2ヶ月ほど前のことになるが、ホリエモンのインターネット番組にゲストで招(よ)ばれた。
彼は文化人の団体、エンジン01のメンバーなので旧知の仲なのだ。あちらはどう思ったかわからないが、イキのいい人と話をして私は結構楽しかった。
「ハヤシさん、今は右の方にいかないと本は売れないよ」
「そうかしらね」
「右の方の人たちはお金持ってるから、百田尚樹さんみたいに売れるんだよ。左の人はお金ないからね。あっち側に行ったって本は売れないよ。だからハヤシさんも、自分の思想信条を曲げない限り右の方に行った方がいいよ」
というアドバイスをいただいた。そのうえ、私のネット炎上に触れ、
「ダメダメ、こういうこと言っちゃ。僕なら避けるね」
と断言した後で、話題は突然秋元康さんのことに。
「高校時代、いちばん頭に来たのは、秋元さんがおニャン子の高井麻巳子さんと結婚したこと」
大ファンだったそうだ。
「あの頃、ネットというものがあれば、全国の中高生がいっせいに秋元さんの悪口書いたね」
物騒なことを言うので、
「あなた、秋元さんと仲よしじゃないの」
とフォローしたところ、
「今だったら秋元さんの才能や人柄がよくわかるけど、当時の高校生がわかるわけないでしょう」
あなたは口惜しかったかもしれないけど、秋元さんは最高の選択をしたよね、と私が言い、二人で秋元夫人がいかに素敵かについて盛り上がった。
「今でも本当に美しいし、人柄が素晴らしい。おニャン子で1番どころか、当時の20代の女性で1番だったんじゃないの」
ここでやめておけばよかったのに、調子にのった私は、
「もし秋元さんがさ、〇〇〇〇なんかを選んで結婚していたら、今、こんなに仲良くしてないかもね」
と口走った。
帰りしな、スタッフに尋ねた。
「あそこは当然編集してくれますよね」
「いいえ、うちは全く編集しないのがウリですから」
また余計なことを言ってしまったと、2日ぐらい悔やみ悩んだ私である。
これから〇〇〇〇さんは、絶対に私の対談に出てくれないだろう。ご存知の方もいると思うが、私は別の週刊誌で対談のホステスもやっているのだ。
時事ネタも書くエッセイと対談。これはかなり矛盾するものではないだろうか。有名人の悪口を書きたい、これは絶対に非難したい、と思ってもつい筆致が弱まる時がある。
「いや、いや、いずれ対談に出ていただくかもしれない。こんなことを書いてはマズいかも」
と忖度してしまうのだ。
レストランや何かの集まりで、芸能人や有名人とすれ違う時がある。そういう時、軽く会釈するのであるが、無視されることも。もちろんこちらをご存知ないこともあるだろうが、そういう時、
「はて、なんかマズいことを書いたかも」
とあれこれ思いめぐらす。
こんな生活を40年近くしてきた。そしてわかったことがある。
私は知らないうちに、人に恨まれている。有名人になら仕方ないと思うこともあるが、一般の方でも私に根強く腹を立てていることがあるのだ。嫌い、というのとは違う。漠然とした嫌悪感ではなく、私から嫌なめにあっていたのである。
“ファン”からの手紙
最近あるイベントで地方に行った。主催者が楽屋に紙袋を届けてくれた。
「ハヤシさんの大ファンという方からです」
よく名物のお菓子をいただくことがあるので、私は有難く受け取った。が、中身は違っていた。
私はもう憶えていないのであるが、20年ぐらい前、歌舞伎を観に行ったところ、後ろの女性がかけ声をかけた。
「〇〇屋!」
「待ってました!」
ひやっとして思わず振り返った。男性だけで行なわれる(子役の女の子が出ることもあるが)歌舞伎に、女性の声は唐突である。基本的に歌舞伎座には、「大向こう」というセミプロがいて、この方たちがタイミングよく声をかけることになっているはずだ、などということを私はこの「週刊文春」に書いた。
その女性は、振り返って「睨んだ」前の席の女が、私と認識していた。そして「週刊文春」でこのいきさつを読んで確信した。
やはりハヤシマリコだったんだわ。この方はかなり頭にきたらしい。地元の業界誌にこのことを書いている。
「何年歌舞伎を見ているか知らないが、私は昔から大ファンなのだ」
しかもこの方はお金持ちらしく、贔屓する歌舞伎役者がいて、彼に尋ねる。女がかけ声をかけてはいけないのかと。するとその役者さんは言ったらしい。
「お客さまは何でもお好きなように楽しんでください」
ほらみろ、と彼女は書いている。私は正しい。
それにしてもハヤシマリコって、本当に嫌な女。何かひと言いってやりたい。しかしこの方はお年(70代)なので、ネットに投稿することは思いつかない。だが私が当地にやってくる。彼女はエッセイを書いた業界誌に付せんをつけ、紙袋に入れた。ついでに手紙も。
「自分がよく知らない世界のことを、お書きになるのはどうかと思いますよ」
ちょっと気がひけたのか、ひと口羊かん3個入りも入れて。
そして私の楽屋に届けてくれたのだ。私への恨みは、こうして20年ぶりに日の目を見たわけである。
ものを書くというのは、人のいろいろな感情を引き受けることだとつくづく教わりました、ハイ。
source : 週刊文春 2022年2月24日号