「申し訳ありません」
締切の日の夜、暗い顔をしたO君が近づいてきました。取材先で車の事故を起こしたというのです。熱海の土石流取材に行き、車をホテルの駐車場に入れようとした際、ハンドルを切りすぎて、後部ライトを駐車場の壁にぶつけ、破損させてしまったとのこと。
2年目のO君は、7月1日に「週刊文春」に異動してきたばかり。週刊文春志望で、希望部署で働けると思った瞬間に、いきなりやらかしてしまった。へこむのは無理ありません。
その時、私が言ったのは、もちろん反省すべきは反省して同じことが起こらないようにするのは当然。ただ、これで「自分に×がついた」「もう失敗できない」などと思う必要はない。一番ダメなのは、これ以上マイナス評価を受けたくないと「失敗を隠す」「ウソをついてしまう」ことだ。
私は、部員に「週刊文春は日本で一番失敗できる雑誌」だと言っています。小誌の仕事は「これは無理でしょう。でもできたら面白いよね」ということが少なくありません。一つのスクープが生まれるまでには、幾多の失敗があります。失敗ごとに、いちいちマイナス評価をつけていたら、部員はゼロになってしまいます。
何より、小誌は1年に50冊出ます。失敗を引きずる間もなく、次の号がやってくるのです。私も編集長として、毎週のように「失敗」を繰り返しています。「あの件をなんでもっと大きくやらなかったんだ」「あのタイトルがわかりづらかった」。何より売れ行き・・。でも、週刊誌のいいところはすぐに次の号がやってくるのです。空振り三振しても、次の打席でヒットを打てば取り返せる。それが、週刊誌です。
失敗と言えば、私もいきなり、やらかしました。あれは、22年前。「営業部」から「新雑誌編集部」に配属された私は、待望の編集者となり、やる気に満ちていました。創刊準備号のテーマは、「新宿歌舞伎町」特集。一番下っ端だった私は、先輩たちに言われて、歌舞伎町を知るために住むことになりました。“パワハラ”という言葉がなかった時代の話です。アパートは家賃3万4千円、風呂なし、トイレ共同。そこから、夜になると歌舞伎町に出撃して中国、韓国、タイの料理店を探し歩きました。歌舞伎町で働く人たちが、自分たちの国の店で「美味しい」と言っている、日本のガイドブックに載っていないディープな店を探すのです。
自分が作った初めての雑誌が出来上がった直後のこと、携帯電話が鳴りました(携帯を買ったのもこの頃でした)。取材した中華料理店の中国人女性店主が怒気をはらんだ声で言いました。
「私の名前、間違えてるよ」
その店は、その美人なママが経営していることになっていますが、明らかにバックに怖い人がいそうな雰囲気でした。即、お詫びに行くことになり、心配したデスクが一緒について行ってくれました。お店に行くと、見るからに不機嫌な店主と、黒シャツの男性2人が待っています。店主と話している間、男性2人はテーブルに座って、じっと黙って一言も発しません。それが、逆に恐怖をあおりました。
デスクと一緒に謝り倒して、何とか許してもらいました。この一件以来、お詫びはなるべく早く、直接行くことにしています。
恥ずかしい話ですが、私はこの後22年間で2回、人の名前を間違えました。名前の一文字を同音の別の漢字に間違えるというミスでした。その度に菓子折りを持って、謝りに行きました。そのうちのお一人には、今も定期的にご指導いただいています。
こんな人間が編集長になれるのだから、文藝春秋はいい会社です!?。O君も、必ずいい仕事をしてくれるはずです。
さて、前回のニュースレターで書いたX部隊。今週号で、自民党の穴見衆院議員と外食チェーン首脳の「まん防破り」5人飲酒会食を撮ったのも彼らでした。
「週刊文春」編集長 加藤晃彦
source : 週刊文春