綺麗な若い女優を 毎晩 トッカエひっかえ ヤリまくった性豪 /毛沢東の私生活(※李志すい著) より
註)喜び組の起源は記事後半に出てくる
共産党独裁の中国でこんなブログを書けば まず逮捕され無期懲役 間違いなしと言う所だが(笑)・・・
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毛沢東の性を含む私生活を赤裸々に描いた禁断のこの※書物(中国共産党は国内で発禁処分にした)は、毛沢東の私設の個人的医師(専属医師)をしていた李志綏(りちすい)が毛の死直後に 同士から身の危険を感じてアメリカに亡命、その後に書いた本である。毛の秘密は勿論のこと、党のいろんな秘密を知っていた李は 同士(共産党が運営する秘密警察の同士たち・・他の共産国も大体、同じ様な組織がある。異色はナチスドイツのゲシュタポ)によって暗殺されると、感じたのだ。正解だった。
著作後 李は続きの第二号を書く準備をしていると発表した。李は その直後から米国にいる中国共産党の工作員(と思われる人たち)から脅迫が続いたので、『もし自分が暗殺されてもこれらの書は残る』、と胸を張って語っていた。実に、その3ヵ月後、浴室で原因不明の心臓発作を起こして死んでいる李を、帰宅した息子が発見した(李は亡命後、息子と二人で暮らしていたのだ)。
心臓発作!!であれば自然死に見えるが、ここは手段を選ばぬスパイたちの天国、例えば・・・大きな電流を持った高電圧の(200ボルトから500~600ボルトくらいまでトライダック・トランスで、徐々に上げていく方法で)電気ショックを与えれば いとも容易く(たやすく)《自然に心臓発作を起こした》ように見せかけて殺スことが可能(筆者の推理)。人為的に心臓発作を起こした記録は体には何も残らない(ただし余り高圧だと接電跡が付く)。
これは中国共産党のセンターである中南海からの極秘の指令で、米国に潜む数千人規模の中国共産党のスパイ網の中から、何人かが選ばれて 連携を組んで秘密裏に巧みに暗殺したと見られている。スパイたちにとっては これは赤子の首を捻るような いとも容易い(たやすい)ことだ。
李は毛が死んだあと、最初から毛の私生活を暴くつもりは毛頭なかったが、出国に際して様々な身の危険を感じる出来事が重なったため、それを乗り越えて出国に成功した段になって、恐ろしい目にあった反動・反感から毛の秘密や共産党内部の暗部を暴く(世界にばらす)気になったのであろう。それは米国の指導者の考えとまさに一致した瞬間であった。
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李は、北京で 代々 医者をしている家系の家に生まれた。中でも曽祖父は清朝皇帝の専属の医者をしていたという。
香港で初めて医師の資格(西洋医)をとって 医者をしていた李は、その後 同じイギリス連邦のオーストラリアのシドニーに移住して病院の勤務医をしていた。故郷を遠く離れたまま長い年月が経っていた李は、その地で郷里中国を懐かしく思い返していた。
丁度その頃 毛沢東が私設の個人的な医師、特に腕のいい西洋医(1名)を探しているのを知って、応募しようと決心し、北京の中南海に行き毛の面接を受けた。そして 李は 毛に個人的に気に入られて 首尾よく採用された。当時、中国の医師は中医と言って西洋医学の医者ではなく、漢方医だった。様々な持病をもつ毛は。これを直す西洋医学に精通した医者を欲していたのである。
専属医になってからの李は、毛の様々な個人的風習や奇天烈な習慣に遭遇して驚いたが、決して口にすることはなかった。
たとえば毛は歯をブラシと練り歯磨きを使って磨いたことは一度もなかった。生れ故郷の習慣で、お茶っぱを歯でクチュくちゅと何度も噛みしだいて、その後うがいして流すだけ。そのため、常に毛の歯肉や歯槽は赤く腫れており、そして異常に臭かった。歯槽膿漏に近い状態だった。
また、毛は 以下の こう言う事を最も得意とした・・・権力者・毛は、他の共産国から外交使節団が来たとき、彼らを喜ばせるため舞踏団や歌劇団(後世で、俗に喜び組と言われる組織)が 党中央と各地方に必要だと 幹部達を説得して 大掛かりな全国規模のs用試験制度を創設、面接の場面では自分が審査委員長に治まった。これらは今まで抑えられて来た自分の性欲のために考え出されたのである。これが喜び組と言われる北朝鮮にも存在する秘密組織の起源である。
軌道に乗ると、毎日か毎週のように パーティを開き、舞踏や劇を堪能した後は、観劇中に密かに目を付けていた女性を、沢山ある自分の広い寝室におのおの招き入れ、各寝室の女性を交代で楽しんだ。この 観劇と その後シメヤカに行われる性のセレモニーは 死ぬ晩年まで続いた。招き入れられた女性達は、毛が自分を選んでくれたことをオリンピックの金メダルを貰ったごとく喜んだ。むろん、性のセレモニーの見返りは舞踏や演劇が最優秀だったという表彰状と、それに伴う様々な分野での抜擢である。毛を相手にした女性たちにとっては
大変な栄光と出世であった。続く
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