364話 不審物
――コンコンッ
「失礼します。先日認可頂いた新しい農場をつくる件で……って、あれ? 若様は?」
「今居ねえぞ」
バッチレー=モーレットは、きょろきょろと部屋を見回した後、シイツの言葉に肩を落とす。
「えぇぇ、結構急ぎの話なんですけど、何処行ったんですか?」
モルテールン領の農政について、現状で最終的な責任を預かっているのはペイスである。
モルテールン家のトップはカセロールで揺るがないのだが、モルテールン領のトップはペイスが代行中。
大戦の再編もあって、一家で一つの領地しか抱えていないというケースも多いため混同しやすいが、領地のトップと家のトップは厳密には違う。
王家のように領地を飛び地で幾つも抱えている家を例にすれば分かりやすい。この場合、ある土地のトップは誰それであり、別の土地のトップは他の誰それ、という風に領地のトップが複数居て、それらを統括するのに王家の当主が君臨するという形になる。
モルテールン家でも、領地運営と家の差配は別物であり、ペイスが領主代行として正式に責任者となっていた。
つまり、ペイスが居ないと仕事が回らない。
バッチレーが苦情を言うのも至極当然だろう。
「俺が知るか」
部下の苦情に対して、相当に投げやりな態度でシイツが吐き捨てる。
「若様のお守りは従士長の仕事でしょう」
「そんな訳あるか。百歩譲って坊にお守りが要るとしても、俺には荷が勝ちすぎるぞ。カセロールにやらせろよ」
もしも従士長が本気でペイスのお守りを任されたのなら、最初にやることは魔法の使えない執務室の中に監禁することだ。
魔法によって【瞬間移動】出来てしまう銀髪の少年を、捕まえておくなど生半可なことでは無いだろう。
いっそ首に縄でもつけて繋いでおきたい気分だと、従士長はため息を隠さない。
「ご領主様は王都じゃないですか」
「坊を探すよりゃ楽だろが」
「そりゃそうですが」
――コンコンッ
「失礼するっち」
「スラヴォミールさん」
バッチレーに続くように、執務室を訪れたのはスラヴォミール。
領内の農政全般を取り仕切っている男であり、モルテールン家では癒し系男子で通っているおっとりとした性格の従士。
下層民出身で教養や言葉遣いに多少の難があるものの、体力は小さい時からの農作業と肉体労働で鍛えられていて逞しく、元々の地頭が非常に良いということで農業政策を任されている。
身分を気にせず使える人間を使い倒す、モルテールン家ならではの人事の被害者、もとい受益者だ。
「ああ、バッチ、ペイス様はさっきの話何か言ってただか?」
スラヴォミールは、自分の部下に尋ねる。
「いえ、それが若様がどこかに出かけてるそうで」
「そりゃ困るっち。急がないと最悪は喧嘩が起きるで」
「おうおう、物騒な話だな」
困ると言いながらも、口調が訛り交じりでおっとりとしているため全然困っている風に聞こえないスラヴォミールの言葉。
だが、彼は朴訥で真面目な性格をしている。その農政担当をして困ると言わしめる事態なのだから、本当に困ることなのだろう。
バッチレーとスラヴォミールの二人のやり取りも、かなり急を要する事態である感じだった。
従士長は、どこかに勝手に出かけくさった次期領主に対し、戻ってきたら押し付ける苦情リストを一行追加した。心の中で書きつけているこのリストは、最早既に巻物と呼べるレベルになっている。
「従士長の許可ってことになりませんか?」
「話も聞かずに許可は出せねえよ」
従士長という立場は伊達ではない。
ペイスの最終許可を取らねばならないとは言え、本当に急ぎで対処せねば危険な事態はシイツが仮の許認可を行うこともある。
シイツが許可を出しているものを、報告を聞いたペイスが許可撤回するということも有りえるのだが、一応は権限として可能ではあった。
だが、それだけに慎重を要する。
ただでさえ忙しい中、手戻りの発生する事態は仕事を無駄に増やしてしまうからだ。
まずは説明しろと、シイツが二人を促した。
「いやね、第……何次だっけ? 先月会議で言ってた例の防衛計画で、東部に城壁こさえようって話をしてたっしょ?」
「ああ、聞いてる」
モルテールン家は、従士の主だった者を集めて定例の会議を行っている。
遠くにいる人間でも瞬時に集められる魔法があってこそなのだが、全員の意思疎通を密にすることで仕事を円滑化し、それぞれに共通認識を持って自主的に行動できるようにするのが目的。
その中で、東部の入国管理の甘さが問題視された。
現状、モルテールン領の東部は、地続きで他の領地と接している。入領しようと思えばどこからでも入ってこられる訳で、入国管理と呼べるものはザルも良い所。
流石に、モルテールン領の領都であるザースデンへの進入には一定の管理がされているが、それは偏に街を囲うように作った防壁あってこそだ。
近年のモルテールン家へのスパイ流入について。
さすがに何か対策しないと、管理の手に余るということになり、東部地域にも城壁を巡らせて、入国審査をし易くしよう、と決定されたのが先月のこと。
「それでコロちゃんが地形や地盤の事前調査をしてたら、防衛計画の修正が必要じゃないかって話になってるそうで」
「計画の修正?」
「地形的に、掘ったら水が湧きそうなんですって。堀を作るならそれでもいいんでしょうけど、そういうのは計画に無かったじゃないですか」
「ああ」
当初の計画は、城壁を三段階に分けて作ることになっている。
街道沿いだけ急ぎで作る第一段階。東部地域の村々をそれぞれに囲う第二段階。東部地域全体をすっぽりと覆い、山まで含めて防壁にする第三段階。
今は、第一段階の為の下調べを行っているところ。
担当はコローナ女史。愛称コロちゃん。
性格が真面目で、謹厳実直を絵にかいたような彼女であれば適任だと抜擢された。
任された大役に張り切っていたコロちゃんであったが、地質調査で地下水脈がそれなりにあることが判明したという。
水が足りず、井戸を掘っても中々でないという苦労をしてきたシイツには、掘ってすぐに水が湧く東部地域の事情を完全に失念していたと天を仰いだ。
「それで、壁の一部について建築予定の場所を変更しようってことになったそうなんですが」
「誰がそんなことを言ってるんだ?」
「トバイアムさんとグラサージュさん」
「あの二人が言ってるのか」
大雑把な性格のトバイアムはともかく、グラサージュは領内の工務全般を取り仕切る重鎮。
その彼が言い出しているということは、問題が本当に深刻なのだろう。
現在の建設予定地から場所を変える。
言葉にすれば簡単だが、実際のところはかなり大変だ。資材の必要調達量見込みも全然違った数字になるだろうし、地盤調査はやり直しだろうし、工期についても見直さねばならないだろうし、人足の手配だってやり直しだ。
実に頭の痛い事態である。
「まだ草案段階で詰めてるらしいんですが……」
「それで?」
「草案で検討している壁の建築場所が、新しい牧場の予定地と結構被るんですよ」
「ああ、そりゃ大変だ」
シイツは、全然大変そうに聞こえない声で相槌を打つ。
幸いなるかな。この程度では最早動じなくなった。
いきなりドラゴンを持って帰ってきましたと抜かしやがったことに比べれば、問題は至極常識的で穏便だ。
「牧場を優先するのか、防壁を優先するのか。早めに決めてもらわないと」
「そうだな。そりゃ早めに決めるべきだ。間違いねえ」
その通り、うんうんと頷くシイツ。
「でしょ? じゃあ報告はしたんで、俺らは仕事に戻ります」
「従士長もあとはよろしくだで」
従士長に話を押し付けたからには、あとはよろしく。
そんな言葉が見え隠れするスラヴォミールとバッチレーの態度。
自分もあの立場なら楽が出来るだろうと、シイツの眉間の皺は深まるばかり。
「坊が早く戻ってきてくれねえと、仕事に差し支えてしょうがねえ」
モルテールン家の大番頭が、ぶつくさと文句を言う。
ペイスは、あれでいて決断も正確で速い。モルテールン領が興隆したのも、間違いなくペイスがその一翼を担っている。
特に、最近幾つも行っている新規事業に関するものは、全てペイスが発案したもの。その全容と将来性を見通している者はペイスしかおらず、必然的にペイスがいなければ仕事が進まなくなっている。
その後も、ちょくちょく仕事の相談に部下たちがやってくる。
裁判関連や外交関連といった、従士長では決められないものも多い。
シイツは、どんどん溜まっていく仕事をペイスの執務机にこれ見よがしで置きつつ、自分の仕事を熟していた。
「シイツ、大変です」
「やっと戻ってきやがりましたね、坊」
ペイスが、突然思い立って出かけて行ってからしばらく。
仕事をほったらかしやがってと、シイツが怒りをため込んでいたところに、怒りの矛先が帰ってきた。
「ただでさえ仕事が忙しいんですから、いちいち思い付きで出かけねえで下せえ」
「そんなことより、大変なんです」
珍しく、ペイスが慌てていた。
「あ゛あ?」
ドスの利いた、低い声でシイツがペイスを睨む。
仕事をそんなこと呼ばわりするとは、余程のことじゃねえと許さねえぞ、という睨みだ。
「得体のしれないものが、領内に発生していました」
「あん?」
ペイスは、自分が見て来たもの。いや、感じて来たことをシイツに語る。
「明らかに何かに襲われたと思われる
「熊かなんかじゃねえですかい?」
草食獣が肉食獣に襲われることは珍しくない。
オオカミやクマ、或いはトラというのも有り得る。
まさか大龍という訳では無かろうが、シカを捕食する生物は神王国内にありふれていた。シイツの指摘は、それらの肉食獣によるものではないかというもの。
「いえ。それがおかしかったんですよ」
「おかしい?」
「口から泡を吹いて死んでいました。そして、腐ってはいたものの毛皮は綺麗なものでした」
「そりゃ、確かに妙ですね」
肉食獣による被害であれば、襲った獲物を食わずに置いておくなど珍しいことだ。ましてや、毛皮も無傷であるというのもおかしな話だし、泡を吹いて死ぬなどということはもっとあり得ない。
「外部の勢力が浸透してきている可能性が有りますぜ」
シイツは、従士長の職責として可能性を提示する。
草食獣をただ殺す。どういう目的かは不明ながら、仮に人間が鹿を殺したとするのであれば、そんな奇妙な殺し方をするのは近場の人間ではない。明らかに異文化を感じる。
「僕のお菓子作りの邪魔をする奴は、例え相手が何だろうと許しません!!」
ペイスの目には、メラメラと情熱の炎が燃え上がっていた。
また仕事が溜まる。
シイツのため息が、更に一つ増えるのだった。
昨日予約投稿をちょっと間違えてしまったっぽいです(テヘペロ
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