宇多丸『英雄の証明』を語る!【映画評書き起こし 2022.4.8放送】

アフター6ジャンクション

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。          

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宇多丸:               
宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では4月1日から劇場公開されているこの作品、『英雄の証明』

(曲が流れる)

アメリカ・アカデミー外国語映画賞を2度受賞するなど、世界的に高い評価を受けるイランの監督、アスガー・ファルハディ最新作。借金の罪で服役している囚人のラヒムは、恋人が偶然拾った金貨で借金を返済しようとする。しかし罪悪感に苛まれ……というか、理由はちょっと、そこらへんはグレーなんだけど。「まあ、しょうがねえか」という感じで持ち主に返すことを決意。その行為がメディアに報じられ、一躍、時の人となるのだが……。主人公ラヒムを演じたのは、テニスプレーヤーとしても活躍しているアミール・ジャディディさん……そうなんですね! 第74回はカンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた作品です。

ということで、この『英雄の証明』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、残念ながら「少ない」。ええーっ? ファルハディ最新作が少ない、なんてことでよろしいんですか? 賛否の比率は、褒める人が8割以上。見た人はみんな褒めるっていう。主な褒める意見は、「イランの映画だが、今の日本社会でも起こり得る出来事がモチーフとなっており、とても普遍的で現代的な作品だった」「脚本が良い。ちょっとした嘘や保身に追い詰められていく様子が巧みに描かれている」「SNSの描写も良かった」など。

一方、ダメだったという方のご意見。「おそらく文化の違いから、よく理解できない展開もあった」。特に法的システムとかね、司法システムがちょっと違うみたいですからね。「話が都合よく展開しすぎる」とか、「イランの社会や司法システムについてホームページなどでもっと詳しく解説してほしかった」……こういう方にはですね、日本の劇場にはですね、ご存知かな? パンフレット、というものが売っておりまして。これがね、最高に勉強になる! こういう時のための、日本の映画パンフレットという文化ではないか、と私は強く思う。映画館の皆さんの収入の足しにもなるというか、(お金を)回す協力にもなりますので。ぜひ皆さん、こういう映画こそ、パンフレットを買ってはいかがでしょうか?

■「様々な『見える化』が進んだ現代社会において、本作は他人事ではない」

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。「ベイチェック」さんです。

「今年を代表する一本になる映画だと思います。ひょんなことからバズり、大衆の目に晒されることによって思いもよらない事実の露呈、想定外の解釈やリアクションに否応なしに対峙させられる展開は、様々な『見える化』が進んでしまった現代社会において他人事ではありません……」。本当に。日本だって全然、もう毎日のように繰り広げられていることですよね。

「……ちょっとした嘘や隠蔽、登場人物の何気ない一言が巧みに配置され、物語を転がしていく完成度の高い脚本はさすがの一言。また本作の特徴は、この手の題材でありがちなスマホやPCのキャプション画面、文字の羅列などの描写ではなく、様々な事情を持つ一人一人の人間を通して主人公に投げかける構図にあると思います。SNSの画面の向こうには、自分と同じように生きていながらも、別の人格や背景を持った人間がいて、それらの介入が事態をより複雑にしてしまう。世の中の複雑さを浮き彫りにしたのがSNSという言い方も出来るかもしれません。現代的なテーマを通して炙り出される人間の本質を本作は描いているのだと思います。

大変素晴らしい作品であるだけに、本作の盗作騒動が鑑賞の際のノイズになってしまうことが残念でなりません。騒動の顛末は本作の物語とも通じる部分があり、皮肉な形でこの映画が慧眼だったことを証明しているのではないでしょうか」。この顛末に関しては後ほど、今回の評論といいましょうか、私のこの時評の、メインで話させていただきます。

あとですね、「たくや・かんだ」さん。これ、ちょっと省略させていただきますけど、先ほど山本さんが指摘していたように、「ドアを叩きつけて所長に怒られるシーン。印象的でした」っていう。ねえ。本当ですよね。これ、面白い。あとですね、先週も読んだ「レイン・ウォッチャー」さんも、相変わらず面白い評をいっぱい書いていただいていて。

「恥の文化と評された我が国の国民性とは奇しくも近い部分があると思います。私たちにとって理解しやすく、身につまされやすくもあるのではないでしょうか」というようなことを書いていただいて。ラストでは「主人公は冒頭では間に合わなかったバスに“いつか”乗ることができるかもしれない、ということがそっと提示されるようでした。解釈が分かれそうではありますが、わたしは希望と受け取りたかったです」という。これはお見事。オープニングでね、主人公はバスに乗り遅れるわけですね。そしてラスト。あるバスが……この切り取り方。これも後ほど、時間が許す限りお話をしたいと思いますが。

一方、ダメだったという方。「ジャイアントあつひこ」さん。

「『英雄の証明』見てきました。良いところも多いですが、否の部分も気になった作品でした。主人公のラヒムが、英雄として持ち上げられるには、キャラとして残念な部分が目立っていたように思います」という。元々こんなのを持ち上げちゃダメだろう、みたいな。そういうところはもちろんあるかもしれないですね。あの、最終的に浮かび上がってくる、「お前がルーズなんだろう?」っていうか(笑)。もちろんね、それはあるんですけどね。はい。ということで皆さん、ありがとうございます。

■今作の「盗作疑惑」に対するフランス配給会社のプロデューサーの見解

私も『英雄の証明』、シネスイッチ銀座に久しぶりに行って、2度、見てまいりました。平日昼にも関わらず、中高年の、割とご年配の男性を中心に、結構入っていた方だと思います。

ということで、世界的巨匠アスガー・ファルハディ監督、最新作。僕のこの映画時評コーナーでは、2017年7月20日に、この2個前にあたる『セールスマン』という作品を取り上げてます。公式書き起こしもありますし、そこにはファルハディ監督の過去作も踏まえた作家性の話が詳しく書いてありますので、そちらもぜひご覧いただければと思いますが。

でね、既にカンヌ国際映画祭グランプリも含め、世界中の映画祭などで高い評価を受けている本作なんですが、一方、ここに来てなんとですね、「盗作疑惑」ですね。「盗作疑惑」という、なかなか不名誉な話題が持ち上がっていたりする。ネットなどでそのニュースをご覧になった方もいるかもしれませんが。

で、この件について、現状僕らが知り得た情報をもとに、僕なりの意見を先に言っておきたいというか……それこそがこの映画の、ある種本質を語ることにも近いので、ちょっと多めに話させていただきます。

まずですね、いろんな情報が飛び交う中で、やっぱりその、一次情報というか……一次情報でもないんだけどね。その最初の報道みたいなのは、イラン側の報道になるわけで、言葉的にもなかなか調べるのが難しい中ですね、日本の配給会社のシンカさんに問い合わせてみたところ、本作をはじめファルハディ作品のプロデューサー、配給を手がけている、フランスのメメント・プロダクションというところのプロデューサー、アレクサンドル・マレ=ギィ(Alexandre Mallet-Guy)さんという方が、4月5日付で公式コメントを出されておりまして。

これがやはりですね、いろんなのが飛び交ってましたけど、最も事実をきちんと整理していると僕には思われるので。(さまざまな情報が)飛び交ってる中で、これをベースにすると、あれはもうはっきりとひどい誤報だったな、というのが含まれてるので。ちょっと長めですが、その日本語訳を一部、私のちょっと注釈も入れつつ、引用させていただきたいと思うんですが。

まず、アスガー・ファルハディがどれだけすぐれた作家か、ということが書いてあるあたりは前略とさせていただいて……こんなこと言ってます、アレクサンドルさん。

「アスガー監督のもとでドキュメンタリー映画を監督した元生徒の1人と……」。これ、私がちょっと注釈を入れさせていただきます。アザデー・マシザデ(Azadeh Masihzadeh)という方ですね。「そしてアスガーが映画のインスピレーションの源とした元囚人の1人が……」という。これは今、言ったマシザデさんのドキュメンタリー、2014年の作品『All Winners All Losers』……「全ての勝者たち、全ての敗者たち」みたいな感じですね。それのメイン被写体でもある方。

「彼らが映画『英雄の証明』に関して、イランで苦情を申し立てたことは知っています。私はアスガーのイランの弁護士と連絡を取り合い、これらの苦情の結果について知らされています。報道機関により誤った情報が流布されているため、この映画に関して2022年3月14日にイランで下された、司法調査官の決定を皆様に知っていただくことが重要であると思います。司法調査官の役割は、調査し、証拠を集め、裁判にかけるかどうかを決めることです」っていう。そういうシステムがイランにはあるんですね。これは日本と違うところですけども。

「司法調査官は次のような判決を下しました。元受刑者の評判が映画によって傷つけられたという主張を退け、裁判所への付託を拒否した」という。だから、そのドキュメンタリーでも被写体になり、この話の元になった方の「名誉を傷つけられた」という訴えは、そもそも裁判にもかけない、というような判断になった。

その次です。「マシザデさんの『映画の興行収入から得られる利益の分配を受ける権利を有するべきである』という主張を退け、裁判所への付託を拒否した」という。「著作権が自分にもあるから、自分にも利益をよこせ」っていうこと。これも裁判にもかけない、という話になった。

そして3つ目。「マシザデさんのドキュメンタリー映画の著作権侵害に関する請求を裁判所に付託した」ということで。著作権侵害の部分に関しての訴えは、裁判にかけることになりました、という。この3つの要素があるわけですね。ただしですね、そのドキュメンタリー、『All Winners All Losers』という2014年の作品。これ、僕も実際に見比べてみたらどうだったのか、という話も後ほどしますけど。実は簡単に見れるんです、これ。

それに対して、メメント・プロダクションのアレクサンドル・マレ=ギィさんの見解では、こんなことを言ってます。ということで。メメント・プロダクションのプロデューサー、アレクサンドル・マレ=ギィさんは、公式に発表をしているわけですね。

■アサデー・マシザデさんのドキュメンタリー『All Winners All Losers』を見て分かったこと

ということで、まず、一部ネットなどで流れていた、その「盗作で有罪決定」みたいなもの。僕は最初、ニュースで見て仰天したんですけど。それはもう完全に誤報っぽい、ということは確かなので。皆さん、もしそのイメージを持ってる方がいたら、これ、間違いです。その上でですね、そのファルハディさんの元教え子……この「元教え子」という距離感が、なかなかちょっともやっとするところなんですけども。元教え子でもあるアサデー・マシザデさんによる、2014年のドキュメンタリー『All Winners All Losers』。

実はこれ、マシザデさんご自身によって、YouTubeに英語字幕付きでアップされていて。これ、(マネージャーの)小山内さん、教えてくれてありがとう。本当にあなたは有能だね。彼女が教えてくれて。簡単に誰でも見ることができるんですよ。で、44分の作品なんで、あっという間に見れちゃうので。で、たぶんその『英雄の証明』を見た後だと、どういう話なのか、皆さんはもう承知の上で見るんで、めちゃくちゃわかりやすいんですけどね。で、実際に見比べてみるとですね、確かに、借金がかさんで投獄された囚人……これ、ちなみにイランのシステムでそういうのがあるんですって。

日本だとちょっと考えられないんですけどね。借金がちょっとかさんで、その貸した側が訴えると、もういきなり牢屋で。ただ、軽い犯罪という扱いなので、執行猶予とか保釈とかじゃなくて、「休暇」がもらえるんですよ。で、ちょいちょいその家族の用事の時とかは、休暇を何日かもらって行ける。その休暇を使って、主人公はその街に出てくるわけですよね。そこから話が始まるんですけども。そういうイラン特有の司法システムがあるわけですけど。とにかくその彼が、金を拾って。で、お金に困って刑務所に入れられちゃったわけだから、それをネコババして返済に充てる、っていうのも手だったろうに、それをせずに持ち主に返した、というのが、美談として報道された。

しかし、その後に、お金を返してもらったという元の持ち主の正体が、結局特定できず。誰だったかわかんない。「あれ、本当に美談だったの?」っていう疑惑が出てきちゃったという。そういう、事件そのものの部分はですね、これはシラーズというイランの非常に歴史のある、いろんな遺跡もあったりする……日本で言うとなんですかね、奈良とかかな? わかんないけど。その街を舞台にしていることを含めですね、フィクションとしての『英雄の証明』が、この話をモデルにしていることはもう明らかだと思います。これを見れば。「ああ、もう完全にこの話だ」って思います。

だが、同時にですね、先ほどアレクサンドルさんさんも言っていた通り、同じ事件を題材にしているのだから、そもそも同じであるのは当たり前、というか。だって、それは同じ事件なんだから、っていう言い方もできる。あと、先ほどもちょっと6時台の時に言いましたけども、イランはそういう美談報道が、元々多い。なので、「この手の話」というような感じの着想の仕方をしたとしても、不思議ではないのかもしれない。

その一方で、この2つの作品が描いていること、テーマは、僕、両方を見比べて思いましたけど、全然違います、これ。つまり、「盗作」っていうのは完全に言いすぎだ、と思うんですね。

マシザデさんのその『All Winners All Losers』という作品は、「お金を返した」という事件そのものが本当にあったのかどうか、グレーなんです。つまり、後から撮っているから。むしろその元囚人の方が……さらに別の借金があることが判明して、またムショに入りました、っていう情報が最後に字幕で出たりとか。その前の部分だと、お金の持ち主は結局見つからず、「そんな女の人、いないよ」なんて言われて、村のおじさんが、「ワシはあんたらのように学はないが、この件だけはなにが本当か、すぐわかる。つまり、全部作り話さ。アッハッハッ!」で終わってたりするので。作品全体の印象としては、どちらかと言えば、その元囚人の言うことの怪しさ。そこにグレーさがあるっていうか……というタイプの作品なんですね。「真実は藪の中ではあるけども、グレーだな」みたいな。

■対して『英雄の証明』で描かれるのは、「起こったこと自体は本当。なのに……」

それに対して、フィクションである『英雄の証明』の方はですね、このアミール・ジャディディさん……テニスプレイヤーなんですね! 彼が演じる主人公ラヒムがですね、金を手に入れ、一時はそれをもちろん返済に充てようとするんだけど、結局持ち主を探して返した、というこの行為自体は、明確に作中で描かれる、「事実」なんですね。これまでのファルハディ作品は、逆にね、ある重大な真実が物語の中心にドスンと置かれながら、それは結局直接は描かれない、という特徴だったんですね。今までのファルハディ作品だったらひょっとしたら、返したかどうかを直接描かない、っていう作劇もあったかもしれない。

なんだけど、今回の『英雄の証明』は、主人公のとった行動そのものは全て、劇中でもはっきりと描かれる。明白な事実として描かれるわけです。なのに……っていうことですね。やはりこれは、ここから先は、ファルハディ十八番の部分……それぞれの人物が、その場でちょっとついてしまった、小嘘。要するに、「1、2回行ったことがある」ってやつですね……(金曜日の番組内投稿コーナーである)「抽象概念(警察)」で言うとね(※宇多丸補足:以前同コーナーで、『1、2回』というのは実は、なんらかの嘘を含んでいる可能性が高い言い回しだ、という結論が出たのを踏まえた発言です)。それ自体は、そこまで大きい罪とは言えない小嘘。あるいは、つい見栄を張って「盛っちゃった」発言。

あるいは、その場では必要だと思ってふと明かした個人的事情、などなど。誰しもがそれぞれ、ちょっとずつは絶対に持っている、かすかな後暗さ、のようなものが、展開としてはごくごく自然でありながら……つまり、「その場でそれを言うのはまあまあ、そのぐらいはあるかもね」みたいな感じのことが、振り返ってみるとすごく、どんどん積み重なって……というか、パズルのように見事に、最悪の組み合わせになって、最悪の効果を生み出す。

後から振り返ってみると、非常に精緻に精緻に織り上げられたものであることがよくわかる、本当に神業的構成力によってですね、過去作であれば、直接は描かれないが実は中心にある重大事が気まずく気まずく浮き彫りにされていく、という構成だったのに対して、本作は、主人公の行為そのものが事実であることは変わらない、それは観客も重々知っている、はずなのに、どんどんその見え方のニュアンスが変わっていってしまう。やったこと自体は本当なのに、その周辺でついた小嘘の集積ゆえにですね、全体が嘘っぽく見えてきてしまう、みたいな、そういう作りになっているわけです。今回の『英雄の証明』は。

『英雄の証明』を見たおかげで「ちょっと落ち着けよ」と思うことができた

そしてもちろん、その見え方のニュアンスの急激な変化……「評判」っていうこの得体の知れない化け物はですね、今日SNSの普及によって、より巨大なものになっている。個人ではもう押しとどめることができないものになってしまいつつある。というのも、本作の大きな背景となっている。とはいえですね、これはメールにもありました通り。いわゆるこの「ネット描写」みたいなものは、一切直接見せてないあたりも、これは巨匠の御業と言いましょうかね。というよりは、「いわゆるネット描写」っていうことで(無数の書き込みが飛び交う、みたいな演出をすると)、そのSNSの向こう側にいるのもまた人である、というのが、逆に見えなくなっちゃうというか。化け物みたいに、なんか悪意の塊みたいに見えちゃうけど、そうじゃない。みんなそれぞれ、別に普通の人が、スマホを見せ合ったりして「評判」っていうものは広がっていくわけだから。「いわゆるネット画面」として見せなかったのも、非常にこれはクレバーな選択かと思います。普遍的な描写にもなりますしね。

でですね、その意味で、既に名人芸の域に達しているファルハディのその作劇術の中でもですね、今回はちょっとある意味、全てを開示した上でなお、という新境地を開拓したと言えるかもしれません。真ん中に1個、大きな謎を作って……っていうのはある意味、わかりやすい、言っちゃえばあざとさに転じかねない作劇なんだけど、それすらもしていないっていうか、そのすごみがあると思います。むしろ見えないっていうのは、そのSNSの見えない「評判」なる集合体、あるいは主人公の人柄かもしれませんね、それはひょっとしたらね。本当にいい人なのかどうか、っていうのは、それは誰にもわからないこと。

いずれにせよ、いま言ったようなことは、その『All Winners All Losers』、そっちの方にはないもの。アレクサンドルさん曰くの「アスガーが純粋に創造したもの」というのは、これはもう明らかなんですね。やっぱりね。なので、繰り返しますが「盗作」ってのいうのは本当に、完全に言いすぎですし、誤報というか。そこはすごく本当にひどい話だなっていうかね、こんな誤報が流れるのはひどいなと思いますし。それは同時に、それは本当に、この二作を見比べればすぐわかることですし。

あと、その『英雄の証明』でファルハディがまたしても見せているその神業的ストーリーテリングっていう部分は、もちろんこれは当然、本作オリジナルのものであって。ただし、まあかつてのその教え子の1人である、ということで、やっぱりファルハディと作り手のその、距離感ですよね。「結構近い人だったのかい!」みたいな。そうなると、そのマシザデさんのアイディアがファルハディにどの程度、影響を直接与えているのか、あるいはいないのか、という部分は、やはりちょっと、まだよくわからない部分として残るし、正直もやっとしてところもなくはない、という具合だと思います。

というようなのが、私の今の思うところなわけですが。と、こんな風にですね、評に使える時間の大半をこんなことに費やして話しているのも、ひとえに、その作品そのものの出来、質はここにある……要するに変わらず我々の前に、公のものとしてもう提示されてるわけですよね。にもかかわらず、断片的に伝わってくる情報から受ける印象によって、その作品や作った人の「評判」が、いとも簡単に下がったり上がったりしてしまう、という今回の一件の成り行きそのものが、まさに皮肉なことに、『英雄の証明』で描かれていること、そのテーマ性、今作がえぐり出そうとしたもの、そのままであるように思えてしまうからですね。

なので僕は、この『英雄の証明』を見た後だからこそ、やっぱりいろんな報道が来た時に、「ちょっと待てよ、待ってくれよ。それはちゃんとソースを確かめないと……公式にはどういうことになってるんだ? ちょっと落ち着けよ」って感じになったのは、やっぱりこれは『英雄の証明』を見たおかげだ、と思いますわね。

■演出の見どころのひとつは「ガラスの使い方」。ラストショットもファルハディ演出の真骨頂!

またファルハディ作品、話としてはミニマムそのものですね。大がかりなことは何ひとつしていないのに、見たらやっぱり、まずは端的に「面白い」んですね。もちろん、最終的には簡単に割り切れない。さらに深く思考を促すような着地をしていくような、いわゆる本当に高尚な芸術作品であることは確かなんですけど。でも、「難解」じゃないんですね。ファルハディ作品ってすごいのは、深いところまで考えさせられるけど、提示されているストーリーそのものは、難解でもなんでもない。毎回、その場その場で展開していくこと自体は、世界中どの国の人々でも理解できるような、なんならわりと下世話なすったもんだなんですね。どっちかっていうとね。まあ「金を返す、返さない」とかさ(笑)。

なので、僕が言うところの「気まずエンターテイメント」っていうところでも、すごく普遍的なので。とにかくこの、ご自分で見てご自分で考える……たとえば、ぜひ皆さんやっていただきたいのは、「自分的にはこの話、誰がどの順で悪いと思うか?」っていうことを考えてみる、とかね。そんなことを考えてみる、それが一番早いし、一番大事なことなので、まああんまりくどくど言いたくないっていうのもあるわけですけど。その中で、あえて今回の演出的な見どころをひとつ挙げるならば、「ガラスの使い方」じゃないかと私は思います。

これね、パンフにも載ってる推薦コメントで、宇野維正さんがですね、「扉と窓の描写にこだわり抜く映像の魔術師としての芸術性」というところにしっかり言及されていて。これ、さすがだなと思いました。あの、ファルハディというととかく、ストーリーテリングとかテーマ性の話ばっかりするけど、映像演出がすごいんだ、っていうことを宇野さんがはっきり言っていて。これは素晴らしいなと思った。で、今回は特にガラス。たとえばですね、主人公が借金してるあのコピー屋さんの界隈。ちょっと神保町みたいなね、ああいう感じでしたけども。

あのコピー屋などの周囲が、ガラスで外から丸見えなのに、圧迫感、密閉感もある。まさに今回描かれる、SNS的な、「常に見られているけど圧迫されている」世界観そのものでもあって。他の場面でもですね、とにかくガラス越しに人物を捉えるショット、そこに込められた象徴性、寓意やニュアンスを読み解くのが、まずはすごく楽しい、興味深い作品でもあります。またその、シラーズというですね、その偉大なイラン文明の証としての古代遺跡の前で、いかにもちっぽけな現代の人間たちが、頼りなげにフラフラ歩いたり、なんかへばりついていたり、というこのオープニングの一連の流れも、非常にスリリングな象徴性、スリリングな読み解きができそうですし。

ショットで言えばやはりですね、今回なんといっても、ラストショットですね! 先ほどの宇野さんの言葉にもあった「扉」というのを、ひとつの「画面内フレーム」としてさりげなく使う手法の、これはまさに真骨頂でもありますし。そこにさらにさっきのメールにもあった、「バス」という小道具の対になり方も含めて、絵的にもテーマ的着地としても完璧すぎる、見事なラストショットだと思います。脚本の精緻さに関してもね、もう本当に前述した通りです。特に皆さん、注目していただきたいのは、劇中、主人公に最も敵対的な態度をとっているある人物。これ、お金を貸しているあのおじさん以上に、実は主人公にムカついている、ある人物がいますよね?

その人がなぜ、そこまで主人公を許せないのか? その恨みをさらに加速させてしまったに違いない、主人公にまつわるある情報。それがおそらく、劇中では描かれない時間で、その人の耳に入ったと思われ……とかとかですね。途中の本当にちょっとしたセリフとか、これがですね、ちゃんと伏線として機能していて。「ああ、あの件が実はここで耳に入っている。で、この人ってこの人の借金のせいでこうなったって考えると……そりゃムカつくわ!」みたいな。だから、そういう行間を読むみたいな、そして思考し続けながら見るということ、それによって、さらにスリリングな鑑賞体験になることは間違いなしだと思います。

■本作と『All Winners All Losers』を見比べ、自分でいろいろと考えてみる

そして最終的にはですね、本当の意味で「より善く生きる」っていうのはどういうことなのか?なんてことまで考えさせられる、というとこで。本当にやっぱりファルハディ、あんたはすげよ!という。さっき言ったようにちょっとね、作劇としても新たな引き出しを使いこなしてるところもあって、本当にすごいと思います。しつこいようですが、盗作という言い方はしづらいと思いますし、やっぱり彼自身のストーリーテリングがすごいというのは間違いないと思いますんで。

ということで、その題材のチョイスにいまだグレーな部分は残れども、なんなら皆さん、ではご自分の目で『All Winners All Losers』、YouTubeで誰でも見られるんで、この本作と合わせて見比べて、ご自身がいろいろ考える、自分の頭で、自分の倫理で考える、それこそがこの『英雄の照明』をちゃんと見る、ということにも繋がるでしょうから。ぜひぜひご自分の目で、その話題のドキュメンタリーとセットで、ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 現在、ウクライナ支援の募金のため、強制的に宇多丸が1万円を自腹で支払いガチャを2度回すキャンペーン中(しかるべき機関へ寄付します)。一つ目のガチャは『ベルファスト』、そして二つ目のガチャは『シャドウ・イン・クラウド』。よって来週の課題映画は『シャドウ・イン・クラウド』に決定!

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

◆過去の宇多丸映画評書き起こしは

こちらから!

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