自宅と学校の行き来のみという狭いコミュニティー。これからも毎日同じような日々が続き、自分が歳をとり、「大人」になんぞになる想像すらしていなかった中学3年の夏、「その時」が訪れた。「社会に認められた」と言うと大袈裟なのだが、私の「その時」の感覚はまさに「社会に認められた!」なのだ。当時、毎週金曜夜10時からニッポン放送でやっていた「関根勤のTOKYOベストヒット」の「ものの本音コーナー」で、生まれて初めて私が送ったネタ葉書が読まれた。それが先ほどの「その時」だ。ネタ自体は「しょんべん小僧の本音・・・ウンコもしたい」という誰もが思い付くクソみたいなネタではあるが、ハガキ職人出身で当時「神様」的存在であった放送作家の有川周一さんが選び、こんな芸人になれたらどんなにいいかと今でも強く憧れている関根勤さんがそれを読んだのだ。ネタが読まれた後、大興奮で奇声を発しながら母親にその顛末を報告したのをよく覚えている。母親は「あら凄いじゃない」と軽く言い残し、また布団へと戻って行ったが。
そして私を天狗にさせる事が起きるのだ。それは私以外のリスナーがこぞって様々な「しょんべん小僧ネタ」を送り始めたのだ。「俺が時代をリードしてる」と思ったし、自分自身もさらなるしょんべん小僧ネタを送ったし、過去の栄光にしがみ付くようにペンネームを「元祖しょんべん小僧」にした。利権にしがみ付く族議員のことを笑えない。
自信とやる気は正比例で、その日以来どっぷりとラジオ中心の生活へ。授業中はネタを考える時間と睡眠時間に当てられ、授業終了後バドミントン部で大汗をかき、帰宅したら夕食後すぐに寝る。そして夜ノソノソと起き出してラジオを聴く。朝方仮眠を取って目を腫らしながら学校へ。もちろん勉強をした記憶はない。メールなどというものはなかったので、投稿はもちろんハガキだ。しかし月の小遣い3000円の中で、週刊ファミコン通信を買ってネタの投稿も、となると週に3通出すのが限界だ。そうなると、必然的に一枚のハガキに対して書かれるネタの数が増えてくる。しまいには表の住所を書くところもうまく使い「俺は耳なし芳一か!」
とハガキに突っ込まれても不思議じゃないくらい両面びっしりとネタを書き込み、毎週ポストに入れていた。それから毎日様々な深夜ラジオに触手を伸ばし、当然学校の成績は落ちたが、元々下の方だったので誤差の範囲だった。勉強は出来なかったが、面接での印象と部活動の成績などが良かったせいか高校にはちゃんと進学できたし、そこでは、同じ番組を聴いているリスナーにも出会えた。すぐに友達になり話をしていくと「ええ!あのネタお前だったの!スゲー!!」今思い返すと、人生のピークを迎えていた。
私が聴いていた当時のオールナイトニッポン(以下ANN)は深夜1時からと3時からの各二時間を「1部」「2部」と分け、番組が構成されていた。その中でとにかくはまったのが金曜2部の「伊集院光のANN」だった。熱心に深夜ラジオを聴くだけでもマニアックなのに、さらに時間の深い2部にはまったのだ。ちなみに後年通った明治大学も2部(夜学)だ。
局はTBSに移ったが、現在も伊集院さんは番組をやっている。その内容は「世の中がうまく回っているのは俺が泣き寝入ってるからだからな!」と心の中で叫ぶことでなんとか生きて行けるという術を学べる、生きた学校のような番組だ。世の中きれい事ばかりではないことなど百も承知。だからといって生きるのをやめるというわけではない。「それでも生きてやれ」という力を、エッジの効いた斜めからの笑いで提供している。と書くと文部省的なところが真面目に取り上げたりするかもしれないが、はっきり言って積極的に脚光を浴びせてはいけない。表通りに泌尿器科を建てないのと一緒で、できればそっと通いたい学校なのだ。そして「この感じ」が分からない人は通わなくていい人だ。私は未だ通学中だ。
念のため一応説明を。「コサキン」とは小堺一機さんと関根勤さんのことだ。小堺の「コサ」と勤を「キン」と読んで「コサキン」。TBSで放送されていたこの長寿番組「コサキン」は一般リスナーが多いのはもちろんだが、業界聴取率が高いことでも有名である。つまりは一流のクリエイティブな人間を喜ばせる程のエンターテインメント番組であった。あの故・臼井儀人先生をして「こんなにおバカな番組はない」と言うほどのくだらなさ、ナンセンスさが光っていたのだ。この番組のキーワードで「意味ね~」というのがある。深い意味があるようで、なさそう。なんだかわからないが「ぷっ」と吹き出してしまうような絶妙な物言い。そんなマニアックで説明不可な共通の笑いのツボを、多くの会ったこともない人と共有している優越感が本当にたまらないのだ。少しずれているかもしれないが、家元談志の言っているイリュージョンとコサキンの意味ね~は、ほぼ同義語だと思っている。ひとつの事柄をあらゆる角度から攻めてみるという「発想界のMRIや~」と言うべき作業への欲求。誰に頼まれたのでもなく考え、
考えたからには誰かに言いたいという衝動。
今思うと、中3の夏に私は立川流の落語家になることが決まっていたのかもしれない。
●芳賀ゆい「星空のパスポート」
伊集院光のANNの企画から生まれた架空のアイドル。伊集院氏の理想の女の子の容姿を主軸に据え、リスナーから寄せられる葉書によって、架空のパーソナリティが出来上がっていった。CGではなく、複数の人物が「ポニーテール」で「決して顔を出さない」という共通項で実在するかのように担当し、CD発売、握手会、ビデオ、グラビア写真集などの芸能活動を行った。この「星空のパスポート」は作詞奥田民生、編曲小西康陽という顔ぶれ!
●「猫のテブクロ」筋肉少女帯
志ら乃さんが伊集院光のANNにはまる数年前、まだ水曜2部だった時代(88年10月?翌年3月は、直前の水曜1部が「大槻ケンヂのオールナイトニッポン」だった。それが縁となり、筋少のアルバムに伊集院氏がコーラス参加。本アルバム内の「これでいいのだ」でシャウトしている。
●伊集院光選曲 「おバ歌謡」
TBSラジオ「伊集院光 日曜日の秘密基地」、「Junk伊集院光 深夜の馬鹿力」の人気コーナーから生まれた「埋もれさせるには惜しい」おバカな歌謡曲を集めたコンピ盤。初CD化も含む貴重音源ばかり。ジャケットイラストは、みうらじゅんさんの書き下ろし。
●コサキン本 中2の放課後
~2人合わせて100才~
1981年10月から2009年3月までTBSラジオで放送されたコサキンのラジオ番組「コサキンDEワァオ!」(94年10月?番組終了時までの番組タイトル)に寄せられた「意味ねぇ!」ハガキネタ・写真ネタを掲載。ラジオなのに写真ネタを紹介するというコーナーを、当時悶えながら聴いていたリスナーも、この本を見れば、あの時、2人が抱腹絶倒していた写真ネタが見られます。
- ■2010年05月10日 最終回: 落語家 立川志ら乃
- ■2010年04月10日 その11: ラジオデイズ
- ■2010年03月10日 その10: 「詰まらない」人たち
- ■2010年02月10日 その9: 女に従う(幸せな)人生
- ■2010年01月10日 その8: 新年会は仕事納めだ
- ■2009年12月10日 その7: 人生は選択肢の連続だ
- ■2009年11月10日 その6: 自信の波
- ■2009年10月10日 その5: 落語家兼勇者
- ■2009年09月10日 その4: 憧れの根本
- ■2009年08月10日 その3: 立川ボーイズBE in 夏コミ
- ■2009年07月10日 その2: 国技こそサブカルだ!
- ■2009年06月10日 その1: おピンクならまかしとき!
- ■連載直前対談:明治大学 まんがとサブカルチャーの専門図書館 森川嘉一郎×立川志ら乃「おたく対談」
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