る。
「大丈夫ですか、レン」
「ええ。怪我もありません。そちらは?」
「問題ありません。……それより、なぜ魔物は退いたんでしょう」
「僕らに敵わないと思ったからか、或いはどこかで手が足りなくなったということでしょうかね。恐らく、シルヴィたちが暴れているんでしょう」
三つ揃いの上から着込んだコートの上から二の腕をさすりながら、レンは言う。
「とにかく先へ進みましょう。この先に総督府を持つ町があります。そこへ行けば、シルヴィたちと合流できるでしょうし」
「わかりました」
ロゼはスリングで銃を背負う。レンはロゼ同様、背中に背負った背嚢のベルトの位置を直しつつ、歩き出した。
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