【見切り発車事故:未完】妖星のヱピタフコード

河葉之狐ラヰカ

【壱】人と妖と

第1話 火蓋が切り落とされた日

 日夜報道される事故や事件。大勢が毎日死ぬ。数え切れない人間が、妖怪が死んでいく。二〇一〇年に日本で起こった東西分裂、いわゆる東西革命内乱によって旧政権を打倒した革命軍は新たに秋津皇国と名を改めて舵を取り直した。それから数十年──数多の理由で科学技術による文明の進歩をある段階で止める決定をしたそこでは、新政府と新体制の国家基盤、そして新たな文明基盤による生活が根を張っていた。

 二〇六八年──芽黎がれい十一年。天下の皇帝陛下、女帝と呼ばれその辣腕から稀代の帝とあだ名される八岐之雅城やまたのがじょう御十和みとわの天下においても、未だ人死は絶えない。

 革命を経て妖怪に人権が与えられた昨今では、彼らもまた人間と同じように死者としてカウントされ『何』と表記される。

 無機質な字幕には『死者行方不明者 二二〇名超』と打たれていた。

 どのチャンネルを回してもそればかりだ。報道気球が撮影するのはもうもうと黒煙を上げるビル。遊覧飛行船『月見号』がテロリストに占拠され、それが大手複合商社ビルに突っ込んだ。

 三つ並んだビルはそれぞれいくつかの渡り廊下でつながり、中空に渡されたそこを走る人々が見えた。迫る火の手から逃れようと、いつ崩れるかわからないビルから脱出しようとしているのだ。見ている誰もが無事を祈っていたが、突然カメラが振られる。荒いノイズが走って、次の瞬間に映ったのは別の飛行船だった。大型の、妖光鉱石運送船である。なぜそんなものが、と街頭モニターを見る目が疑問を抱くが、すぐに彼らの顔は恐怖で歪められていく。誰かのまさか、といううわずった声は、現実のものとなった。

 ビルの半ばにその妖光鉱石運送船が激突。窓ガラスと基礎材を吹っ飛ばし、ゴリゴリと押し込まれる船体が内部にいた者をすり潰す。直後、恐らくは関係省庁含め一般人も、子供でさえも最も考えたくないことが起こった。

 画面が真っ白に染まり、砂嵐になった。

 そして、その大きな街頭モニターを見ていた者たちも、その都市ごと閃光に飲み込まれた。


×


「大変ショッキングな映像でしたが……同意書にサインしたのは君たちです。気分が悪くなった子は、退室を許可します。すぐそこの洗面台なりトイレなりに行きなさい」

 そう教師が言うと、動画を視聴していた合計二〇〇名弱の生徒のうちの四分の三以上が口を押さえたり、ふらついた千鳥足で出て行った。中には失禁し気絶したものもいて、保険医が抱き抱えたり担架に乗せている。ひどい場合は痙攣し、脱糞する者、吐瀉物に塗れて呼吸困難になる者もいた。ひどい匂いが立ち込めるそこだが、残っている生徒はそれをあまり気にしていない。

 今見ていたのは十四年前に起きた史上最悪のテロ事件の映像だった。

 裡辺りへん地方北東、魅雲みくも県の超大型複合商社ビルを狙った自爆テロ──『閃光事件』。

 死者行方不明者は九八万人超。見つかった遺体は、精々数百名……という状態だ。その大半が肉片であり、DNA鑑定でヒトと特定できているものがそれ。炭化し、恐らくはヒトであろう遺体もあるがこれについては不明だ。当然、その土地にいたペットや家畜、野生の生き物もいたためそれらと判別がつかない。下手したら、中には木材も混入している可能性だってある。

 わずかに残っている五十名ほどは、出て行った生徒とは真逆の顔。平気そうであったり、或いはなんとか耐えている者、憎悪を滲ませる者などだ。いずれにしても、犯人への強い感情があるのだろうことは想像に難くない。

 その中で場違いなほどに退屈そうな生徒がいた。

 暗い青色の髪をした少年だ。何を考えているのかわからない。その翡翠の目は確かにモニターに向けられていたし、耳も音声を拾っていた。耳目や意識は全て悲惨な映像と、その後に流れた遺体というよりは、残骸といえる生々しいそれらをしっかりと捉えていたはずである。

燈真とうま……大丈夫?」

「別に」

 不安げな顔の妖狐。彼女の白銀の髪と五本の尻尾、紫紺の瞳は人目を引く。神秘的な白狐たる彼女は、妖狐の中でも決して軽んじることのできない血族だ。けれど、彼女と妹を除いた一族はみんな、あの閃光に飲み込まれて消えた。

 そして、燈真と呼ばれた少年の家族も。

 今でも覚えている。燈真はあの感触を、はっきりと。崩れ落ちる両親だったものの手触りを。

 退魔局という、警視庁の中にある特別捜査員派遣組織局である部署に勤める退魔師だった両親は、あの日白狐の──燈真と共にいる少女、椿姫つばきの母と父を連れて休日を謳歌していた。まだ幼い燈真もついて行こうとしたが、生まれたばかりの妹を抱きしめて離さない椿姫が駄々をこねたのだ。結局留守番することになったのだが、今思えばあのおかげで死なずに済んだ。

 何か、色々あったのは……なんとなくだが、確かに覚えている。取り調べだとか取材だとか、そういうの。報道記者の無遠慮な、質問と糊塗する人権侵害と侮辱罪、名誉毀損と恫喝、住居不法侵入にストーカー行為。それはまだ四歳になる燈真と椿姫を追い詰めて、そして遺族の中にはそれが苦で自殺した者もいた。記者は美談に祭り上げて『後追い自殺か』などと馬鹿げたキャプションで報道していたが、そこまで厚顔無恥では何を言っても無駄だろうと、幼いながらに『大人』というものへの理解を、歪んだ形だと自覚しつつも燈真はそのように認識した。要するに、『偽善者は総じてクソ野郎』だ。

 ややあって、両親であろう遺骸が見つかった。炭だった。ただ、結婚指輪でその全てがわかった。

 黒いそれを受けとって、ただ指輪を見て、現実と全てが結びつかずに「からかうのもいい加減にしろ」と怒鳴ると、握りしめた手の中でぐずぐずになって炭がこぼれ落ちた。

 それでも、まだ恵まれている。椿姫の家族は、とうとう誰一人もその死体が見つからなかった。燈真の両親の付近に、恐らくはそれらしい『影』があったと捜索にあたった皇国軍の兵士が言った。彼らはしきりに「申し訳ありませんでした」と謝っていた。

「ごめん……私、トイレ行ってくる。……耐えらんない」

 椿姫は震える声でそう絞り出し、引きずるように尻尾を垂れ下げながら出ていった。こういうとき、気の利いたことの一言でも言えばいいのに、燈真には無理だった。彼女の地獄は、自分のそれとはずっと深い。妹という存在の前では強くあらねばならず、白狐ゆえに周囲は嘱望の眼差しを向け、その強烈なプレッシャーの拠り所になれればいいであろう遺品さえも見つからなかったのだ。

(俺と違って、本当に強いな)

 諦める、という簡単な逃亡をした燈真には、きっと慰める資格などない。それでもこの場に残り、退魔師を目指すのは不純だのと言われようが、復讐だ。逃げて逃げて、それでも憎悪だけは振り切れなかった。日を追うごとに、まるであの場で死んだ者の無念や怨嗟が取り込まれていくように燈真の中の激憤が熾火のように熱を持った。

 テロリストを一人残らず見つけ、法的正義などあてにせず自分で殺す。どんなやつも、たとえ家族がいても殺す。女だろうが若かろうが殺す。強いられてテロ組織入っただけだろうが、少年兵だろうが殺してやる。鬼畜だの畜生だのと罵られても、それこそ呪詛師認定されようが殺し尽くす。それを、誇り高き退魔師であった父と母の名が刻まれた指輪を首から提げたとき決めた。

「皆さん、お疲れ様です。そろそろ終礼のチャイムが鳴りますね。……皆さんが今後、こういった現場に派遣される可能性は極めて高いでしょう。場合によっては、これ以上に悲惨な現場にも向かわされます。好きな子が、……いえ、とにかくあなた方の地獄というものへの認識の浅さが暴露されるようなことが起きてもおかしくありません」

 担当の女教師が動画のフィルムを止めた。

「私の娘が、あの場にいました。これは教師としてではなく、一人の母親として言います。……皆さんには、犯人の逮捕を期待しています」

 彼女の左足はない。左目も、左腕も。そこには安価な義肢が取り付けられていた。彼女は絶望の末に焼身自殺を図り、救われてしまった。けれど、かつての恋人から「君にだからこそ導けるものがある」と諭されたらしい。そこから猛勉強し、退魔師資格と教員免許を取っている。この場にいる者の中で、あの惨劇を知らないものはいないのだ。そして最後まで残っているのは、多くが当事者である。

「以上です。では、解散してください。今日は昼で終わりですが、あまり羽目を外しすぎないように。新入生はそれが理由で火遊びしますからね」

 最後に軽く冗談を言って、空気を読んだ生徒が「んなことしねーっすよ」と言うと、周りも暗い空気を払拭するように相槌を打った。

 燈真はそれらのノリについていけず、さっさと教室を出た。

 暗幕に包まれた部屋を出て、明るい廊下に来るとその光の鮮烈さに瞼が痙攣する。トイレからは泣きじゃくる声や、悲鳴までしていた。軽い気持ちで同意書にサインしたのか、あるいはトラウマを思い出したのか。いずれにしても、ケアが必須と言えるだろう。精神科医が花形職業と呼ばれる理由がわかる。

 女子トイレから出てきた椿姫がこちらを見る。

「ごめん、ご飯食べ好きてさ」

「……いや。その……俺は、絶対にあの事件を起こしたゲログソ共を殺すから。誰が止めても、家族が止めても、たとえお前が止めても」

「うん。……ありがとう。私も、あいつらを消し炭にしたいから。妹に嫌われてもいい。それでも、割り切れないよ。あんなやつらがのうのうと生きてるなんて」

 うら若き彼らの声音の温度は、絶対零度とも言えるほどに冷え切っていた。

「絶対に、殺し尽くそう」

「うん。何があっても、殺してやるわ」

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