はじめに
私はギャンブル依存症です。
日本には簡単にギャンブルができる環境が整っていて、ご存じの通りカジノの計画も進んでいます。
パチンコ業界は衰退してきているとはいえ、公営ギャンブルがなくなることはないでしょう。
ギャンブルの弊害はたくさんあるのに、おそらくこの流れは止まりません。
その現状をどんなに恨んでも、憎んでも、ギャンブルをやめることにはつながらないように感じます。
ギャンブルをやめたくても
私は何年もギャンブルをやめられずに、同じことを繰り返してきました。
「ギャンブルをやめたい。やめなきゃいけない。」
何度も何度もそう思ってきました。でもやめられなかった。
それは、簡単に大金を手に入れた快感や興奮は忘れられないから。
もちろん今も完全に忘れてはいません。
それに、経験者の方はわかると思いますがパチンコやスロットの演出って本当によくできてるんです。
射幸心を煽る演出を考えるプロが作っているわけですから当たり前といえば当たり前ですが。
そして、やめたいのにやめられない状況になった多くの方がこう思うんです。
「パチンコ屋なんか潰れてしまえばいいのに!」
「パチンコ・スロット業界が憎い!」
ギャンブル依存症の多くの方が覚えがあるのではないでしょうか。
でも、私個人の意見ですが、この憎しみだけではギャンブル欲から逃れるのは難しいと感じています。
自分の選択
スリップを繰り返していた当時の私は「パチンコ業界が憎い」という負の感情でいっぱいでした。
「自分の人生がこんな状況になったのはパチンコにはまったせいだ」とまで思っていました。
今思えば、これとんでもない逆恨みなんですよね。
私はパチンコを強要されたことはもちろんありません。
自分で行こうと決めて、自分でお店へ行って、自分でサンドにお金を入れて・・・。
確かに依存症は脳の病気で、自分の意思とは関係なく行動してしまう病気です。
でも、パチンコ業界やそれを容認している世間を叩いていいのは巻き込まれたご家族だけだと思います。
じゃあどうする?
自分を責めすぎることで、下手したら他の精神疾患が併発する可能性もあります。
でもギャンブルを憎むのは自分の責任から逃げてる気がしてなんか悔しい・・・。
何より、憎んでいるうちはギャンブルに意識が向いている気がする。
そう思った私は、ギャンブルに対する理想的な精神状態は「無関心」なんじゃないかと考えました。
ギャンブル依存症対策を調べると「情報の遮断」や「新しい依存先(趣味)を見つける」などが効果的だと言われていますが、それに近いと思います。
初めはすごく難しかったです。
最後にギャンブルで大負けしてからの1週間はどうしても取り戻したいという気持ちも出てきましたし、何度もパチンコ店の前を通ってはUターンして葛藤していました。
でも、思ったんです。
「これからもギャンブルとは距離を置く覚悟を持つんなら、ふりでも良いから無関心を決め込もう」
そう思ってから、すごく精神的に楽になりました。
好きなものを無理やり嫌いになっても、意識の奥深くで根強く残ります。
でも、「好きでも嫌いでもない=どうでもいい」の方が忘れやすいと思うんです。
まとめ
↑完全に主観です。
憎しみがギャンブルを断つ原動力になる方もたくさんいらっしゃると思います。
でも、ギャンブルが憎くて仕方ないはずなのにどうしてもやめられない方は一度気持ちをニュートラルに戻してみてはどうでしょうか?
きっと今まで気づかなかった自分との、ギャンブルとの向き合い方もあると思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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