5. うちの魔物はそれなりに白いです(本編)
「仮面の魔物の存在が、今回の始まりだった」
現在ネアは、歌乞い達が関わっているという事態の概要を説明して貰っている。
切り出しとしては最高に劇的なのだが、ネアはそこそこに大人だと自負していたので、こそばゆく尖った通り名に半眼になってしまう。
仮面の魔物とは、仮面で半面を隠したちょっと影のある生い立ちの魔物だろうか。
とても関わりたくない。
「その、大人になりきれない名前の魔物さんは、一体どんな悪さをしたのでしょう?」
「魔物の生育過程までは知らないぞ」
「仮面の魔物って、別に仮面姿なわけじゃないからね」
埒が明かないと踏んだのか、見聞の魔物、ゼノーシュが積極的に会話に参加してくれる。
この水色の髪の麗しい青年は、“知る”ということに関しては、非常に有利な魔術持ちだ。
どこか眠たげな表情でいることが多く、それ以外のときは常に何かを食べている。
魔物なので不健康そうでも充分に美しいのだが、ひょろりと細い青年のどこに、あれだけの食物が吸い込まれていっているのか非常に謎だ。
「マスカレリ。仮面作りの魔物なんだよ」
「あら、工芸作家さんなのですね」
「そんな生温いものじゃない。仮面の魔物は、本物の仮面、着けた人間の容姿や声すら、別の人間に変えてしまう程の仮面を作るのだ」
「……………整形技術」
ネアはその技術に可能なことを考え、少しだけその魔物が厄介だとされる理由が見えてきた。
自由に姿形を変えることが出来れば、様々な場所に滑り込み自由に動けるだろう。
「諜報活動を主に想像するだろうが、更に事態は深刻でな。行方不明者も出ている」
「まぁ、誘拐されてしまったのですか?」
「いいや。仮面は望まないものに被せることも出来る。クロアランという国の王族が一人、何者かに仕立て上げられ、姿を消してしまった」
「仕立て上げられたということは、ご本人の意志ではなく移動させられたのですね?」
「仮面をかけられた者は、その仮面の者に成りきる。自分本来の名前も記憶も失い、仮面にしたためられた人格と容姿に塗り替えられてしまうのだ」
何とも邪悪な作用で、話が少しホラーめいてきたようだ。
そう聞いてしまえば、それはやはり異世界の作法ではないか。
ネアは、表面的にはあまり変化のない顔を顰めて、その魔物の仮面の汎用性を思案した。
突然、自分が見知らぬ誰かに書き換えられてしまい、そしてその書き換えに少しの悪意でもあれば、その先は一体どれだけの悲劇だろう。
被害者は王族であるというから、まだ広範囲の捜索が叶うかもしれないが、そこまで手の回らない立場の者が被害に遭ったとき、果たしてその人は元の生活に戻れるのだろうか。
「その仮面は、勿論取ることは可能なんですよね?」
「それはな、左程難しくはないのだ。………だが、被害者を探し出すのが難しい」
「だから、グリムドールの鎖という物が必要なのですね」
窓を大きく取った部屋は、警備上の問題と、夕暮れの日差しを避ける為にカーテンが閉められている。
重厚な織模様のカーテンの淡い金糸が、シャンデリアの灯りに煌めき何とも華やかだ。
蝋燭の灯りとは違う魔術の灯りは、科学の恩恵と同様と言っても差支えのない程の明度を保っている。
ほんの少しだけ郷愁に胸が痛み、ネアは懐かしい我が家を思った。
「グリムドールの鎖はね、人間が手にするのには、本来欲深い道具なのだけれど」
ディノは、まだ業務範囲だという認識が薄いのか、どうでも良さそうに微笑む。
あまり近くに置くとエーダリアが人事不省になってしまうので、部屋の長椅子に待てをさせているが、少々絵になり過ぎる為か、ネア以外の人間は頑なにそちらを見ようとはしない。
「気になっているのですが、グリムドールの鎖という名称からすると、一本しかないようなものですよね?」
歌乞い達が争い奪い合う成果物を、グリムドールの鎖という。
それは、金色の華奢な鎖で、庇護する者に身に着けさせることによって、その行動の全てを掌握することが出来るという便利なもの。
元々は、月の魔物が一角獣を飼う為に編み上げた鎖なのだそうだ。
伝承に謳われる頃からある稀少な道具であったが、仮面の魔物の出現により、護符としての価値が高騰し、奪い合われるようになった。
「月の魔物が一巻作り上げたそうだから、ある程度の長さがある筈だよ。長さに関係なく効果があるのだから、切り分けて装飾品にでもするつもりなのだろう」
「防御策という感じではなくて、その厄介な仮面の魔物とやらを、直接抑えられないのですか?」
「仮面の魔物は、公爵位の魔物なんですよ」
そう言いながら、グラストはちらりと長椅子方面に視線を投げる。
「ああ。現在人間の前に姿を現している魔物の中でも、白持ちの最高位の一人なのだ。限りなく白に近い灰色の髪を持つ、美しい魔物だそうだ」
「まぁ。お城に住んでいらっしゃる?」
「その身の色彩に、白を持つから白持ちと言う」
エーダリアの声は沈痛と言ってもいい程だったが、白持ちとは何だろうと首を傾げたネアは、一度、明らかに白い自分の魔物を目視で確認した後、物知りな気がするゼノーシュに目線を向ける。
「ゼノーシュさん、白を持つ魔物は珍しいのですか?」
どういうわけか、エーダリアとグラストが、さっと顔を背けた。
「…………生粋の白を持つ魔物は、ほとんど存在しないよ。白が一筋混じっただけでも、こちらの世界では公爵位相当になるの。例外的に、仮面の魔物みたいに、色相そのものが白に近しい公爵もいるけどね」
(…………白が混じっただけでも?)
視線を再びディノに戻せば、しどけなく長椅子に転がった魔物は、嬉しそうにその視線を受け止める。
見つめるだけで尻尾を振る幻影が見えるのだから、この魔物のご褒美の範囲は計り知れない。
(そして、随分と白い)
あまりに多くの色が重なっているので、生粋の白と評するにも語弊があるが、昨晩までは語彙力なく白に虹色と表現してしまっていたものの、やっとしっくりくるものを見付けた基本色は真珠色だろう。
つまりのところ、白ベースの髪色をしている。
ばさばさのまつ毛も白だし、水に滲んだ紺色の瞳にも、白とも白金ともとれる光彩が散らばっている。
つまり、どう見てもある程度は白い。
「ディノは、………そこそこに白いですよね」
「そうかもしれないね。ネアは、この色好きかい?」
「結構好きですよ。ところで、ディノは公爵だったりしますか?」
「違うよ」
「良かった。一安心です」
「公爵は嫌いかい?」
「公爵が嫌いかどうかというより、手に負えない事態が嫌いです。堅実な魔物がいいと思います」
「では、私も堅実を心がけよう」
「是非にそうしていただきたいですね。………申し訳ありません。お話を切ってしまいました」
会話を中断してしまったので、正面に座ったエーダリアに視線を戻し頭を下げる。
しかしなぜだろう、エーダリアの表情は硬いままだ。
「ネア、君の魔物は何の魔物なのだ?」
そうか。とうとうその質問が来たか。
ネアは、意識して朗らかな微笑を表情に乗せ、声音を安定させる。
「薬の魔物なのです」
「…………………薬?」
かしゃんと、小さな音が響いたので振り返ると、会話の合間で用意されたケーキを取りにいっていたゼノーシュが、小さな銀のフォークを取り落していた。
厄介なことに、こちらを見て首を横に振っているので、警告を兼ねて、ネアも断固として首を振り返す。
よく考えれば見聞の魔物は、とんだ伏兵ではないか。
なのでネアは、これは薬の魔物であるのだという威嚇と牽制を、全力で視線に込めた。
ぐるる、と唸り声でも上げたい気分で、ゼノーシュを眼差しで威嚇する。
(………そうだ。ひとまずは、先にエーダリア様を説得してしまおう)
薬という単語を反復したまま黙ってしまったエーダリアは、不信感いっぱいの表情で眉を顰めたままこちらを凝視していた。
初めて世の中の不条理を知ってしまった少年のようなあどけなさで、少しだけ心を動かされそうになってしまう眼差しだが、こういう表情はディノにこそ向けるべきではないのか。
(常識人的中和剤な、グラストさんは………)
グラストは、ものすごく熱心に窓の方を見ているようだ。
体ごと違う方向を見てしまっていて、どうやらこの話題には参加していなかったようだ。
その背中には随分と力が入っていて、体全体が強張っているので、難しい考え事かもしれない。
ゼノーシュの方を見るとまた首を振られ、エーダリアを見ると青ざめてこちらを見る。
これは、あまりいい反応ではない。
「薬の魔物ですよ!」
何とか同意を得ようと慌てて声を荒げたネアだったが、誰からの返答もなかった。
部屋の中は、恐ろしい程の沈黙に支配されている。
「く、薬の魔物ですよね、ディノ?」
「そうだよ、ご主人様」
確認を取られた真珠色の魔物は、嬉しそうに立ち上がりネアの背中にへばりつく。
構ってもらえたと思ってしまったらしい。
「こらっ、仕事中の絞め技は禁止ですよ!長椅子に戻って下さい」
大事な打ち合わせの最中であるので、背後から首元に手を回したディノの腕を、ネアは容赦なくばしばしと叩いた。
けれどもディノは、それをご褒美と勘違いしたのか、ぐりぐりと頭を擦り付けてきてしまう。
(どうしよう。この手の趣味の相手だと、正しい罰の与え方が存在しない!)
プライベートな場面であれば、反応せずに無視するという手もあるが、悲しいことにここは仕事現場だ。
相応しくない行動をするディノを放っておくわけにもいかないので、仕方がなく、艶やかで手触りのいいディノの髪をえいやっと掴んで動きを制限する。
「何それ、可愛い。もっと引っ張っていいよ」
「おのれ!頭皮は大事にして下さい!」
(駄目か!!!)
その時、魔物を剥ぎ取る為の秘策が決まらずにがっかりしていたネアは、聞いていなかった。
正面のエーダリアが、誰ともなく「私はどうすればいいのだろう」と呟いていたことを。
ここで、彼の些細な悩みに気付いてあげられなかった鈍感さのせいで後に婚約破棄をされるのだが、その頃にはもう、話し合おうにも、エーダリアに近付けば走って逃げられるようになってしまっていた。
その結果、たった五人しかいないプロジェクトチーム内で、重大な意志不疎通を引き起こす羽目になるのだが、その改善に努めざるを得なくなるのは、もう少し先のことである。
また、別にここには五人ぽっちしかいない訳でもなく、ディノの階位が高過ぎて近付けなかっただけで、見えない妖精の使用人達や、別館の騎士棟にはそこそこ警備の騎士達もいるのだと知ったのは、随分と後になってからのことであった。