蒼のビレイグ ─ ブライニクル ─

河葉之狐ラヰカ:回線工事中につき読み専

第1話 賞金稼ぎ

 環クレセント海連合帝国北部沿岸の半島、ローゼス領は、一年を通してその土地の大半が雪に覆われている。一説には魔女の呪いとも言われているが、真相はわかっていない。


 そんなローゼス領の最北部の街、ノーズノース市は、喧騒に包まれていた。


 雪かきに勤しむ住民と、雪だるまを作っている女の子。雪玉をぶつけあう子供。現在も昼過ぎなのにどんよりと暗い曇り空からちらほらと白い粒が降り注いでいた。


「なにかあるんですか」


 適度に切った、若干癖のあるダークブラウンの髪をした青年が、露天商の中年の男性主人に聞いた。


「なんもかんも、魔術師様の記念日が近いのさ」


「魔術師――様?」


「おうさ。十八年前にこの街を襲った疫病の治療薬を作って、俺たちを救ってくれたエドウィン様の誕生日さ。もうじきさ」


「魔術師が随分とまあ偉くなったもんですね」


「そういうあんたはなんなんだい。見かけない顔だが。観光かい?」


「まあ、そんなところです」


「そんな怖そうな鉄砲を持ち歩きながら?」


「最低限の自衛手段ですよ。このご時世、せめて自分で始末をつけるくらいの用意はしておかなければなりませんから」


 青年は黒い三つ揃いスリーピース・スーツに、腰には一挺のリボルバー拳銃。旅行鞄を足元に置いて、背中には斜め掛けの背嚢はいのうを背負っている。


「当たりですね……」


 ぼそりと呟いた青年の声に、店主は「なにが?」と聞くが、青年はそれを無視し、


「その魔術師様に是非会って話がしたいんです。ちょっと、そこそこの急用がありまして」


「無茶言うな。あの人は市長ですら首を垂れるんだ。昨日今日来たやつが会うなんて――」


 そこまで店主が言ったとき、それまで全くなかった風が吹いた。突風――というには、少し様子がおかしい。雰囲気が重く、胃がちりちりと痛む。青年の心臓と、風を吹かせた主が共鳴・・している。


「お出ましですか」


 青年の声音は冷淡で、ただ起きる事実、自分が向き合う現実、自分がすべきことをしてやろうという程度の色合いだ。感情に乏しい口ぶりで、そこに正義感があるのかどうか、それを推し量ることは難しい。


「魔人ですね。嫌な波動だ」


 その何気ない一言に、店主は驚いた顔で、


「ま、魔人? それがわかるのか? ひょっとしてあんたも魔術師なのか?」


「いや、大学は出ていませんよ」


 魔術師は大学を卒業して初めて名乗れる肩書だ。なので青年は法的には魔術師ではない。


 直後、風はさらに強くなった。最早それは風ではなく衝撃波である。青年――レンの目の前にそれが落ちたのは、突然だった。


「ヴルルルルグググ……」


 石畳を踏み砕き、それは唸りを上げる。周囲から悲鳴が上がり、人々が逃げ惑いはじめるのだが、中には野次馬もいる。その混乱の中でレンは泰然と構えたまま、平気な顔でホットドッグを齧った。


「フェイズⅠ。大したことはない……かな」


 黒く染まった白目に、赤い瞳。青黒い甲殻に覆われた右腕。それ以外は人間の外見だが、しかし誰がどう見ても異質な存在。


 魔女でも、魔術師でもない、魔道の闇に落ちたなれの果て。


「さて、あいつはいくらするんですかね」


 レンは肩幅に足を広げ、しかし手に持ったホットドッグは手放さない。長旅で腹が減っているのと、食べ物を捨てるのは罰当たりなので、そうしていた。単に食い意地が張っているだけでもある。


「そこを動くな!」


 レンがどう出るべきかを思案していると、警官が蒸気自動車から降りて、リボルバー拳銃を構えていた。職務に勤勉なのはいいが、面倒を増やしてくれる、とレンは呆れた。


 魔人に一般人が勝てる道理は、万に一つもない。拳銃程度で武装しただけの人間など、最弱の魔人であるフェイズⅠにすら、十人近く集まらなければどうにもならないのだ。その半数である五人にも満たない数で、拳銃程度の武装。焼け石に水だ。


「動くな! 貴様は包囲されている! 抵抗すれば罪が重く――」


 ふっと、魔人の姿がかき消えた。傍目には、そう、消えたとしか言いようのない速度。


 魔人は警官隊に突撃すると、まず一人の頭をその異形化した右手で握り潰した。皮膚が裂けて骨が圧潰し、目玉が圧力で飛び出す。耳や鼻、口から脳味噌と思しき桃色の組織が溢れ出した。


 一人が―発砲するが、魔人は右腕でそれを防ぐと、地面を蹴って膝蹴りを打ち込む。顎を砕いた一撃で無力化すると、別の警官の喉笛に噛みつき、頸動脈を食い千切った。真っ赤な飛沫を纏い、魔人は引き千切った肉をむ。


 残った最後の一人は恐怖に屈し、動けずにいる。レンはそれを見て、やれやれと思った。


「魔術師の街なら、魔人の怖さも知ってるだろうに。全く……」


 魔人の腕が警官に伸びる。その警官――金の髪の女性は気丈にショットガンを構え、一発弾丸を放った。


 しかし散弾を硬質化した腕で防いだ魔人にダメージは全くない。鹿や熊すら仕留めるダブルオーバックが通じないことに、彼女は驚きと、そして確実に迫る死に顔をひきつらせた。


 殺される。きっと、そう思ったに違いない。


 振りかぶられた、人間の頭など容易く粉砕する魔人の拳が降り注ぐ。


「…………?」


 死を覚悟した女警官だったが、想像していた痛みはなかった。


「え……」


「さっさと逃げてください。邪魔ですから」


 レンが間に入り、あの馬鹿げた威力の拳を右手で握り込み、防いでいた。三つ揃いの裾が揺れ、涼しげな顔をしている。そしてあろうことかこの異常事態の最中、口に咥えているのはホットドッグ。


 もそもそと咀嚼そしゃくし、レンは魔人の拳を振り払った。


「さ、下がりなさい! そいつは――」


「魔人。侵食フェイズⅠ。人類の天敵で、魔道の闇で、あんたらじゃ束になっても敵わない危険な存在です。三度は言いません。邪魔なので、下がっていてください」


「わかっているのなら――」


「まあ、心配しないでください」


 右手を軽く振るい、レンは魔人を睨む。赤い瞳がこちらを射抜き、その目をレンの海のように蒼い眼光が刺し貫く。


 先に動いたのは魔人。凄まじい加速の、なんの飾り気もない突進。四肢に漲る筋力を考えれば、まず即死するような威力を秘めたそれ。


 レンはすっと左手を前に出した。


 バチン、と雷鳴音。いつの間にか生じていた蒼いフィールドが魔人の突進を防いでいた。


 斥力フィールド。バリアとも結界とも言われる、魔術の基本だ。普通は弓矢を防げれば御の字という程度の防御能力であるが、明らかに砲弾並みの威力を持った突進を防いでいた。


「僕は無才でしてね。この斥力フィールド以外の魔術が使えない」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


「けど、ものは使いようです」


 踏み込む。その足には、蒼い燐光。斥力フィールド――つまり、弾く力。それを肉体に応用し、振動を生んでレンは単子モナドを硬化させ、凄まじい膂力りょりょくを生むという技法を身につけていた。単純な魔術であり、しかしそれ故に弱点が少ない。


「一発で決めますよ。耐えられるものなら、どうぞ耐えてみてください」


 燐光はオーラに変わり、拳がまるで燃えているかのように輝く。


 右拳によるパンチ。子供でも放てる、ただ一発の握り拳。


 その、一撃が。


 たった、一撃が。


 まるで艦載砲の如き威力を発揮する。


 拳が魔人の腹にめり込み、弾丸すら防ぐ皮膚を叩き潰す。腸が破裂し、衝撃波が跳ねまわって骨が砕け、耐え切れなくなった表皮が蜘蛛の巣状にひび割れた。魔人は夥しい量の血をぶちまけながら吹っ飛び、民家の壁にめり込む。


 これでも加減した。それでもなお踏み込んだ石畳は砕け、インパクトで生じた破壊力は周囲のショーウィンドウを破砕していた。


 ただの一発だ。誰でも使える初期も初期、基礎基本の魔術。いや、魔術というにはあまりにもお粗末で貧相な単純な魔力操作のみで、魔人を倒してのけた。


「な──、あ、あなたは……何者?」


 女警官が問う。それにレンは、一枚の紙を差し出して、言った。


「ただの賞金稼ぎハンターです。今回の報奨金は、この口座に振り込んでおいてください。踏み倒したら、出るところに出ますからね」

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