20200621
13:37 次はこれを意識してやってみよう https://twitter.com/shin_5_9/status/1274180509707300864?s=21
12:35
嫌なことがあるとそこから気持ちが自力では切り替えられない。
ひとつ嫌なことがあると、今まで嫌だったことを連鎖的に思い出して、どんどん嫌な気分になっていってイライラして、頭の前の上の方がギューっとしてくる。
頓服のワイパックスを飲むと少し落ち着くけれど、この状態になると非常にキツいので、医者に相談して薬を出してもらいたい。
前までこういうことは自分の気持ち次第とか、気分転換の方法を持つようにするとか色々やってきた。文章に書き出してみたり、考えを書いてそれを前向きな言葉に変えてみたり、音楽を聞いてみたり映画を見てみたり。でもその行為の最中もずっと頭の真中では嫌だったことがフル回転で回っていて、どうしようもない。
この状況を何とか打破したいともう5年以上考え続けているけれど、自力で何とかするのは無理だと諦めた。これだけ考えて何一つ解決しないのはおかしいことだと思う。
ずっと薬をやめたい、薬に頼らないようにしたいと考えていたけれど、一度自分から断薬してみて、自分は薬を飲まないと駄目な状態なのだということはよくわかった。
- ストレスで頭の中がおかしくなる。たぶんうつじゃない人の脳内では出ている物質が出ていないとか、そういう感じで頭が故障する。
- 頭が故障して働きが悪くなっている状態で、考え方を変えようと試みてみたり、どうしたら治るかを考えようとする。
- 当然無理ゲー。
- 薬の力を借りて、脳内を変えて以前の状態に戻す。
薬を使って少し自分を楽にしてあげないと、日常生活もままならない。そのことをよく覚えておきたい。薬を続けて調子がよくなると、すぐに忘れてしまう。「治療中なのだから」という母親からの戒めの言葉も、すぐに忘れてしまう。気をつけないと。
薬を使うのは怖い。薬で脳が萎縮したりしないだろうか、将来私は大丈夫なんだろうかという不安が断薬したいという考えに向かわせてしまう。
少し前にNHKのニュースでやっていた脳内感染したヘルペスの遺伝子がうつの原因になっているとしたら、もしかしたらパッと薬で治る日が来るのかもしれない。そうなったら生きるのが楽すぎて、どうなってしまうんだろう。他人からの圧や悪意を常に感じずに済む日は来るのだろうか。
1:00
"Creativity only shines on top of basic skills."
「クリエイティビティはしっかりした基礎の上でしか輝きを放たない。」
あっ、ハーイ…
20200619
なんにもねえな〜。本当なんにもない。
20200618
14:30
この前買った除湿機をやっと雨になったので試せた。洗濯物が2時間くらいで乾いて部屋の中もサラッとしていて快適。湿度が高いとなぜか腹を壊したり、疲れやすくなるから買ってよかった。
薬のデッキを変えてもらってから、頭の中のネガティブにつながっている回路がブロックされたような感じがする。仕事中に頭の隅の方でずっと続いている人に対する悪口や恨みつらみが出てこない。これのせいでグッタリと疲れてしまうから本当に助かっている。
私は賢くなりたかったし、できる人になりたかったけど、もともとそんな能力はなかったんじゃないかという気持ちと、いやいやそんなことはないかもしれないという気持ちが交互に出てくる。
昔からドリルや問題集をやり遂げたことがないので、今やっている勉強の本1冊必ずやり遂げたい。
やりたいことが見えてきたので、それに向かってなら頑張れそうな気がする。
20200617
23:30
- 妥協せずひとつずつ
- 正気に戻ったら負け
- 何かに没頭できる期間と成功体験が不足している
20:00
今日はパンフレット作成の仕事をいくらか進めたあと、絵を描いた。ナイフを使った絵が好きだし、自分もあの技術を身に着けたいので、ナイフだけで絵を描いた。
周囲のちゃんと働けている人や、ネットで見かける活躍している人たちを見ると、その人たちが積み重ねてきたものが見えてきて、それに比べて自分は何もないなあと思ってしまい落ち込んでしまう。
絵なんか特にそうで、上手く描きたいけど今の自分の下手さに耐えられないとか、時間がかかるから練習が嫌とか、絵がうまい人たちが積み重ねてきた時間に嫉妬してしまう。私にはそういう積み重ねが無い。
この積み重ねが無いせいで、私は薄っぺらいのだと思う。何に対してもニワカで、物事の本質をわかっていない。わかろうともしなかった。
高校生〜今にかけて、本当に浅はかで愚かな人生だったなと感じている。
今からでも遅くないから、積み重ねることを始めないと、また5年後10年後に後悔することになると思う。
理想だけは高く、それに伴う実力がない。実力をつけることをしてこなかったから。
自分が何をしたいのか、考えるのを放棄した10代後半あたりから本当に自分には何もない。「やりたいならやったらいいじゃん」じゃなくて「あなたはそれをするべきだ」と誰かに言ってほしかった。んだと思う。
気の済むように、納得いくまで、今やっている勉強を続けられるだろうか。自分が信用できない。
10:00
調子が悪い。落ち込んでいる。自分のダメさに打ちひしがれている。
自分がまとまらない。と今日気がついた。
昨日こうしようと思っていたことが、今日になって思い出せない。
今朝は、心をおだやかにしてにこやかに笑っておけばきっと色々なことを真に受けずに、流していけるかもしれないと思っていた。家の中で転びかけた母親に片付けておけと怒鳴った父親の声と、店のバイトがレッスン前にアレコレ相談というか自分でできるはずのことを私に頼ってきて、配信の準備もしなくてはいけないのに、それもうまくできなくて、心が折れた。配信のシステムだって、がんばって1人で作ったけれど、CMSの運営会社が障害をもう1週間以上解決できてなくて、今詰んでる。
どうしたらいいのかわからない。こういう時に、気持ちをどう持っておけばいいのかわからない。
仕事はどれだけがんばったかじゃなくて、結果がすべてとよく言う。それでも、がんばったことが、おじゃんになったり、報われなかったり、けなされたりしたら心が折れてしまう。
落ち込み、悲しさ、焦り、無気力から脱するために、色々な言葉を探してはメモしているけれど、それを翌日見返して「そうだそうだった」と腑に落ちることはない。昨日の私と今日の私は整合性がとれていない。
自分がまとまらないと思ったことも、多分明日には忘れていて、明日は明日なりに違う落ち込み方をしているんだろう。
どうしてこうなってしまったんだろうと思う。始めは仕事でうつになって、寛解しないまま仕事へ行って、私の土台がグラグラのまま仕事を続けていたら余計にダメになっていった。
自分がどういう状況なのかを把握することが私には難しく、自分が自殺の一歩手前にいても気が付けない。自分で気がついていないから、周りも気が付かない。
仕事でもっと会社の助けになりたくて、webページ制作の勉強をしている。
前にもHTML/CSSとRubyを習得しようとしていた時期があった。多分10年前くらい。
「その時、こんなことしたって、今の仕事の役にたたないし、私には理解ができない」と思ってやめてしまった。そのあと「どうしてあの時、勉強を続けなかったんだろう」と後悔したことが何度もあった。藝大受験を志して諦めた時も、高校受験の第一志望を辞めた時もそうだった。
今だって、「この歳になってこんなことを勉強したって後々なにかの仕事につながるとは思えない。若くて質のいいデザイナーやエンジニアはどれだけでもいる、私はいつまでたっても本の通りに勉強を続けるだけで実務に活かせない子供部屋おばさんなんだ」と自分にたいして失礼というかひどい言葉が頭の中をぐるぐるしていてとても疲れる。
私は人間として質が低いのだと思う。
人の汚いところばかりを見てしまう目や、自分が何かで一番じゃないと生きている価値がないという考え方、貯金ができない、うつで自立支援を受けている、働く先に迷惑をかけまくり、砂かけして辞める、ネトゲにハマってニートになる。何か人間として、パーツが足りていないのではないかと思う。甘えだろうか。みんな、どうやって生きているのかなあ。
自分の顔も嫌いで、それが原因で人と話していても自分の顔が汚い事が怖くて相手の目が見れない。レッスンに出ている時は、針で全身を刺されているような感覚になる。子供時代の写真を見ても、男である弟の方が顔がかわいく、みじめな気分になる。
何かにじっくりと腰を据えて取り組むということから、ずっと逃げ続けてきた。その時の衝動だけで行動して、続けるということができなかった。そういうことをこれからはしていきたいのだけど、この考えすらも、もう明日になったら、もしかしたら今日このあとしんどい事があったら、変わっている可能性がある。
今日の私が心がけたいことは物事をつづけること。
惨めでダサい人生だけど、死ぬ勇気もないから、生きるしかない。本当にキツい。
20200614
午前中調子が悪い事が多くて、いつもソワソワして不安で怖くて息苦しかったり息が詰まってしまう。気持ちも落ち込んでいて、人の態度や言葉が怖く、過剰に反応してイライラしてしまう。それが疲れるのでとても嫌。そういうときは犬をしばらく抱っこしていると落ち着いてくる。背中の痛みやお腹の鈍痛と寝起きの頭痛が消えないので、明日一度内科にも行きたい。
今週NHKのネットニュースで、ヘルペスウイルスがうつの発症に関係しているかもしれないというニュースが流れているのを見て、力が抜けた。医者・カウンセラー・親・twitterの友達はみんな「あなたのせいじゃないよ」「ゆっくり休むことが仕事」と言うけれども、それを信じるための根拠がなくてどうしても信じられなかった。「私のせいだし」「休んでいる私はサボっているだけだ」と思っていた。でも、本当にウイルスが発症に関係していたのかもしれないって考えると、今までのことが全部病気のせいだったからなのだと考えると、力が抜けてしまって、涙が出てしまう。
大学へ通えなくなってしまったり、実家に半年ほど引きこもってしまったり、そういう傾向が元々あったけれど、全然笑えなくなってしまったのは、会社に入って初めての休職をしたあたりからだったと思う。
初めて会社を休職した時は、自分を納得させるために3ヶ月連続の80時間以上の残業が良くなかったとか、結婚と引っ越しが重なったからとか理由を並べ立てていたけれど、私と同じ職場の人・私と同じ条件の人は別に皆平気だったわけだし、私がもっと仕事がわかっていて仕事ができる人間で、周囲とも上手くやっていける…そうあの頃いた、Mちゃんや、後から入ってきた後輩のGさんみたいに、優秀で周囲と何事もなく溶け込めていたらきっと大丈夫だった。そうなると、そういう状況下で人よりもよりストレスを感じてしまう自分のメンタルが弱く、残業をすることに苦痛を感じるわがままで、仕事の事をよく理解できていないだけだった、それで休んだのだから、やっぱり自分のせいなのではないかと思… っていたけれど、罹患しているウイルスのせいだったのかもしれないと考えると、少し気持ちが落ち着く。着地のしどころを見つけたというか。
1回目の復職の時、まだ完全に直ってはいないけれど、担当医が異動になるからという理由で治療終了ということになったけれど、会社に行くのが怖くてしかたがなかった。「休職者」のレッテルと腫れ物扱いが怖くて、時短勤務もそれを助長させたし、いつも息苦しかった。当時はお金に困っていて、そのストレスもあった。思考能力が低下していたと思う。今あらためてあの頃の自分の事を思うと、本当に不憫でならない。そもそもあの会社にいたのも自分の希望だと思っていたけれど、その希望が「これくらいの会社にいれば親が喜んでくれるから」以外の何ものでもなくて、会社をやめられない理由は「親が悲しむから」以外の何者でもなかった。「親が喜んでくれるから」っていう理由で進路を決めようとし始めたあたりから、色々おかしくなっている気がする。もちろん親は悪くないし、私が勝手にそう思い込んでいただけ。この頃、本当は助けてほしかったんだけど、私の話し方が下手くそでヤバさが伝わっていなかったみたいだった。
たぶん一番最初にそう思い込んだのは大学生の頃で、「自分にお金をかけさせないように、親のお金を私に使わせないようにしたい」と思い始めたころだった。どうすればそうなるのかとか計画していた。なぜそう思ったのだろう。あの頃から急に親に対して、「存在して申し訳ない」「生まれてきて申し訳ない」という気持ちが芽生えたと思う。助けて欲しいが言えなかった。私の人生最大の問題を抱えたのもこの頃で、そのことで助けて欲しいとすら親に言えなかった。いつも親のことを考えて泣いていた。誰かに助けてほしかった。
2回目の休職の時は、離婚から後の生活がメチャクチャでメンタルもメチャクチャで破壊主義者だったとしか思えない。親への申し訳なさはピークに達していたし、助けてほしかった。自分の力で自分をコントロールできていなかった。この頃はよく毎朝会社に行っていたなと思う。目が覚めると毎朝地獄だったし、眠っている時以外は24時間地獄だった。
よくわからないのだけど、いつも苦しくて悲しい、自分の力ではどうしようもできそうにない、他人が怖く、人と接することに恐怖を感じる、あらゆる物事や他人の言葉は自分に対して攻撃的であるように感じ、傷つくと同時に警戒してしまい、人ともつきあえない、どうしていいのかわからない、誰か助けて欲しい。
だいたいこれが、ここ10年近くずっと思っていることだと思う。物事の悪いところばかりをとらえないで、完璧な人なんていないから、悲劇のヒロイン、なんでそんな事考えるの、言われ続けてきたけど、自分でもわからない。頭の中にそういうことしか考えられなくなる島があって、そこへの通路以外が遮断されているような感じがする。
これが全部ではないにしろ、ウイルス性の原因だったとして、何年後化に治療薬が出されて、今以外の考え方・感じ方ができるようになったら、どうなるだろう。とても生きるのが楽で楽しいものになるだろうと思う。
期待している。
20200606
HTMLとCSSを一向に覚えられない。デザインをしても、それを組むためのHTMLとかCSSがわからなくて(思い出せなくて)できない。HTMLやCSSができるようになったらPHPやRubyもやってみたいと思うのにHTMLとCSSがクリアできない。
慶應卒のwebデザイナーの人がprogateを「7回やった」と書いてあった。私はナメて1回しかしなかった。7回やる意味がわからなかった。早稲田の薬学部の人が「どんな問題も例題だけをやり続けて、どんな問題がきても例題でやった内容を適用することで解けた」と書いてあり、「基礎は体が覚えるまでやり続けることで意味がある」と書いてあってなるほどと思った。私がやっていたのはprogateを写すだけで、覚えてはいなかった。高校生の頃から、問題週の例題を1度だけやって満足していた私の勉強が苦手だった理由がわかった気がしてちょっと悔しかった。もっと昔からこの事を知っていれば。
子供が親から遺伝を受け継ぐ内容は50%で、残り50%は行動によって変えられるという記事を読んだことがある。私が例題を1つしかしなかったり、やりたいと思っているのにやらなかったりしたことは、全部この「行動」の部分をしてこなかったということだと思った。今は行動しなくても、「いつか行動する日が来る」と思っていた。悔しい。行動しなかったことが積み重なって、自分のことをダメだと思う自分ができあがった。行動してきた結果を出し始めている20代後半の子や、今行動をしている10代の子たちをtwitterで見て、最近は後悔ばかりしている。
このままいくと私は40代になったらさらに後悔にかられる事になると思う。時間は戻せないし、今まで積み上げてきた同年代たちとは比べ物にならない差がついてしまっているけれど、気づいてしまったからにはもう行動するしかない。今までの習慣になかった行動するということを実行に写すのはとても大変だ。でも、行動すると、その間やその日は自分を嫌う気持ちや何を見ても自分を比べてしまう目が少し緩む気がする。行動することで、私のうつも軽くなるかもしれない。本当にしんどい日は動けないと思っていたけれど、私の先生のひとりであるアニメーターの方はうつになった時に自分の意志に背いて行動したと言っていた。治す道はそれしかないようにも思う。薬を飲んでも止めても変わらないのだから。自分の中身や考え方は自分でしか変えられない。いつかある日突然変わることを待っていたけれど、これも行動の話と同じでそんな日が偶然突然来ることは無い。
最近Twitterで友達が、無理にポジティブ思考になるよりも、現状を見つめた方が前向きになれるという事を教えてくれた。私は私に対しての悪口をノートに書きまくったら妙に落ち着いた。私は私の事を見下しているし、哀れんでいるし、軽蔑している。自分で自分のことを認めようだとか、そういう言葉をインターネットで検索し続けていたけれど、しっくりこない。自分で自分を認めるに値する実績が無いからだ。私の私に対する理想は高い。理想を実現する実力が無い。でも理想をあきらめたくない。なら力をつけるしかない。何もせずに冷笑的な態度で諦めるのはもうヤメだ。