フンは中国史では「匈奴」と呼ばれ、遊牧騎馬民族の文化は東シベリアの点と線を通じて朝鮮半島、日本にもつながる面があると考えられます。
遊牧民にとっては、新たな草原、そして新たに肥沃な土地を求めて拡大し続けなければ、一族は飢え、滅亡してしまう。死活問題が懸かっている。
だから命がけで外に出て行き、その場にいる人間は皆殺しにしてでも領土を奪う。
敵は残酷に殺害しても、自宅に戻ると子煩悩な父親というのは、古代フン族も、中世モンゴルでも、20世紀の世界大戦各国軍でも見られる、ごく当たり前の風景にほかなりません。
極悪非道な武闘派ヤクザだって、自分の娘は溺愛したりする。プーチンも2人の娘を案じている様子、核のボタンなど押しても子供たちのためにはならないのは分かっているはずです。
ロシアにしても同様です。元来はウクライナ、つまり黒海北岸に広がる「キプチャク草原」とは縁もゆかりもない、金髪碧眼の多い北極圏バイキングは、チンギス・ハーンの長男バトゥ―の子孫が支配するジョチ・ウルス、日本では「キプチャク・ハン国」あるいは「金張汗国」と呼ばれるアジア人の支配を、日本でいう鎌倉室町期、300年近く受けていました。
この時期をソ連=ロシアでは「タタールのくびき」と呼んでいます。
この時代にモンゴルからロシア・ノヴゴロド領主に封じられていた、先ほどのムスティスラヴィッチの孫アレクサドル・ネフスキーは西から攻めてきたドイツ軍を撃退、第2次世界大戦中は英雄としてプロパガンダに用いられ、エイゼンシュタインの撮った映画にはプロコフィエフが音楽をつけ、戦後も広く演奏されている。
そのプロコフィエフの故郷はカルカ河畔つまり現在のドネツク州、ドンバスのど真ん中といった経緯があります。
16世紀以降、やられたらやり返せとばかりに、キプチャクハン国=タタールの支配を脱したノヴゴロド「モスクワ大公国」では、17歳の少年イヴァン4世は初めて「ツァーリ」を自称して戴冠(イワン雷帝)。
このイワン「雷帝」はスターリンに暴政のヒントを与え、あの「スターリン大粛清」もイワンの模倣、日本史で言えば「信長の真似」みたいなものに過ぎません。
いまプーチンがスターリンの真似をしているのは、21世紀に「信長の野望」を振り回しているのと同じことで、ロシアの伝統でもなければ民族の悲願でもない。そんなものを英雄視するのが、間違っています。
エイゼンシュタインはスターリン大粛清の時期、大河長編の連作映画「イワン雷帝」を作らされますが、第2部以降は同時代の粛清を批判的に描いて抵抗の姿勢を示したため実質未完に終わります。
この音楽もやはり、ドンバス出身のプロコフィエフが担当しました。
ドンバスと背中合わせのすぐ東側、カスピ海北西辺ヴォルガ川沿いにあったキプチャク・ハン国の首都「サライ」は、現在形を変え近郊の「ヴォルゴグラード」が工業都市になっています。
こここそ、対ナチス戦争で莫大な死者を出し、しかし1942~43年にかけて「ナチスを撃退した」スターリングラード、ヒトラーとソ連が直接対決した激戦地は、元来ロシアともドイツともアーリア系ゲルマン諸民族と関係のない、色素の濃いタタール遊牧民の放牧地「キプチャク草原」ヴォルガ河口の拠点都市だったわけです。
プーチンは「ナチスに勝った」を強調して見せますが、ソ連もナチスも元来はこの草原の民ではない。原住民を蹴散らかし、略奪破壊する同レベルの「土地泥棒」で変わりがない。
ご丁寧にスターリンはそこに自分の名を冠し、領有を正当化して見せた。
元来はトゥルク系の土地であったカザン、ドンバスなどの「ウクライナ」そこにヴァイキングの末裔が関わるようになったのは、ほんのここ数百年の出来事に過ぎません。