20200803
22:45
「どうせ話しても誰にも分かってもらえない」という気持ちの正体は「母親が私のことをわかってくれない」だった
母親にわかって欲しくて構って欲しくて暴れたり泣いたりしてたけども、母親と私は別々の人間で、母親の言う事は私にはわからないし、私の言う事は母親にはわからない。そのことがわかった。
母親は昔から職場で嫌なことがあっても「私は家が幸せだから大丈夫」と思えば嫌な気持ちは職場においてこれたという。一方私は職場で嫌なことがあるとその後も延々覚えているタイプで、母親の言うことは言葉の意味として理解はできるけれども、心情的に理解して自分がやる事は難しい。だから母親は私の悩みを適当に扱っていると思っていたし、ちゃんと聞いてくれていないと思っていた。でも、母親にとったら自分がベストと思う答えを言っていただけで、まさか私がそれを理解できずやることもできないとは思っていなかった。こういうことが重なるうちに、単なる性格の違いのはずだったのに、私は母親がまともに私の話を聞いてくれない、相談に乗ってく」ないと思うようになり、何も言わなくなってしまった。そして母親から見たら私はなんでも自分で決める思い込みが激しい子。なんでも自分で決めると言われても、当の私は親が相談に乗ってくれないからそうなる…って思うし、親からしたら結論だけ伝えられて、いつもあんたは全部決めてから言うと言うふうに見える。
母親と私は別々の人間で、母親の言う事は私にはわからないし、私の言う事は母親にはわからない。
たったそれだけのことだった。
13:20
唐突に相差へ行きたくなり車を走らせる。途中から「自分の機嫌を良くするためにはどうしたらいいかを考えていればいいんだな」と考えていたものの途中の総合病院で祖母が癌だった時を思い出しやがて犬も両親もいなくなる日が来るのだと思うと悲しくて泣いてしまう。ここから機嫌よくもっていくためには悲しい事は悲しいと認め泣いてまた馬鹿なことを考えていたと笑うしかない。両親の記憶がなくなればいいのだ、いや今まで育ててもらったことを考えてみろ薄情者、私がこんなのだから両親は死ぬ間際まで私のことを気に病む。お荷物もいいところだ。いや母親は自分の楽しい事だけで私たちを顧みなかった、私たちの悲しさ辛さにはまるで取り合おうとしなかった。
8:20
去年の今ごろはインドに旅立った日だ。ひどいうつ状態で乗り物に不安があったのによく行ったと思う。写真を後から印刷してこよう。
読書について、
リファレンス的に使うものについては、どこに何が書いてあるかを頭にストックしておくために流し読みし、しっかり頭に入れたい内容は音読し、言語や技術書は手を動かしながらそのあと3回繰り返す(忘れるので、体が覚えるまでやる)
なかなか読めないのは病気のせいでもあるので、よめなかったら興味のあるところからとか、ゆっくりでもオッケー