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仏教の「縁起」を理解すれば、失恋の傷は秒で癒える!かもしれない

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仏教の「縁起」を理解すれば、失恋の傷は秒で癒える!かもしれない
仏教の「縁起」を理解すれば、失恋の傷は秒で癒える!かもしれない
稲田ズイキ「罰当たりなほどにユルくてポップな仏教トーク」

思い返せば、フラれてばかりの人生である。

一応言っておくけど、僧侶だって当たり前のように恋をして、当たり前のようにフラれる。坊主 meets girl、尼僧 meets boy、他諸々。「失恋の数だけ人は強くなる」なんて言うが、僧侶の場合は「失恋の数だけ説法が増える」のだ。

大学生の頃、付き合って6時間でフラれたことがある。0時にカラオケボックスで告白してOKをもらい、オール後の朝6時に突然「なかったことにして」と告げられフラれた。僕は楽しく『デジモンテイマーズ』のOP曲を歌っていただけだったのに。

『ガンダーラ』を入れるべきだったのか、はたまた『なんまいDUB』を入れるべきだったのか。すまんブッダ、少し浮かれてしまった。

僧侶、失恋する。これまで何度もこの世の諸行無常を悟った瞬間がある。
今回は失恋から、仏教の重要な考え方の一つ「縁起えんぎ」を読み解いていきたいと思う。

くりかえされる恋の輪廻

この地球上どれだけ探してみても、フラれる場面以上に、自分の煩悩が揺さぶられるシーンは存在しないだろう。

「好きです。付き合ってください」

「う〜〜〜〜〜〜ん、ありがとう。すごく嬉しいんだけど、なんていうか、今の関係を壊したくないというか。友達っていうか、家族というか。一緒にいればいるほどそういう感情になってきてしまって……」

なにこの既視感? デジャヴュ? 『テラスハウス』でも展開されてたよね、このエンドレス「いい人で終わる」ループ。
欲しいものが得られない煩悩。それでも僕らは恋の輪廻に再び足を踏み入れてしまう。

僕の数少ない経験でも、これまで、恋愛関係の解消含めてフラれた理由は、多岐にわたる。

「昔の彼氏を思い出した」
「重い」
「今忙しいから恋愛している場合じゃない」

その度、律儀に悩んできた。「重い」と言われた日には、もしかして自分は無自覚に重い男なんじゃないかと反省した。でも考えてみると、LINEも毎日してないし、デートだってまだ数度しかしてない。っていうか、付き合ってすぐに僕が修行に入ったから、ここ1ヶ月は一切連絡をしてなかったじゃん!?(俗世間離れした事情)

恋は理不尽すぎる。好きだった人に承認されていたあの時の気持ち、あなたさえいれば他にはなにもいらないと思えたあの万能感。そのすべてがたった一言「重い」で崩壊する。なにそれ、なんてバルス? 

恋、無理ゲー問題。なぜ恋はこんなにも理不尽に儚いのだろうか? そしてなぜこんなにも胸が苦しくなってしまうのか。
実は、その答えは仏教の「縁起」という言葉で全て説明できてしまうのだ。

「こいつぁ春から縁起がいいわぇ~」じゃないですからー!

「恋」と聞くと、何か日常生活に突如として現れた石碑のように確固としたものを想像する人もいるかもしれない。
でも、恋は物質ではなく、状態である。その輪郭線は絶え間なく揺れているし、その構成物は絶え間なく入れ替わり続けている。
後述するが、「恋」とは決して不変のものではなく、無数の条件のもと、さまざまな要素が相互に関与し合って成り立っている一つの「現象」に過ぎないのだ。

こうした成り立ちのことを仏教では「縁起」という。現代で「縁起」と聞くと、

・茶柱が立つ
・初夢で一富士二鷹三茄子を見る
・音楽のランダム再生で、倖田來未の次にmisonoが流れる

といったシーンを想像するのではないだろうか。
「縁起がいいわねぇ」もしくは「縁起が悪いわね」といった意味合いで使われることが多い。つまり「運勢」のような意味だ。

しかし、これは仏教の「縁起」とは、関係のないもの。そもそも仏教には「運勢」といった概念は存在しない。
例えば「仏滅」とかよく言うけど、由来は仏教とは全く関係がなく、ただの当て字なのだそう。「日々是好日」という禅語もあるように、仏教では毎日が最高、毎日がエブリデイなのだ。

「縁起」とは、お釈迦さま(a.k.a.ブッダ)が「人生マジ思い通りにならねぇ、きっつ〜〜〜」と僕たちのように悩み、長い修行の果てに気づいたもの。

すなわち、「全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立している」という真理のことである。結果に対して、直接的な原因のことを「」、間接的な条件のことを「」といい、すべてのものは独立して存在せず、因と縁によって成り立っていることを「縁起」という。
恋も、「好き」という感情を「因」として、様々な「好き」条件の「縁」のもとで成り立っている現象だと言える。

仏教ではあらゆるものが「諸行無常」だと説かれる。この世の全ては不変ではなく、目の前のポテチでさえも1秒2秒と経つごとに目には見えないレベルで変化しているのだと。それもすべてのものが縁起の上に成り立っているからである。

さまざまな要素が「縁よりて起こる」のが恋

恋愛関係がどのように成り立っているのか解析してみると、少なくとも必ず存在するのは、私そして君の「好き」という感情だ。互いの「好き」が磁力のように惹かれ合って、恋という現象は成り立っていると言える。

でも、その「好き」という感情は厄介。一回自分の心に聞いてみてほしいんだけど、「好き」って感情、もうめちゃくちゃに動いてませんか? 自分の「好き」指数、安めのルンバかよってくらい、ハチャメチャだったりしませんか?

性格、ファッション、ルックス、職業、年収、趣味、特技、首筋の匂い、一人称が「わい」であること、料理はできるか、直近で何を買ってくれたか、将来結婚してくれるか、お風呂場でおしっこはしないタイプかなど、自分でも把握できない無数の条件の上に「好き」は立っている
そして、その条件も増えては消えて、たちまち入れ替わったり、例えばもともと醤油顔が好きだったが、星野源に惚れ込み、突然塩顔が好きになることもある。とばっちりを受ける醤油顔彼氏。恋の足元はグラグラだ。

著者による「恋愛縁起」の図。お風呂場おしっこ問題は重要だ。著者による「恋愛縁起」の図。お風呂場おしっこ問題は重要だ。

だから、恋は無常だ。突然「重い」とフラれてしまうし、突然恋が冷めてしまうことだってある。

教えてブッダ! 「恋」を仏教的に解析してみる

もしも2500年の時を経て、ブッダに恋バナを相談してみたらどうなるだろうか。

僕「なんか突然フラれちゃったの、マジありえなくなくなくない〜〜〜?」
ブッダ「いや、ありえなくないからwwwww」
僕「えっ、急に『重い』ってかまされたんだよ? ありえないっしょwwww」
ブッダ「どんだけ愛してても、出会ったからには絶対いつかは別れるっしょ、マジ『愛別離苦』だかんねこの世は」

ブッダならこう言うにちがいない。つまり、生きている以上、誰だって失恋する可能性はあるということだ。

「ハァ? うちらの恋愛ナメんなし?」とプリクラに「FOREVER」と落書きしたくなる気持ちを抑えて、ここで仏教の解釈に耳を傾けてみてほしい。

恋とは、自分と相手、そしてそれを取り巻くあらゆる人・もの・観念がお互いに影響を及ぼし合った結果、たまたま、「恋」という状態が成立していただけである。でも、恋は盲目とはよく言ったもので、僕らはその状態を永遠だと信じていたり、続くはずだった未来を想像してしまう。それなのに決して結ばれない現実とのギャップに胸を痛め、心のモヤモヤが生まれてしまうのだろう。

もう恋なんてしないなんてダメ。ゼッタイ。

失恋がなぜあんなに苦しいのか、なぜあんなに胸がキュゥっと締め付けられるのか、それは刻一刻と移り変わる「因」と「縁」によって、かろうじてそこにある「恋」という状態のものを、僕たちがあたかも不変なものとしてとらえてしまうことから生じているのだ。

恋は儚い。そんな誰もが薄々わかっていた事実を「ソース:ブッダ」で証明してしまった訳だが、でも決して、もう恋なんてしないなんて絶対言わないでほしい。

思い返せば、フラれてばかりの人生であった。でも、すべてのものが縁起の上に立っているのであれば、数多の失恋を経て今の自分が構成されている。

あの人と過ごした時間、あの時の気持ち、フラれたことでさえも、一つとしてなければ今の自分は成り立っていない。あの日の「重い」があるからこそ、僕は今ここにいるのだ。
自分も縁起の上に立っているのであれば、辛いことも悲しいことも嬉しいことも、1秒前の過去はすべて自分。無駄な時間なんて一つもないことに気づく。

過去に執着することは苦しみを生むけれど、過去があるから今がある、そうやって今の自分の立つ位置を確かめれば、新たな一歩につながるはずだ。
大切なことは、すべてが移ろいゆく世界だからこそ、今を大切にすること。
新たな恋は今あなたが立つ縁起の上に、ひっそり見つかるかもしれない。

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