プロフィール
中野を笑顔輝くまちに 甲田ゆり子
甲田ゆり子(甲田百合子)プロフィール
■ 住所
中野区上高田2丁目14-8 エルウィング上高田202
■ 所属委員会
・(常任委員会)子ども文教委員会(副委員長)
・(特別委員会)危機管理・感染症対策特別委員会
■ 党役職
・公明党新井支部 支部長
略歴
- 1970年(昭和45年)
- 3月6日中野区に生まれる
- 1970年(昭和45年)
- 中野区立新井保育園に入園
- 1973年(昭和48年)
- 中野区立沼袋保育園に転園
- 1982年(昭和57年)
- 中野区立新井小学校卒業
- 1985年(昭和60年)
- 中野区立第五中学校卒業
- 1988年(昭和63年)
- 都立鷺宮高校卒業
- 1990年(平成2年)
- 創価女子短期大学(経営科)卒業
- 1990年(平成2年)4月
- 明治生命保険相互会社入社
一般事務職員として20年8か月勤務
この間、会社の合併で明治安田生命保険相互会社に - 2010年(平成22年)11月
- 退職
- 2011年(平成23年)4月
- 中野区議会議員初当選
- 2011年(平成23年)5月~
- ◆厚生委員会・副委員長 ◆地域支えあい推進特別委員会・委員
- 2013年(平成25年)5月~
- ◆子ども文教委員会・委員 ◆震災対策特別委員会・委員
2019年(令和元年)5月~
2021年(令和3年)5月~
甲田ゆり子について
- ■家族
- 夫と2人暮らし
- ■ 性格
- 穏和、沈着冷静、正義感が強い
- ■ 尊敬する人
- マリー・キュリー
- ■ 好きなこと
- 旅行、グルメ、お笑い、演劇鑑賞
- ■ モットー
- たくましき楽観主義
- ■ 心がけていること
- 人の良いところをみる
- ■ 中野の好きなところ
- 中野通りの桜、平和の森公園
甲田ゆり子物語
- ゆり子は、昭和45年3月6日、中野区沼袋に二人姉妹の長女として生まれました。
経済的には豊かではありませんでしたが、いつも、にぎやかで地域の人達も自然と集まるような家庭で育ちました。
母はいつもゆり子に「お金がなくたって、人がこうして集まって来てくれる事が、かけがえのない財産なのよ」と言ってきかせました。 - 父はゆり子にいつも「人の役に立つ人になりなさい」「本を読みなさい」と言って、本だけは無理をしても買ってくれました。
子どもの頃の愛読書はエレナ・ポーター作の「愛少女ポリアンナ物語」。
どれだけ苦しい状況でも、「良いこと探し」をする少女の物語です。
「たくましき楽観主義で」というモットーもこの物語から影響を受けました。 - 中野区立新井小学校、中野区立第五中学校、都立鷺宮高校と高校まで中野区を出る事なく、生粋の中野っ子として育ちました。
いじめがあったら放っておけない正義感の強い女の子でした。
また、演劇が好きで、小学校では「ヘンゼルとグレーテル」、「おり姫とひこ星」などで主役をつとめました。
中学では演劇部に入部すると、演じるだけでなく脚本や監督も行い、部員一人一人と対話をしながら一つの作品を作りあげていく感動を何度も経験する事ができました。
高校卒業後は、創価女子短期大学経営科に4期生として入学。
合唱部に所属。縁下の力持ちとして、コンサートの舞台づくりや運営を中心者となって行なってきました。 - 短大を卒業後、平成2年に明治生命(現在は明治安田生命)渋谷支社に事務職として入社。
入社当時は、ミスの許されない厳しい職場環境の中で、涙を流す事も何度もありましたが、絶対に職場でなくてはならない人になろうと決め、ひとつひとつ努力を重ねてきました。 - そんな矢先、ゆり子が22歳の3月に父が脳梗塞で突然倒れ、平成4年4月2日に、満開の桜と多くの人に見守られ他界しました。この時、7つ年下の妹は中学を卒業したばかり。その後、父の代わりにゆり子が一家の大黒柱という思いで、家族の家計を助け、妹の高校、看護学校の学費も支えてきました。
そして、妹も看護学校卒業後、看護師として社会で立派に活躍できるようになりました。 - そして、一層仕事に励み、社員やお客様からのたくさんの質問や要望に応えられるようになり、後輩に仕事を教えるリーダーへと成長しました。
また、送別会・忘年会などの時には、いつも幹事役を自らかってでました。
人を喜ばせることが大好きなため様々な企画や気配りを重ねることで同僚から「甲田さんが企画した会は楽しい」と言われました。 - 陰に陽に会社の為に尽くす姿勢が認められ、支社全体の事務職員を指導する立場を与えられました。
そして、「もっとお客様を大切に!」という会社の運動である「もっと!MOT運動」では当時の所属であった武蔵野支社約400名の社員の代表として、運動の計画、実行の中心となって活躍。2008年は社長賞、2009は特別社長賞を受賞する事ができました。
保険という目に見えない金融商品を扱うサービス業において、「お客様を大切にする」「ホスピタリティ」の精神と行動を学びました。 - 平成22年11月、20年8ヶ月勤務した会社を退職し、中野区議会議員に立候補する事となりました。
ワークミセスの経験と、大企業の中でも厳しい第一線の現場で仕事をしてきた経験を生かし、生まれ育った地、大好きな中野区の為に全力で働くことを決意しました。 - 平成23年4月の選挙。前月の3.11に東日本大震災が起き、当日の夜と翌日は、心配な一人暮らし高齢者のお宅を一軒一軒廻って歩きました。より一層の防災力の強化と地域の支えあいの必要性を強く感じ、さらに、区民の生命と財産を守るとの決意をいよいよ深く自覚しながら、責任ある立場を引き受けさせていただくことを地域に訴えてまいりました。
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平成27年4月26日、二期目の当選。表示