クッキーモンスター
クッキーモンスターに出会った。
ここ数日のネアの幸福は、その一言に尽きる。
何だろうか、あの可愛い生き物は。
もし高位のものでなければ、あの子がいい。いや、高位ではないだろう。すごく欲しい。
二人目の魔物ともなれば余命を削るだろうし、エーダリア様の護衛官が、どうか手放してはくれないだろうか。
何しろもう、あのクッキーモンスターのハートは、多分ネアのものなのだ!
そう考えてほくそ笑むと、ネアはじたばたと寝台の上で身悶えする。
とうとう残酷な運命に打ち勝ったネアの様子が、多少おかしくなるのも否めない。
「ネア、寝台でじたばたして、どうしたんだい?」
ディノが訝しげに問いかけてくるのだが、上手くいけばこの麗しい変態とはおさらばだ。
少しだけ心のどこかに寂しさがあるが、それは見なかったことにしよう。
(私は、可愛いクッキーモンスターの、いいご主人様になってみせる!)
「ディノ、歌乞いは複数の魔物と契約出来るんですね。護衛官殿の二人目の魔物に会いました」
可愛いと付け加えそうになったのを押し止めてそう言えば、その辺の誰かを視覚的に殺しかねない美貌が、首を傾げた。
「いや、それは出来ないよ。ゼノーシュではない魔物だったのかい?」
「白混じりの水色の癖毛で、淡い青みがかった檸檬色の目をした美少年でした」
「ゼノーシュだね」
「………ゼノーシュさんは、水色の直毛の青年姿です。目の色も琥珀色ですよ?」
「姿を変えているみたいだよ。白持ちであるのが、煩わしいんだろう」
「…………え、………じゃあ、あの子は高位の魔物めな、ゼノーシュさん……?」
ショックのあまり声が震えれば、ディノは何かを見極めるようにネアの顔をじっと見つめた。
「私からあの子に乗り換えようとしているのかい?ご主人様?」
ネアは、信じられないものを見るように魔物を見返す。
なぜ、心破れたこの瞬間に、傷口を抉るのだろうか。
「…………夢破れました。まさか高位の魔物さんだったなんて!高位の魔物さんなら、あの可愛いクッキーモンスターは、却下です。そんな大変な魔物さんを欲しがるものですか!」
あの愛くるしさで転職活動の邪魔をするとは、何という残忍さなのだろう。
危うく罠にかかるところだったので語気を荒くすると、ディノは満足気に微笑んでいた。
「可愛いね、ネア。浮気をしない、良く出来たご主人様だ」
「くっ、なぜにそこで締め技をするのでしょう!私に無断で触らないで下さい!」
両手で締めにかかってきたディノを威嚇し、ネアは何とか部屋から追い出そうとする。
可愛い子に騙されて傷心中なので、どうか暫く一人にして欲しい。
「ネア、酷いのも可愛いけど、命令以外で私から離れることは許さないよ」
そう呟く魔物に半眼になる。
女性としての威厳を損なうあれこれからは遠ざけておけたが、それ以外の日常生活ではディノがべったりなのを忘れていた。
そのくせ、時折ふらりといなくなるのも謎である。
「ディノ、クッキーモンスターが小悪魔でした!あんな幼気なのに高位だなんて、この世は地獄です!」
仕方ないので八つ当たりすることにして、ばしばしとその胸を叩きながら訴えれば、ディノは破顔して抱き締めてくる。
「もっと叩いて」
しまった、ご褒美だった。
「廊下の隅っこで、お腹が空いて行き倒れてたのを餌付けしたのです。クッキー大好き、クッキーモンスターだと判明して、もはや私への懐き度は最高潮、クッキーさえあれば思いのままだと勝利を確信していたのに!」
叩くのはやめて、一本に縛った長い髪の毛の束を掴みながら愚痴れば、よしよしと頭を撫でられる。
余談だが、この髪の毛は掴みやすい。
綺麗な色だし手触りも良いので、ネア的ディノのリードとして、よく掴んでいる。
「どうしましょう。私にはディノしかいない振り出しに戻りました。そしてあのクッキーモンスターのお陰で魔物不信です。しばらくは、転職活動する気力がありません……」
「うん。後で、私からゼノーシュを褒めておくよ」
「なんでですか?!」
「それと、さっきみたいに敬語抜きで会話して欲しいな」
「願い事をするなら、命令も出すので、私に可愛くて性格のいい、弱小魔物さんを紹介して下さい」
「ごめんね、私は高位だから、下位の魔物を知らないんだ」
「下々の胸に突き刺さる、何とも残虐なお返事ですね……」
そこでふと、ネアは恐ろしいことに気付いてしまった。
「クッキーモンスターを篭絡するつもりで、私のお給料でクッキーの大量購入を発注してしまいました」
「それは困ったね。所持金が心許ないと、人間は生きてゆくのが難しいのだろう?私から離れないようにしないと」
そうだ。
逃亡資金を失ってしまったのだと思い至り、ネアはますますがっくりしてしまう。
見つけたクッキーモンスターの捕獲を最優先にしたせいで、愚かな投資をしてしまった。
(エーダリア様は、お給料の前借りさせてくれるだろうか?)
もし、この間に転職先候補が現れたら、勧誘に先立つものがない。
姿を現している魔物は、基本的に世俗の欲望に忠実で、食べ物や品物など、何らかの報酬でその心を捕らえなければいけないのだ。
希望を失いかけたネアは、ふと気付いた。
エーダリアは、厳格かつ融通のきかない上長ではあるが、そんな彼の、とっておきの弱点を握っていることを思い出したのだ。
(………ディノに会わせてあげると言えば、エーダリア様とてイチコロのはず………!)
ディノとの親睦を深められるよう手助けする度、エーダリアは悩ましげに目を潤ませ、頬を染める。
あんな冷酷な悪役然とした元王子を動揺させるのだから、ディノの美貌も罪深いものだ。
ディノとの仲を取り持つような発言をしてから、エーダリアはあんなに倦厭していたネアにも、砕けた物言いをするようになっている。
信頼して欲しい。元婚約者は、あなたの味方だ。
「エーダリア様は優しい方なので、きっと力を貸してくれる筈です!」
「彼が個人の感情で誰かを優遇するようであれば、年長者として忠告してあげる必要がありそうだね」
「ディノなんて嫌いです」
邪魔者には死を。
クッキーモンスター事件でやさぐれていたので、ネアの計画の障害となる者は何人たりとも許さない。
冷やかに拒絶すると、ディノはぴしりと固まってしまった。
可哀想な気もしたが、歌乞いは短命なのだというし、波乱万丈な人生を送ってきたネアとて、余生は幸福でありたい。
しかしネアは、後日、届いてしまった大量のクッキーを無駄にしないという口実で、細々とクッキーモンスターの餌付けを再開した。
契約するメリットは失われても、見ている分には可愛い過ぎたのである。