社説
表現の自由 権力による侵害 許してはならぬ
2022年5月2日(月)(愛媛新聞)
憲法で保障され、民主主義の基礎を成す「表現の自由」。国民の基本的人権を尊重するべき権力側の侵害が相次ぐ現状に、憤りを禁じ得ない。
今年3月、警察の行為を厳しく指弾する判決があった。2019年の参院選期間中、札幌市での当時の安倍晋三首相の街頭演説にやじを飛ばし、北海道警に排除された男女2人が損害賠償を求めた訴訟である。
争点は、犯罪予防のため危険行為を制止できると定めた警察官職務執行法の要件を満たすかどうかだった。札幌地裁は生命や身体に危険を及ぼす恐れも、犯罪につながる高い蓋然(がいぜん)性も認めなかった。さらに「安倍辞めろ」などのやじを「公共的、政治的事項に関する表現」とし、「特に重要な憲法上の権利」と強調した。表現の自由を重視した判断と言えるだろう。
道警は、主張がことごとく否定されたことを重く受け止めるべきだ。判決が「暴力的」とまで断じた排除行為が国民を萎縮させ、声を上げるのをためらった人がいたことは想像に難くない。猛省を求める。
表現の自由を軽視する体質は自衛隊にも。記者向け勉強会で配布した資料に、警戒を要する対象として、テロやサイバー攻撃とともに「反戦デモ」が例示されていた。デモを目的で選別し、合法的であっても自衛隊が対処する可能性を示したことになる。指摘を受け「暴徒化したデモ」と修正したが、国民と乖離(かいり)した感覚に危機感が募る。
一方、表現の自由と一体である「知る権利」の重要性も論をまたない。これまで、時の政権の無理解や横暴がさまざまな形で露呈した。例えば、行政に都合の悪い情報を半永久的に隠せる特定秘密保護法の施行や、森友学園問題の公文書改ざん、南スーダン国連平和維持活動(PKO)での日報隠蔽(いんぺい)など。今また、新たな問題が浮上した。
政府が「防衛計画の大綱」に代わる新たな文書を策定し、一部を秘密化する案が出ているという。特定秘密への指定を想定しているのだろう。折しも、敵基地攻撃能力を改称した反撃能力の保有が検討されるなど、日本の安全保障政策は大きな岐路に立つ。強い反発が予想される案件を国民の目から隠す意図とも映る。国会、国民が検証できる形にするよう強く求める。
インターネットの普及で、新たな課題も膨らむ。交流サイト(SNS)が拡大し、誹謗(ひぼう)中傷の問題が深刻さを増す。政府は侮辱罪を厳罰化する方針だ。一定の抑止力は期待されるが、表現の自由が不当に制限されないよう慎重さが欠かせない。
ウクライナに侵攻したロシアをはじめ、中国が民主派弾圧を強める香港、国軍が全権を握るミャンマーなど、言論統制で表現の自由が危機にひんする例は少なくない。日本でも気付かぬうちに傷つけられていないか、目を凝らしたい。国民と権力の側の双方が、自由の尊さを改めて肝に銘じる必要がある。