今回説明をする大拍子とは

「棚投げ」

(自分は許されるけど、他人は許されない)

  

以前、スポーツ指導員の講習会(神奈川県主催)

に参加をしました。

   

この時に印象に残っているのが

「よく親が子供に、将来は医者か弁護士になれ、

とか言うけれど

じゃあアンタ(親)は医者か弁護士のどちらだ?」

どちらでもないことが多いという事です。

  

そして綺麗にまとめていたblogを見つけたので

紹介をします。

…それ、子供を壊します… 【親御さんへ】 | 

岩手空ノ手道端で(いわてそらのてみちばたで) - 楽天ブログ (rakuten.co.jp) 

https://plaza.rakuten.co.jp/hamidasim.../diary/202107150001/

            

  抜粋をすると

「それ「アナタ」子供の時できましたか?

または自分が子供だったらできますか?

できませんよね?

自分ができないのにどうして自分の子供はできると思うのですか?」

 

  

私はよく

「自分は良いけど他人はダメ。」

と言う表現を用います。

  

この話で重要な事は、

自分は正しいことを言っている(大拍子)。

でも、自分はその正しいことが出来ない。

平たく言えば

「説得力が無い」

    

一雲先生の伝える、大拍子に世を渡る者とは

「主観的」

になる人物を差し、主観的では無念無想の剣が

現れないことを説明しております。

  

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