依存症に完治は?
「依存症に完治はない。」
依存症について調べていくと、あらゆるサイトでそう書かれています。
ゴールが見えなくなるというか、絶望的な情報ですよね。
「じゃあもう一生ギャンブルからは逃れられないのか?」と
私も初めてこの情報を目にしたとき、目の前が真っ暗になるような感覚を覚えました。
「そんなわけない!」「絶対に完治する!」
そう思いたくて、必死で情報をかき集めました。
でも、今ではこれが真実だと思っています。
依存症に完治はありません。
もちろんこれには理由があります。
完治がないからといって、先の人生をあきらめる必要は全くありません。
完治の意味
完治の意味を調べると、こう書いてあります。
うん。
やっぱりギャンブル依存症に完治はないと思います。
全ての精神的な疾患に対して言えることかもしれませんが、脳が一度覚えた快感や刺激を忘れることはありません。
そう考えると、「症状が消えた状態」に戻るのは難しい。
結果的にこれが「依存症に完治はない」と言われる理由なんだと思います。
目指すべきは「寛解」
ギャンブル依存症真っ只中の私も、これならすごくしっくりきます。
もしギャンブル依存症に「完治」があって、「もう大丈夫!」って誰かのお墨付きをもらったとしましょう。
きっとこう考える方が多いと思います。
「今ならギャンブルと適度に付き合える!」
それが出来ないから依存症になったにも関わらず、脳が命令するんです。
脳は忘れていないんです。大当たりの快感や、大金が手に入った時の興奮を。
Twitterでギャンブル依存症の方のアカウントを拝見すると、ギャンブルを断って3年以上の方や、6年以上の方でも未だに油断することなく日数をカウントしています。
その日数を積み上げても決して油断ができないことを、経験から感じられているからでしょう。
それならやはり「症状が消えた状態」をどれだけ長く維持できるかに挑戦し続けるしかない。
だから「完治」を目指すのではなく、「寛解」の状態を維持することに全力を注ぐべきだと思います。
完治という言葉の危険性
ギャンブル依存症との向き合い方は人それぞれだと思います。
私は「完治はない」と思っていますが、自分なりのゴールを設定してそれを「完治」と捉えるのも良いと思います。「完治」を目指して依存症と向き合う時間は絶対に無駄にはなりませんから。
ただお伝えしたいのは、自分で決めたゴールを達成しても、必ず「再発」の危険が付きまとってくることです。特にギャンブル依存症のスリップのハードルはすごく低いです。
悲しいことに、今の日本はいつでもどこでも賭けられる環境が整いすぎていますから。
その時に受ける精神的なダメージを考えると、「完治」という言葉を使うよりも、いっそのこと「一生付き合っていく覚悟(寛解の維持)」を決めた方が幸せなんじゃないかと思うわけです。
まとめ
依存症との向き合い方の入り口になればと思い、今回の記事を書きました。
要は「完治という言葉を使って油断するなんてとんでもない!」ということです。
そもそも、依存症は追い詰められたときに何かにすがってしまう、頼ってしまう病気です。
その依存先がギャンブルであれ、アルコールであれ、完治したと思っていても精神的なストレスを感じた時にはまた依存先を探してしまうことは当然ともいえます。
完治を目指すこと自体は素晴らしいことです。
でも、「完治した!」って喜んでいる方と、私は出会ったことがありません。
ギャンブル依存症と真剣に向き合っている方ほど、その怖さも知っていれば再発の危険性もスリップの可能性の高さも理解されているからだと思います。
辛くてもギャンブル依存症の自分と向き合い続ける。
私にとってはそれが、離れていった人たちへのけじめだと思っています。
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