「歌舞伎は役者を見に行くものだ」とは、ある役者の言葉。幼い頃から50年以上にわたって見つづけてきた二人が歌舞伎俳優について語り尽くす。
せきようこ エッセイスト。1935年東京生まれ。58年日本女子大学文学部卒。『日本の鶯 堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、『花の脇役』で講談社エッセイ賞、『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞。他の著書に『海老蔵そして團十郎』『勘三郎伝説』『銀座で逢ったひと』など。
いぬまるおさむ 演劇評論家、歌舞伎学会副会長。1959年東京生まれ。82年慶應義塾大学経済学部卒。著書に『平成の藝談』『市川海老蔵』『「菅原伝授手習鑑」精読 歌舞伎と天皇』『天保十一年の忠臣蔵』。編著に『歌舞伎座を彩った名優たち』『歌舞伎入門 役者がわかる! 演目がわかる!』がある。
犬丸 関さんは数々の歌舞伎役者を取材し、多くの著書を出していらっしゃいますね。歌舞伎に慣れ親しんだのはいつ頃でしたか。
関 私が歌舞伎を初めて観たのは6歳の頃。戦中ですよ。父親の膝の上に抱っこされながら『仮名手本(かなでほん)忠臣蔵』を観ました。早野勘平役は十五代目市村羽左衛門、おかる役は十二代目片岡仁左衛門。父が「あの勘平という男は今に腹を切って死んでしまうから、怖かったらこっちを向いていなさいよ」と言ってね。私はあんな美しい人が死ぬのか、これはちゃんと見ておかなくてはと思って、その切腹する姿を余計に一生懸命見たんです。でも、次の七段目になると、今度は羽左衛門が平右衛門役として出てきて、「勘平は死んだ」と妹おかるに言うわけですよ。さっきまで自分がやっていた役のことを死んだというなんて、芝居とはこういうものなのかと子供心にあきれましたね。
犬丸 十五代目羽左衛門や女房役の十二代目仁左衛門を生で観ているのは羨しいなぁ。
関 私は下町の商家の生まれなので、毎月のように歌舞伎を観に行くのが習慣でした。往診にいらしたお医者さんも、最初に口にするのは歌舞伎の話題でね。当時はそれぐらい一般的な娯楽でした。ただ、私があまりに昔の舞台を見てるので、先代の(十七代目中村)勘三郎さんは飛びのいて「あんたいくつ?」って驚いていましたよ。
見どころの一つは濡れ場
犬丸 僕の初の歌舞伎体験は今からちょうど50年前、11歳のとき。国立劇場で上演されていた『東海道四谷怪談』でした。お岩役は十七代目中村勘三郎、伊右衛門役は八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)。単純にホラーを期待して親に行きたいとせがんだのですが、いざ幕が開くと、淀んだ人間関係のドラマが繰り広げられ、人の心の奥底にある不気味さをこれでもかと見せつけられて。加えて生首が転がったり、お岩の幽霊が「提灯抜け」で出てきたりと仕掛けも豊富。最後に背景の黒幕が切って落とされ、舞台が一面の雪景色にパッと変わったときには、「何が起きたんだ?」。以来、歌舞伎の虜です。
僕も関さんも、今も相変わらず毎月観ているわけですけれど、最近とくに気になる役者といえば誰ですか?
関 それはもう(十五代目片岡)仁左衛門(78)・(五代目坂東)玉三郎(71)コンビですね。
犬丸 やはり!
関 たとえば『東海道四谷怪談』のお岩さんと伊右衛門。玉三郎さんは怖い役を本当に丁寧に演じていらして、細かい心理描写が見事でした。
犬丸 お岩が黒髪を櫛で梳くと、ごっそりと髪の毛が抜け落ちるシーンなどは手元の繊細な動きだけで怨恨の情を表すわけですけど、玉三郎のそれは思わず見入りますね。そこには役者と観客、両者の集中力が一致する幸福な瞬間が訪れる。
関 一方の仁左衛門さんの伊右衛門役は、悪人でありながら色っぽい男、いわゆる「色悪」ですが、あの美しさは絵画的で、余人の及ばないところです。
犬丸 この二人といえば、昨年4月と6月、上・下に分けて36年ぶりに二人の共演で上演された『桜姫東文章(あずまぶんしよう)』も眼福でした。
関 桜姫、小悪党の権助(ごんすけ)、高僧・清玄(せいげん)の、男女3人の愛憎劇ですね。色っぽさとエロティシズムは年齢を感じさせません。
犬丸 久しぶりに再会した権助(仁左衛門)と桜姫(玉三郎)が肌を合わせる場面は実に官能的で。帯を解いて抱き合う二人を隠すようにスルスルと御簾が降りると、客席からは「はあ〜」「終わっちゃった」と得も言われぬ溜息が漏れていた。実際は70歳過ぎの男同士が抱き合っているわけですが(笑)。
関 そういう二人が抱き合って、それが美しく見えるか醜悪に見えるかは、真価が問われるところですね。あの場面の雰囲気は、二人がそれぞれに長年精進してきて、到達したものがぶつかり合って生まれたもの。だからこそ私たちは、嘘だとわかっていても、喜んで騙されて陶酔する。
犬丸 これに限らず、濡れ場は歌舞伎の大きな見どころの一つです。
関 『小猿七之助』では、滝川という奥女中がならず者の小猿七之助に犯されますが、肝心な部分では二人は舞台の上手に引っ込み、観客には見せません。そして長い時間の後に二人がしどけない格好をして舞台に出てくる。男は下帯を締め直したりしながら。こういう表現はとても色っぽい。
犬丸 欲を言えば、最近はそういう場面も少し綺麗になり過ぎてしまっています。明治から昭和にかけて活躍した七代目澤村宗十郎は“江戸和事の名人”と言われた人でした。その演技について孫の九代目宗十郎が回想で、こんなことを言っていました。「今の役者は事を終えて奥の一間から出てくるとき、シャワーを浴びたかのように、肝心な部分は濾過されてしまって出てくる。そこを七代目は、いかにも終えた直後そのままに出てきたようだった」。当時の役者は、今よりもっと生々しさがあったのでしょう。
関 体臭が感じられるようなね。今は清潔で、役者さんも甘い顔の方が多い。
犬丸 女方もいかにも女性といった綺麗な人が大方ですね。昔はしゃがれ声の女方もいて、それでも不思議と違和感はなかった。
「男が演じている女」の色気
関 七代目尾上梅幸さん(尾上菊五郎の父)は、「昔の女方は男であることを隠さなかった」と仰っていました。女方でも内股でなく外輪(そとわ)で歩いていて、そこに「男が演じている女」という、女とは別の異様な色気が出るのだと。ゆえに女の客は酔えるわけですね。完全に女になってしまったら、女性客の御贔屓が付かなくなってしまう。だから私は玉三郎さんの綺麗な桜姫も好きだけれど、『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)(お染の七役)』の土手のお六のような、伝法な悪婆が好きなんです。倒錯の色気が濃厚で。
犬丸 この濡れ場のように、歌舞伎はひとつの局面をクローズアップしますね。本来なら凄惨な殺しのシーンも、三味線や鳴り物の音楽に合わせて様式的な美を演出して「殺し場」という見せ場にしてしまう。まるで時間を引き延ばしているかのような見せ方をします。「見得」や「だんまり」も然り。ある瞬間を意図的に誇張して、そこに人間の真実を表現する。これは海外の演劇ではあまり見られない、歌舞伎ならではの面白さではないでしょうか。
関 瀕死の状態の人を陶酔的に見せるのもそうですね。『忠臣蔵』の塩冶(えんや)判官や勘平は腹に刀が刺さった状態で沢山喋りますけれど、歌舞伎には他にも死にかけている人が物言う演目が多くある。ただ、これは『椿姫』や『ラ・ボエーム』などオペラでも見られますね。死にかけている人がとにかくよく歌う(笑)。でもそんな倒錯的な部分にハマると、見ずにはいられなくなる。
犬丸 ある瞬間の時間の引き延ばしといえば、思い出すのが六代目中村歌右衛門。『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきようのにしきえ)』で、尾上という奥女中が古株の岩藤という怖い奥女中にさんざん草履で打たれ、死ぬ覚悟を胸に去っていく場面があります。尾上役の歌右衛門は、この花道を本当にノロノロとゆっくり歩いて引っ込んだ。子供心に「長いなあ」と思いましたが、今はその凄味がわかる。人間の心の奥底を肥大化して見せるクローズアップの技法なわけです。
関 以前は歌舞伎座の前に甘栗屋さんが出ていたんです。冬の晩など、「歌右衛門さんが出ているときは閉演時間が遅れるから寒い」と(笑)。でもその引き延ばされた長い時間、客を引き付け続ける。そういう不思議な雰囲気がある怪し気な娯楽ですね。ただ、やはり注目すべきは役者でしょう。二代目中村又五郎さんは「歌舞伎というのは役者を見に行くものだ」と仰っていました。好きになった役者を中心に観始めると、その人につられてどんどん歌舞伎の世界に入っていけます。犬丸さんは、長いこと観てきたからこそ気になる役者はどなたかいらっしゃる?
犬丸 今観ておくべきだと思うのは、尾上菊五郎(79)。尾上家は代々、型を守ることを大事にしています。明治の名優五代目菊五郎は夫婦喧嘩の最中に、奥さんに向かって「それじゃあ形が悪い」と言ってやり直させたという逸話が残っているほど。『忠臣蔵』六段目の勘平の型を完成させた人です。今の菊五郎はこれまでその型通りにピシッと決めてきて、それはそれでとても美しかったんですが、齢を重ねてそこに性根が乗っています。型が消えて斬れば血が出る生身の早野勘平が立ち現れている。悩み抜き追いつめられて自害する様などは、見ていて鳥肌が立ちます。型を突きつめた先にこそ人間ドラマは生まれるのだということを、今の菊五郎は見せてくれます。若手女方なら尾上右近(29)もいい。
役者で肝心なのは“声”
関 ああ、彼もいいですね。印象深いのは『櫓(やぐら)のお七』のお七役。この演目は途中から、人形浄瑠璃の人形のような動きを見せる「人形振り」という演出がありますが、彼はそれを情感たっぷりに演じていて。幕が引かれた後も拍手が鳴り止みませんでした。
犬丸 彼がブレイクしたきっかけの一つがスーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』。怪我で休演した(四代目市川)猿之助の代役を立派に務めて。
関 普段からよく勉強しているということが、あそこでわかりましたよね。
犬丸 あと注目株は中村鷹之資(たかのすけ)(23)。人間国宝の五代目中村富十郎が69歳のときのお子さんで、鷹之資は11歳で父を亡くしたわけですが、すっかり青年俳優に成長した。『三社祭』など踊りの確かさには目を瞠ります。市川團子(だんこ)(18)、市川染五郎(17)、尾上左近(16)らが後に続きます。
関 世阿弥は「(演劇役者というものは)一声二振り三姿(すがた)」と言いました。役者は顔や姿が良いことも大事だけれど、肝心なのは声。劇場の3階の隅まで届くようなよく通る声、また陰で言葉を発しても、それが誰であるかすぐにわかるような特徴のある声を持っている役者が一番だと。富十郎さんはまさにそんな声を持っていましたが、鷹之資さんにはその血が受け継がれています。こんなふうに、歌舞伎は、親、その子供、孫と代々にわたって見続けられるところも面白さのひとつです。
犬丸 関さんは『中村勘三郎楽屋ばなし』で十七代目、『勘三郎伝説』などで十八代目の話をお書きになった。そして六代目中村勘九郎(40)、二代目中村七之助(38)、さらに勘九郎の息子である勘太郎(11)・長三郎(8)と、中村屋だけでも四世代にもわたって見ていらっしゃるわけですものね。勘九郎、七之助は芝居巧者で華もある。とくに勘九郎には父にはない陰影があって、それが良い味になっています。コクーン歌舞伎の『天日坊』では、いかにも異端児・傾ぶき者といった迫力ある舞台姿で。そして勘太郎・長三郎。彼らを観ていると、教えられた通りに演るのではなく、自ら「こんな風に解釈してみましたがどうですか?」と堂々と主張している。芝居が大好きなんでしょうね。
関 同じ世代では尾上丑之助君(尾上菊之助の長男・8)も立派ね。
犬丸 そうですね! 『盛綱陣屋』の小四郎役など、母方の祖父である故(中村)吉右衛門の面影もあって。小四郎は父・高綱を守るため、戦場で討ち取られた偽の首を見て「父様(ととさま)!」と叫び、子供ながらに切腹をします。その姿に情を感じた伯父の盛綱は偽物だとわかりつつ「高綱の首に間違いない」と言うのですが、その言葉を聞いた瞬間に小四郎はホッとして顔を伏せる。役の性根をきちんと押さえていますし、その後の長い述懐シーンも痛々しさが伝わってきましたよね。
今は、市川右近(12)、寺嶋眞秀(てらじままほろ)(9)、堀越勸玄(かんげん)(9)、坂東亀三郎(9)、小川綜真(そうま)(6)、小川大晴(ひろはる)(6)と子役世代が充実していますね。
最大の痛恨事を乗り越えて
関 はい。他にも芸域が実に広い松本白鸚(79)・幸四郎(49)親子もいいですし、尾上菊之助さん(44)も播磨屋の当たり役に一生懸命挑んでいます。尾上松也さん(37)は甘いマスクと人柄の良さで、今後一層人気が出てくるでしょうし。
犬丸 それだけ役者の層が厚いと言えますね。2012年から13年にかけて、勘三郎と十二代目市川團十郎が相次いで亡くなったのは、歌舞伎界最大の痛恨事でした。いままた坂田藤十郎、吉右衛門の死という危機を乗り越えるべく若手が奮闘しているといえます。関さんが見守っていきたいと思う役者をあえて一人だけあげるとすると、誰ですか?
関 それはもう、市川海老蔵さん(44)です。
犬丸 市川團十郎の襲名が待ち望まれていますね。市川家は歌舞伎界で唯一「宗家」と呼ばれる家で、團十郎といえば歌舞伎の「神木」のような存在。彼は「海老さま」と呼ばれた祖父十一代目團十郎の陰翳と、明るく大らかな人格者であった父十二代目團十郎の稟質(ひんしつ)を受け継いでいる。新之助当時の助六役は衝撃的でした。
関 毀誉褒貶が多い人ではありますけれど、歌舞伎界のスターとしてふさわしい容姿を持ち、スカッとしたオーラを放っていますね。
十五代目羽左衛門、十一代目團十郎のように、歌舞伎界というのは、その時代の一人の大スターを中心に回る。そのスターが歌舞伎界を引っ張っていくわけです。團十郎襲名の重圧は相当なものでしょうが、海老蔵さんにはその重責をしっかり担ってほしい。そのためにも、彼には時代物の三大狂言と言われる『忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑(てならいかがみ)』『義経千本桜』をきちんと演じてもらいたい。尾上菊之助さんや尾上松緑さん(47)たちとの幅広い共演をぜひ観てみたいですね。
犬丸 それはもうぜひ!
source : 週刊文春 2022年5月5日・12日号