00
※ボストンテロの車椅子で運ばれた男性は、ニック・フォークト(Nick Vogt)ではなくジェフ・バウマン(Jeff Bauman)

先日に【ボストンマラソンも自作自演テロか?】という記事でボストンのマラソンテロが自作自演である可能性が強いことをお伝えしましたが、その件に関する追加情報を少しお伝えしておきます。

まず、例の車椅子で運ばれたNick Vogt(ニック・フォークト)という元々両足がない元軍人の話ですが、どうやら今回写っていたのは、Nick Vogtではなく、全然別人のJeff Bauman(ジェフ・バウマン)という人物だったようです。

Jeff Baumanについては、少し調べてみたものの、あまり情報が出ていない人物であり、Facebookもテロで被害にあった後から急に参加して、意図的に病院での姿の写真を掲載したりと、なんとも怪しさ満点の人物であるような気もします。

では、このJeff Baumanは、テロの本当の犠牲者かといえば、それに関しては以前から伝えしたとおりで演出であった可能性が高く、おそらくは元々両足がない役者として選ばれた人物だと思われます。

その証拠というわけではないですが、以下の情報をみると、いかに今回のテロが自作自演の偽装テロであったかがよくわかります。

一見、血生臭いような写真が多々ありますが、これらは100%フェイク(偽物)の血や傷となりますので、怖がらずにじっくりと観察してみてください。

ボストンテロ負傷者たちは“役者”だった!ステージブラッド“演出用血液”も使われていた!
オレゴン州の救急医療技士のコメント

わたしはオレゴン州で救急医療技士の資格で仕事をしています。重度の大動脈出血、内出血、死亡、心肺停止といったケースをさんざん見てきています。こうした凄惨な現場での職業的経験から以下のコメントをします。

写真A
01

爆弾などで両足を失うと、大腿動脈からの出血のため1分で体内の血液は半分になります。2分後には死亡します。鋭利でない破片による損傷の場合の出血はさらにひどくなります。肉が切られるのではなく裂かれるために、動脈も脈管組織もさらに露出することになるからです。人間の体には5リットルから6リットルの血液があります。鋭利でない破片を浴びるようなかたちで両足を失うようなことが実際にあれば、血の海になります。その負傷者はそこで全身血まみれになるはずです。さらに負傷個所の動脈からの血液の噴出が見られるはずです。その負傷者は血の気が引き蒼白になって嘔吐し、朦朧として気を失います。

写真に見られる止血処置ですが、縛られてもいませんし、帽子の男が上から吊り下げているだけです。これでは動脈裂傷には何の役にも立ちません。そもそも写真の人物の右足には何の止血処置もありません。そして一滴の血液も垂れていません。地面をよく見てください。これはあり得ないことです。顔と手の色は血液の循環を示しています。両足を失った人間の血色ではありません。

これは“役者”です。これは“演出”です。この“でっち上げ”の手口を説明いたします。

フレーム6:
02

この両足を吹き飛ばされたはずの男は左端にいます。地面に横たわって後頭部を起こしているのが見えます。この男は元々膝から下がありません。彼の足元にフードをかぶった男がいます。この男が“黒子”です。吹き飛ばされ膝から下の骨の残骸をつける作業をしています。黒人の女性がその作業の目隠し役をしています。

フレーム8:
03

演出用の“骨露出部分”を装着しました。爆発の数秒後というこれだけの大混乱のさなかにありながら、このフードをかぶった男はおもむろにサングラスを取り出してかけます。これはシグナルであるとともに、すでにかぶっているフードと同様、このあとに予定されている写真撮影に備えて身元が割れないようにしているのです。

フレーム9:
04

サングラスをかけ、“黒子”の男は女性と目配せをして、次の動作の息を合わせます。

フレーム11:
05

“黒子”の合図を受け、女性が今度は前方のカメラの方に向かって“骨露出部分”の装着完了を知らせます。“主役”の“両足吹き飛ばされ男”は女性の肩越しに左脚の“骨露出部分”を高く上げます。出血はありません。奇妙にも脚には血がついていません。本当でしたら血液の噴出があって脚も骨も女性も血みどろです。なぜか女性のブラウスは純白のままです。

フレーム14:
06

阿鼻叫喚の中でこのフードの黒子と黒人女性だけは冷静に見えます。二人は主役の“両足吹き飛ばされ男”を演出する重要な任務を負っているからです。フードの黒子の右手は女性の後ろで演出用血液を撒くのにいそしんでいます。“主役”は今や“先を吹き飛ばされた脚”を高々と掲げています。しかし、外科学的常識に反して彼の両脚にはほとんど血がついていなく、さらりとしています。

フレーム20:
07

ステージブラッド(演出用血液)の撒布と“骨露出部分”の装着が完了したことを、“主役”は開いた手を掲げてカメラに合図しています。女性もいっしょに同じ合図をしています。この段階でも、“主役”の両脚からは出血の様子がまったく見られません。両足を吹き飛ばされれば、血の海に横たわっているはずですが、この“主役”の両手にはまったく血がついていなく、きれいなままです。

このひとたちは“役者”です。これは“演出”です。これはテロの残虐さを強調し印象づけるための作りものの芝居です。

さらに以下のたまたま撮られた写真をごらんください。

写真B:
08

最初の爆発後の光景です。ここには“被害演出”の明らかな証拠が見られます。野球帽に赤いジャンパーの“監督”が白いTシャツの男に指示をしています。後ろには例のフードの“黒子”が横になったまま指示を聞いています。決してフードとサングラスを取ろうとしません。身元が割れるのを恐れています。“監督”白いTシャツ男も申し合わせたようにサングラスです。彼のそばにはすでにおなじみの目隠し役の黒人女性が横たわっています。

しかし、肝心の“主役”の“両足吹き飛ばされ男”の姿が見えません。たまたまちょうど黒人女性の裏に隠れるかたちになっているのでしょうか。もしそうならば、両足を吹き飛ばされて転がっている“瀕死の人間の姿”が彼女の後ろを通り過ぎる男性の目にとまらないわけがありません。赤いジャンパーの“監督”や小旗を持って突っ立っている長髪の男たちの目にも入っているはずです。爆発直後ずっと“両足吹き飛ばされ男”についていたフードの男も今やまったく無関心に見えます。それともあの“主役”はそこにはいなくて、どこかで次の車椅子のシーンのためのメークでもしているのでしょうか。

手前右はじでへたり込んで座っている女性も指示を聞いています。彼女のブラウスの袖はボロボロですが、なぜか中の肌は無傷できれいなままです。

彼女の左足の先、画面ギリギリのところに“ステージブラッド”(舞台用血液)のボトルが転がっています。これは彼女の後ろに見えるコカコーラのボトルとは異質のもので、中の液体が赤いです。こんなジュースは存在しません。

画面中央からやや左で、目の前の阿鼻叫喚の中の負傷者の誰を介抱するでもなく帽子とと星条旗の小旗を弄びながら突っ立っている長髪の太めの男がいます。この人物にはこのあと例の“両足吹き飛ばされ男”が車椅子で運ばれるときに付き添って止血包帯を支えるという大役が待っています。彼の“英雄的行為”の写った写真は世界中に配信され、ボストンテロ事件を報じる代表的な写真の1つとなりました。

もちろんあの“両足吹き飛ばされ男”も“英雄”となるシナリオです。彼は爆弾テロの犯人がバックパックを置くのを目撃したことになっていて、病院でそれを証言し、“犯人逮捕”に貢献することになります。実際の“被害者”による“目撃証言”によって、チェチェン人兄弟は容疑者となります。この目撃証言に説得力を与えるためにもこの痛々しい犠牲者の姿が必要でした。

09

カウボーイハットの男は“主役”とどこで合流したのでしょうか。

写真C:
10

一見凄惨な地獄図に見えるこの写真ですが、冷静にごらんください。この写真ではさっきまで身体を起こして何ともなさそうだった“フード黒子”の男は仰向けになって、立っている二人の人物に具合を訊かれている様子です。よく見てください。決して爆発直後にかけたサングラスを外そうとしません。彼の破れたジーンズからは何の傷ものぞいていません。いっぽうその横に今回の“主役”の“両足吹き飛ばされ男”が、本来いちばん手当が必要なはずであるにもかかわらず、横になったまままったく放置されています。車椅子が来て運ばれるという次のシナリオを全員が了解しているかのようです。

彼の足元のステージブラッドはいくつかの点で不自然です。まず色です。実際は時間の経過につれてもっと暗い色になっているはずです。この写真は爆発後少なくとも5分は経っていると思われますから、実際はこの“両足吹き飛ばされ男”はすでに出血死しているはずです。というのはまだ止血処置がなされていないからです。両足を吹き飛ばされた負傷者自身にいつまでも自分で押さえて止血できるほどの気力があるでしょうか。彼の両足の傷口からは約5リットルの血液が噴出し終えているはずです。血液の量からすると、この写真の程度ではなく、一帯が血の池になっているはずです。しかし“主役”が今持ち上げている吹き飛ばされた脚からは血液の噴出はまったくありません。

同じ場所にいたはずの黒人女性はどこに行ったのでしょうか。

写真D:
11

爆発直後、フレーム6から20までで見てきたように、この黒人女性は“主役”演出のために目隠し役、合図役をこなし、冷静に周りを見回し、これといって目立った負傷はありませんでした。しかし、今や顔も上半身も血だらけになり、ストレッチャーにくくりつけられ、そばに来ているカメラのためにショックで茫然自失の体という演技に専念しています。

救急医療の常識として、手足の喪失をした場合は緊急の処置を施さないと出血死に至ります。こちらの黒人女性が先に運ばれて、あの“両足吹き飛ばされ男”が後回しになって路上に放置されているというのは滑稽です。おそらく救急医療上の優先順位ではなく、演出上の段取りの都合でこうなっているのでしょう。

救急医療の生々しい現場で毎日働く人間の意見として言えることは、これらは本物ではないということです。この人たちはすでにあらかじめどこかでリハーサルをした“役者”たちです。すべて演出された“でっち上げ”です。一般の人々の目を騙すことはできても、プロの目は騙せません。

引用元:

http://beforeitsnews.com/conspiracy-theories/2013/04/boston-marathon-crisis-actors-2450330.html

監督から役者まで勢揃いし、そして脚本通りにそれぞれが役割を果たし、これによってテレビと新聞情報漬けとなったお茶の間の人々は、すっかりと「ボストンマラソンは、なんて悲惨なテロだったんだ」「悪者は殺されても逮捕されても当然だ」と騙されてしまうわけですね。

これは、別に今回の偽装テロに限らず、今の世の中全体を象徴するような出来事です。

大統領や首相も皆役者であり、政治もすべて茶番劇のお芝居です。決まった役者が決まった脚本どおりに演技をし、それに多くの国民が踊らされて一喜一憂しているのが、今の世の中です。

それでも「仮にボストンマラソンが自作自演のテロだっとしても、それが今日明日の自分に何の意味があるのか?それが嘘だろうが本当だろうが、今月の自分の給料に変化があるのか?」と超現実主義の人なんかは考えるかもしれません。

しかし、たった1つのどんな嘘であっても、嘘をつく人は他でも嘘をつく常習犯であり、それが今の世の中を構成している政治家、メディア、そもそも国そのものだったとすれば、もはや自分の身に関わる現実そのものを1度はすべて疑う必要があります。

1つの物事を一面しか見ないのでは、非常にもったいないことであり、想像力を膨らませれば、1つの物事からもっと大きな物事が見えてくることもあります。

これは人の講演などでも同じであり、人の話も情報も、ただ左から右に聞き流すだけでは、せっかく良い話を聞いたと思っても一晩経ったら忘れており、ひどい場合は帰りの電車の中ですでに忘れてしまいます。

だから、911にしろ、今回のマラソンテロにしろ、今まで信じていた、信用していた情報や価値観が一度でも覆されることがあったら、そこで一旦は頭の中をクリアにし、そこから想像力を働かせながら色々と世の中を観察することも大切だと思います。何よりも自分自身という存在そのものを観察することも…。

人それぞれかもしれませんが、個人的な体験からすると、こういった経緯を通して洗脳から目覚める時のショックは今までに体験したことのない恐怖でした。

「現実が壊れる」という表現といったら良いのか、当たり前だと思っていたことが当たり前でないことを受け入れるということは非常に恐怖であり、一方で勇気のいることでした。

洗脳されている人ほど、その反動となるショックは激しいものだと思いますが、一方でこのショックから立ち直って落ち着いてくると、今まで世の中を見る目が180度変わってきて、そこからは面白い世界が広がってきます。まるで生まれ変わったような気分になれます。

こんなショックが20代の中盤から終盤にかけて立て続けに発生し、その度に脱皮して新しい自分との出会いがありました。ただ、どの自分も必要•必然の存在であり、今も自分の中にはいるので、ある意味多重人格のような一面もあります。

だから、ブログ情報だけだと年配のおじさんが書いているように思われがちですが、実際はもちろん30歳の世間でいう若造であり、同じ世代の旧友と会えば、いつでもその頃の自分に戻り、いくらでもバカ話もできます。

一方で世界有数の科学者や権力者達ともお話をする機会などもありますが、その時には、また別の自分が勝手に会話をしてくれるので、想像を絶する世界の話や難しい話にもなんとか対応ができます。

というより、ちゃんとわかっていなくても「へぇ、すごいですねー」と言っていると許される年齢でもあるので、そこは未熟な反面、若者の強みでもあります。

いずれにしても、私の場合は、この洗脳から目覚めるショック療法が比較的早い時期にやってきたこともあり、これは良い面と悪い面の両方があったと思います。

良い面といえば、今の社会は時間の経過、つまり年齢を重ねるとともに洗脳も深刻化するので、それが病気と一緒で早期発見によって重症になる前に対処できたことです。

一方で悪い面といえば、逆に人間の精神性の高さというか、精神のタフさというのは、年齢を重ねて様々な経験をすることでついてくるので、そこが未熟な時期にショック療法を受けたのは、あやうく精神錯乱を起こすほど強烈なダメージがありました。

ただ、この2点から考えると、このショック療法が強制的に発動されるのは、あまり年齢は関係ないのかもしれません。

あるラインまで洗脳が深刻化する前の人間で、かつショック療法に耐えられるタフな精神と判断されたら、有無をいわさずにショック療法が発動されるのかもしれません。

ある一定のラインを超えてしまうと、洗脳から目覚めさせるのは困難になるでしょうし、仮に重症から目覚めても、その反動で精神錯乱を起こす可能性が高くなるため、目覚めない人には、どんなに激しい目覚ましい時計を使っても、叩き起こしても目覚めないようになっているのだと思います。

でも、最近は10代の若者も当ブログをよく見ていたり、中には中学生や小学生まで見ています。次世代の子供達は本当に恐ろしくも頼もしいです。

「私の覚醒は、そんな泥臭いものではなく、愛と光に包まれたものでした」と言われたこともありますが、ショック療法で強制的に覚醒させられるのは、インディゴチルドレンまでなのかもしれませんね。

いずれにしても、このショック療法による脱皮は、本当に心臓にも精神にも悪い(実際は健康になるのだけれども…)ものですが、是非とも体験していない人は一度は体験して欲しいと思います。

そして、抜け殻となった自分を否定せずに受け入れて大切にすることで、人間はより一層成長できるものだと思います。