第5話 冬の獣

5:冬の獣



 冬の獣は怒号を上げると、一直線にレンへ突進してきた。それを見て臆するでも逃げるでもなく、レンは泰然自若と構えて拳を腰に引く。


 蒼黒い啖器に覆われた拳を突き出し、その正拳突きが獣の顔面に炸裂する。


 鼻梁が砕かれ、牙がへし折れて顔が潰れる。五メートルを超す巨体が体格差など比べるべくもない矮小な人間に吹き飛ばされ、転がっていく。


 地面を転がった獣は即座に立ち上がると、口腔をカッと開いて氷のつぶてを含んだ息を吐き出す。生臭さを感じながらレンは障壁を張り、そのまま前進。つぶてが食い込むたびにフィールドが波打ち、ところどころにひびが入る。


 徒手の間合いに入った。レンは啖器を大剣に変え、刺突を放つ。


 獣は器用に反転するとその一撃を躱し、尾を叩きつける。障壁は間に合わない。


 レンは大剣ですぐさま尾を防ぐと、足で踏ん張った。だがそれでもなお人間だった頃に比べ遥かに威力が跳ね上がっている一撃に姿勢を崩されそうになる。


 とにかく踏ん張り、大剣を薙いで尾を斬り裂くと、素早く下がって繰り出された後ろ足の蹴りを避ける。


 空を切った足に斬撃を浴びせ、血飛沫を無視して腹の下に入った。


「シッ!」


 下段から擦り上げるように剣を振り上げ、刃を腹に食い込ませる。切っ先が表皮を裂き、そのまま人外の膂力を発揮して横倒しにする。


 しかし獣は倒れた勢いを利用してすぐに反転、前足をレンに振るった。


 回避もガードも間に合わない。


 奥歯を噛み締め、その衝撃と痛みに耐える。


 水切り石のように地面をバウンドし、停めてあった蒸気自動車に叩きつけられた。タンクからこぼれた水が凍り付き、地面に縫い付けられる直前に跳ね起きて獣を視界に収める。


 流石に伝説になるだけあり、完全体にほど遠いその状態ですら、レンをして強敵と認めざるを得ない力を秘めている。


 獣は口腔を笑うように持ち上げる。


「クク……隻眼。隻眼のハンター。思い出したぞ。お前がレン・クローゼルか」


「…………」


「帝都で暮らす裕福な医者の家系に生まれ、両親の狂気の実験で半魔人となり、妹を帝都警察に奪われた……そして異端者が集まる帝都はフランソワ大学に入り、そこですら退学を余儀なくされた劣等生」


「随分とお詳しい。その通りです」


「復讐か」


「ええ」


 冬の獣――エドウィンは笑う。


「なら俺と来い。このローゼスだけでなく、帝国――いや、アルヴンウォーク大陸全土に血の雨を降らせてやろう。お前の望みだろう?」


「僕は復讐をすべき相手をたがえません。邪魔をされれば容赦なく斬り捨てますが、そうでないのなら手を出すつもりはありませんから」


「くだらん。全ての人類は――」


 獣が四肢をたわめ、


「――敵だ!」


 地面を蹴る。


 なんの工夫もない正面突撃。レンはそれを、両腕・・を啖器の甲殻で覆い、籠手を形成すると頭を抑え込み、踏ん張る。


 踵が石畳を砕いて擦過。レンの侵食フェイズは最大のⅤ。魔人としては究極体だ。しかし普段使える力はよくてⅠからⅢ程度。現在はⅡほどだ。それ以上フェイズを引き上げると、コラテラルダメージは大きく広がる。それこそ無関係の人間が、息をするように死ぬ。


「どうした。その程度か? ん?」


「お手」


「あ?」


「お手すらできない犬なんて、駄犬もいいところですね」


 レンの振りかぶった拳が冬の獣の顔面を打ち据える。ズン、と沈み込んだ一撃は波打つようにして鼻面から尻まで抜け、獣はそれこそ犬のように鳴きながら転がる。


「レン……」


「ロゼ。大丈夫ですか」


「……帝都警察の魔術師に……警察我々に妹を奪われたという話は、本当なんですか」


「本当ですよ」


「なら……! どうして私を助けたんですか! 一度ならず、二度までも。あなたに、正義なんてないんでしょう。私を助ける理由なんて……どうして、あなたをあれだけ疑った私を、」


 レンは黒く染まった左の蒼い瞳をロゼに向け、


「正義はなくても、作ることは出来ます。僕はそれを放棄しましたが、他人の正義を壊すつもりはありません。あなたに正義があるというのなら、その手で形にすればいいんです」


「自分で……作る」


「作るのが難しいのなら、誰かの正義に従うというのも手です。ですがそれはおすすめできません。もう学んだでしょう。警察は……少なくともあなたの上司は、汚れていた」


「………………」


「今一度、お考えを。あなたの人生です。僕にできるのは、僕の人生経験で得た情報を提示することくらいです」


 冬の獣が起き上がる。


「聞くんじゃない、ロゼ」


「エドウィン……様」


「ああ、可哀想なロゼ。ご両親を強盗に殺され、弟を誘拐され、それでも正義を信じた法のしもべよ。君の魂は高潔で、美しい」


 ロゼは握った拳銃が、まるでとてつもない重量を持っているかのように提げたままで、それは動かない。


「君こそ俺の伴侶に相応しい。着飾っただけの底の浅い女どもとは違う。俺と来い。法を犯すもの、犯そうとしているもの、そして正義を穢す愚か者に我々が鉄槌を下し――」


 撃鉄を起こし、ロゼは拳銃を構えた。――エドウィンに向けて。


「……なんのつもりだ」


「正義があるのか、ないのか。それはわかりません。ですが……あなたは間違っている。それだけは、わかります」


「愚かな。その半魔人の言うことを信じるのか!」


「いいえ。これは――」


 トリガーガードから引き金に指をかけ、遊びを取る。


「――私の、意思です」


 撃発。火薬が爆ぜ、弾丸が飛び出す。雪を蹴散らして飛翔したそれは大気に空洞を穿ちながら一直線に進み、冬の獣の右目を貫いた。


「ロ、ゼ……ロゼェェエエエエエエエッ!」


 血を振り撒きながら、冬の獣が駆け出す。レンはロゼを突き飛ばすと、相手の動きに合わせて拳を振るい、顔面をぶち抜く。


「が――」


「口説けないからって、暴力に訴えるのはどうかと思いますが。女性はそういう男に魅力は感じないのでは?」


 そのまま左のアッパーカットを顎に打ち、左右のコンボを決め、よろめいたところへコークスクリューブロー。体重移動と加速、螺旋運動を加えた一撃が冬の獣を襲う。


 最後の一撃。


「ここがあなたの、――絶死領域デッドアングルです」


 振りかぶった拳を顔面へ叩きつけると、獣は『ざぁっ』と音を立て、粉雪のように散って消えた。


 魔剣を手放したエドウィンは這う這うの体でこちらを睨む。


「化け物……」


「よく言われます。……さて」


「俺を殺すのか。この、俺を」


「それは場合によります」


 レンは大剣化した右腕をエドウィンの喉元に向け、問う。


「銀髪銀目の魔術師を知っていますか」


「……なに?」


「ゼノ、という名前に聞き覚えは」


「ゼノ……は、はは、なにを言いだすかと思えば。そうか、あの男……確かにそう名乗っていたな。ゼノ・グロリアスと」


「答えなさい。やつはどこです」


「知らんね。俺に魔剣の在り処を教え、望むものではないと言ってどこかに消えたよ」


「……そうですか」


「――そこを動くな!」


 と、無粋にも怒号が飛び込んできた。レンは瞬時に啖器を解除し、魔人としての力を抑え込んで瞳を元に戻す。


 振り返ると、複数の警官がいて、周囲を取り囲んでいた。


「この状況を説明するのには、骨が折れそうですね」


     ◆


「大変失礼しました、クローゼルさん。凶悪犯の逮捕にご協力いただき、感謝いたします」


「いえ。貰えるものは貰えたので、構いません。ところで、一つ聞きたいのですが」


「はい」


 あれから二日、延々と繰り返された供述に辟易していたところにようやく終わりが来て、解放されたレンは警察署の不味いコーヒーで汚染された舌を近くのカフェで浄化しつつ、見送りに来た警官に聞いた。


「ロゼ・ギブソン警部補はどちらに? どうせ見送られるのなら、美しい女性にお願いしたかったのですが」


「ああ、彼女なら先日退職届を出しましたよ。まあ、あんな目に遭えば誰だって――」


「――レン!」


 そこに、女性の声が差し込まれた。振り返ると、黒いトレンチコートに身を包んだ金髪の女性。ロゼだ。


「私服で見送りですか? よかったんですか、警察をやめて」


「ええ。これからは、ハンターとして働きます」


「……ハンター?」


「はい。ですので、レン。私に、ハンターの、えーっと……そう、イロハを教えてください」


「あなたのような美人は歓迎ですが、警察でいるよりもよっぽど危険な目に遭いますよ。それをわかっているんですか? 僕についていくのなら、尚更」


「構いません。私なりの正義を見つけろ……作れと言ったのはあなたです。無責任に放り出すんですか?」


「……まあ、そうですね。……いいでしょう。ですが、僕に教えられることなんてほとんどありませんよ。自分で見て盗むか、学んでください。基本根無し草なので、そのあたりも覚悟してください」


「わかってます」


 レンは見送りの警官に「では、これで」と言って背を向けると、歩き出した。


 その後ろをロゼがついていく。


     ◆


 ハンター。


 それは凶悪な犯罪者と戦い、日銭を得る、平時であれば彼らこそが犯罪者になりかねない諸刃の剣。


 彼らが歩むのは――


 ――荊の道。

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