大学3年の夏から始まった就職活動と、その後の話をしたい。
2007年の夏。気温とともにグングン上昇していた僕の意識はいよいよ沸点に達して、ここぞとばかりに就職活動のスタートを切った。当時のスピード感でいえば友人たちより3〜4カ月ほど早い始まりだ。何故か。他にやりたいこともなかったし、さっさと内定を出して一目置かれる存在になりたかったのだ。完全に見栄である。
私大文系に通う典型的な男子大学生だった。就活で使えそうな手持ちのカードは「ゼミ」「サークル」「アルバイト」くらいで、いずれも役職はナシ。努力すれば何事も70点くらいは取れるが、100点は一度も取ったことのないような人生を歩んできた。
これといって面白いエピソードも出てこないから、とにかくスタートダッシュを早く切って、デカい企業に入って100点取ってきた奴らを見返してやろう。そんなちっぽけなプライドだけで就職活動を走り抜けた。
結果、内定は5〜6個出た。飲み会で鍛えたコミュニケーション力と、無駄に高い意識は人事のおっさんたちにウケた。ほぼ迷わず、第一志望の企業に入社した。100年以上の歴史があり、従業員がグループ全体で4万人もいる一部上場の大企業。
「すげえじゃん」「流石だね」報告するたびに返される軽い賞賛で、安い承認欲求は満たされた。僕の社会人生活「0歩目」は、実に華やかなものだったのである。
配属2日目で始まったリアル・リアル脱出ゲーム
「君、実は総務部なんだけど」
2週間くらいの全体研修を終えて、同期400人の配属先が発表され、バラバラになった翌日のことだ。20人くらいになった同じ事業所の同期とどうにか仲良くなろうと必死になっていた帰り道に、先輩社員に声をかけられた。別室に連れていかれると、突然の死刑宣告を受ける。
「え、だって、この事業所で、働くんじゃないんですか?」「ええ、総務部としてね」「いや、でも、配属希望に総務なんて、なかったですよ?」「うん。それでも毎年4〜5名くらい、総務になるんだよ」「なんで、僕なんですか?」「それは、人事が決めたことだからわからない」「でも、僕、営業とか企画の方が、向いていません?」「じゃあ、それ以上に総務が向いているって判断されたんだね」
待って。待って。待ってください。
就職活動のときに散々「志望動機」とか「入社後のイメージ」とかを聞いてきたくせに、配属希望シートにもなかった「総務部」になった。この数年で築いてきた「企画力にあふれたクリエイティブな営業として社内外問わず多くの人から頼りにされる存在になる」という曖昧かつ意識の高すぎた星屑のような目標は、どう転んでも実現する可能性がなくなったのである。
ここであらかじめ伝えておくと、この記事は、総務部になった僕が転職してライターとなり、あのとき僕を総務部に配属した古巣の企業に復讐を果たすことが目的のものなどではない。「自分の予想だにしていなかった部署に配属されたとき、どのようにモチベーションを保つべきか」と迷いを持っている後輩たちに向けて、助けとなるような話をしたいのだ。いや、しなければならないのだ。
話を戻す。真の配属先が「総務部」であることが判明したその夜、僕はどのようにして意欲を保ったか。僕がとった行動はただひとつだ。転職サイトに登録した。「自分の予想だにしていなかった部署に配属されたときに、モチベーションを保てるか」。答えは「ノー」だったのである。
だって、夢とか目標に続いていそうな道が、いきなり目の前で閉ざされるのだ。そんなことをされて「ハイ! じゃあ気持ちを切り替えてここで60歳まで頑張ります!」とか言えたら、それはもう恋人か家族が人質に取られてるとしか(当時の僕には)思えなかった。
ともかく、どうしたらこの部署もしくは会社から抜け出せるか。リアル・リアル脱出ゲームが始まったのは、配属先決定2日後だった。
そして、僕が会社から脱出できたのは、そこから5年が経ったころだった。
「減点方式の仕事」と、毎日舞い込んでくるトラブル
細かな業務内容まで書けないが、人事部や労務部、総務や経理、財務、管理などと呼ばれる部署は「バックオフィス」とか「スタッフ部門」と呼ばれて、カッコよく言えば経営のために人を配置したり、教育したり、環境改善したり、お金を管理したりする大事な部門だ。
でも、それらの部門の仕事は大体が「できて当たり前。できなかったら、怒られる」という減点方式で構成されていて、目立ったクリエイティブは求められない代わりに、ずっと100点を取る技術が求められるようなことが多かった。
たとえば、社内で研修があり、その会場に向かったとする。座席表に従って、指定されたテーブルに着く。はい、そのテーブルと椅子と座席表、誰が事前に用意したのでしょう? 正解は、僕ら総務部です。
といったことが、業務のひとつにカウントされている。朝8時から会議があったら7時半には机のセッティングを終えたい。そしたら何時に出社なんだっけ? といった予定がToDoリストにちょこちょこ入ってくる。
さらに、事業所にいる2000人くらいの従業員が、「トイレ詰まってるみたいなんだけど」とか「電気切れちゃって」みたいな連絡をしてくることもあれば「これってセクハラじゃないですか……?」とか「会社辞めたいんです……」なんて駆け込んでくることもあるし、「現場で倒れた人がいるから救急車呼んでくれ」とか、とにかくいろんなトラブルが毎日起きるので、「今日はこれをやろう」と朝思ったことが、何もできないまま夜を迎えた日も少なくなかった。
当然、「できて当たり前」の仕事は、予定通りには終わらない。しかも、細かな作業が得意ではなかった僕はミスを連発し、しょっちゅう怒られた。怒られすぎたせいか「またお前か」的な空気が職場に流れても、みんな平然と仕事をするようになってしまった。
超ハードな環境だったのに、先輩たちはうまく仕事をさばいて終わらせていた。真似しようと思っても、できないスピード感だった。何が自分と違うのかも、よくわからなかった。正直、向いてないと思った。
一度「仕事ができない人間」を自覚すると、会社員生活は一気に負のスパイラルに陥る。
「ここからまた頑張ればいいんだ」と思っても、別に仕事はリセットされないし、ゼロから始まってくれるわけでもない。昨日、一昨日、先週、さらにその前から積まれてきた負債の山が、「ほら、お前はこんなに仕事ができないんだぞ」と現実を突きつけてくる。これがなかなかしんどい。
気持ちを切り替えることができないから、作業効率は落ちるし、またミスを生む。そして怒られて、さらに大きな「仕事ができない人間」像が膨れ上がる。こうして、「使えない人間」が誕生する。
「あー、もう、無理だ」
そう思って、ロッカールームで何度か泣いたことがある。帰宅後にシャワーを浴びながら泣いたことは、それ以上に多い。
それでも辞めなかったのは、いくつか理由がある。ここまで読んでくれてありがとうございます。やっと次が、本題です。
しんどくても、5年続けられた理由
出鼻を思い切り挫かれた社会人人生。それでもどうして総務部をやめなかったかというと、イヤイヤ働いているうちに、スタッフ部門だけの魅力に気づけたからだった。
ひとつは、総務部が「経営者サイドの人間」として働くこと。
営業部門はたぶん、1カ月あたりの売り上げや繁閑を考えて行動することが多いけれど、総務部やスタッフ部門は、時に数年後の経営状況を考えて行動する。また、会社の動きを年間単位で追いかけて考える。この規模感が、まるで大きなロボットを運転しているような気分になれて、おもしろい。そう思えたのは、4年半ほど勤務してからだった。遅い。遅すぎるくらいのタイミングで気づけたやり甲斐だった。
もうひとつは、どれだけクズで、仕事ができない自分でも、長くやっていると頼ってくれる人が出てくること。
総務の仕事なんて、言ってしまえば誰でもできる。同僚は同じグループにも5〜6人はいたから、依頼先なんていくらでもあるのだ。でも、その中から自分を指名して、相談に来る人がたまにいた。
「お前は過剰サービスしすぎだから、自分の仕事が終わらんのだ。時には適当にあしらって返せ」とよく部長に言われたが、「できて当たり前」の仕事ばかりのなかで、営業や企画部門の人間が相談に来る内容は、稀に刺激的でおもしろいものがあった(得意先の商品を福利厚生としてうちで買えないか、とか、面倒臭そうなのも多かったけれど)。
そして「ほかの人だとなんか怒られそうだから、お前に相談するんだけどさあ」とか言われると、それだけで自分の存在意義が生まれた気がして、なんとか1日を乗り越える気力になったのだった。
ひとつめのやりがいに比べたら、ふたつめは極めて小さな話だ。でも、当時の僕にとってはこっちの方が自尊心を保つうえでは大切だった。何故か。バックオフィスだけじゃない。多くの仕事は、「あなたじゃなきゃダメ」と言われるシーンなんて本当に稀で、人って案外、そんな言葉ひとつで涙が出たりするほど、感動したり頑張れたりするものだからだ。
それでもやりたいことがあったら、やめていい
ほかにも、「総務を経験してよかった」と思うことは、辞めてからたくさん出てきた。
たとえば、僕の働いていた事業所には本当に多くの社員がいて、その半数以上の人と直接話をした。その結果、「この人は、あの人に雰囲気が似ているから、こういうことを言えば距離を近づけるかも」といった具合に、仕事のやり取りをする際に、相手の求めていることがなんとなくわかるようになった。これがライター職になってからもまあ使えるテクニックになっている。
ほかにも、大企業を経験したおかげで、クライアントの事業規模を聞けば、だいたいどんな職場なのか想像がつくようになった。ひとつの案件で承認を得るために必要な人数がどのくらいなのかなんとなくわかるから、大企業ならではのフットワークの重さに、あまりイライラしなくてすんでいる。
そんなわけで、働いていた当時は本当に使えない社員で、とにかく毎日が嫌で嫌で、しんどくてたまらなかったのだけれど、それでも得るものがあったし、学ばせてもらえたことは多かったから、僕はあの5年間を総務部として過ごしたことをあまり後悔しなくて済んだ。同僚や上司に恵まれたのも、大きかった。
では、何故辞めたかというと、それでもやっぱり、僕には総務の仕事は合わなかったし、ほかにやりたいこと(クリエイティブなことがしたい!)が漠然とあって、その火が、五年経っても消えなかったからだ。
ちょうど来年で、総務部歴とライター歴が、並ぶことになる。
新卒で入った会社を辞めたときはどうなるかと思ったし、キャリアがゼロから再スタートすることに焦りもあった。けれども、なぜか全く違う職種であるはずの総務部とライターに、共通して使えるノウハウがチラホラとあった。そこで、大体の仕事はなんだかんだ言ってつながっているから、そんなに怖がるものでもないのだと思えた。
バックオフィスは、やりがいに溢れまくった仕事ではない。それでも、きっとバックオフィスからしか見えない景色があって、それを少しだけでも楽しめる日がいつか来る。また、もしも辞めることになっても、苦しかった経験から身についたさりげないスキルが、自分を助けてくれるときがくる。そう考えたら、減点方式だったあの仕事に追われた日々も、なんだか価値ある時間に思えるものなのだ。
この記事を書いた人
カツセマサヒコ
自営業。1986年東京生まれ。編集プロダクションでのライター・編集経験を経て、2017年4月に独立。取材記事や小説、エッセイの執筆・編集を主な領域としつつ、PR企画やメディア出演など活躍の場は多岐に渡る。特に20代女性に向けたコンテンツに定評があり、SNSで話題に。趣味はスマホの充電。
Twitter:@katsuse_m