兇星のミラスラグナ ─ 天彗のウルド ─

読了目安時間:9分

エピソード:4 / 4

ACT3 道

 今年は随分と冷える。毎年恒例の冬だが、突き刺すような冷気はいつまで経っても慣れない。  下層は地熱で暖かいが、それでも通気口からは冷気が吹き込んでくる。それは循環し、気流を生んで風となり、空気がかき混ぜられる。そのせいで星霧がその高さを乱高下させるため、年間を通して季節関係なく、通気口の手入れの仕事は重要だった。技師資格を取れれば地上層での生活も夢ではなくなるため、ここ関連の仕事はとにかく倍率が高い。  廃熱による水蒸気はあらゆる場所で冬になると凍る。雪は降らないが、氷はあちこちに張っていた。当然通気口にもそれらが凍りつき、氷柱落としは何メートルにもなってしまう氷を不安定な足場に立って落とすという危険な仕事だった。去年はほぼ毎日現場監督から「今日の悪いニュースは二人死んだことだ。いいニュースは食い扶持が二つ空いたことだ」と死亡報告と就労者募集の通知があった。今年だけで既に、この十二月の半ば時点で十八人死んでいる。けれど、給金がいいこの仕事をやりたいやつは、毎年馬鹿みたいにいるのだ。資格が取れなくとも、まとまった金が手に入るので生活の安定性はぐんと上がる。  リック・エイビーもまたその一人だった。家業を継ぐはずだったが、兄弟が掻っ攫っていって追い出された。路頭に迷ってこの仕事を選んだ。落っこちて粉々に破裂した明るい気さくな壮年の男、美人だが鼻持ちならない女は落ちてきた氷柱に脳を貫かれ、穴という穴から血やら何やらをぼたぼた垂れ流して即死した。毎日それだ。死体に慣れたものは危険な仕事をやめて、死体処理の現場などに行ってしまうこともある。それはそれでハエやウジがたかって、あるいは食い荒らされた凄まじい異臭を放つ、半ば溶けて骨がぼろぼろになっているような、ゾンビの方がよほど可愛げのある腐乱死体を見て地獄を味わうのだが。 「よかったな、うちの管轄じゃ人は死ななかった」  チームリーダーの男がそう言って、リックの肩を叩いた。どちらかといえば気弱なリックは、「そうっすね」と答えて愛想笑いを浮かべる。事務所で暖かい即席ラーメンという、島国の発明品を食べていた。あちらではこことは少し違う工業革命があったらしいが……その副産物が、この即席麺だった。そのままではバリバリした味気のない菓子だが、湯を注ぐとラーメンという食べ物になるから不思議だ。味は、ショーユというものを使うらしく、変わった風味だが美味い。食事を邪魔されて腹が立つが、事務所の備品であるこれは一人二袋までならタダで食える。だからリックは昼と夜はここで食べていた。 「聞いたか、C地区じゃ三人落ちたって。で、一人はもう死んでたってさ。二人は重症」 「保険なんて入ってねえだろ。死んどいたほうがよかったろ。生き地獄じゃねえか」「違いねえ」「マキナータにやらせるって話も上じゃ聞くぞ」「おいおい、ふざけんな。あんな屑鉄にくれてやる仕事があってられるか。あいつらさえいなければ俺は上で暮らしてたんだぞ」  同僚の不謹慎な笑い声。愚痴。そうは言っても、お前らは安いマキナータの女の店に行くんだろうと彼らを嘲る自分。プライドだけは高いリックは少々捻くれていて、向っ腹が立ったが、他人に反駁(はんばく)できるほどの度胸などなかった。だからいつも、胸の中で延々と愚痴っている。みみっちい、と兄弟からずっと言われていたが、知らんぷりをしていた。  食事を終えたリックは作業着のまま帰ることにする。仕事道具のピックはロッカーにあって、鍵を持って出た。財布など持ち歩かない。そんなもの、盗まれるに決まっている。  帰路に着く頃にはもう夜の十一時。家につけばだいたい日付が変わり、一時ごろだ。そして五時に起きて七時から働く。サイクルで二十四時間氷を割っているが、次から次へと氷柱はできて、人が死ぬのだ。まるで、魔女が悪戯しているようだ。悪い魔女が死んだ人の霊魂を氷柱に変えている、だなんて都市伝説まで流れる始末である。  こんな生活がいつまで続くのか。けれど自分は運がいい。十一月から働いているが、まだ落ちそうにもなっていない。なぜなら危険な現場からは体良く逃げて、他人に面倒を押し付けるからだ。弟からは「恨むんなら、女々しくて弱っちい自分を恨めよ」と言われた。ふざけるな、と思ったが……どうにもならなかった。気づけば拗ねた自分は唯々諾々と荷物をまとめて逃げていた。  やがて暗い路地へ。そこへ行くと、マスク越しに頼りにする街灯が心もとないので壁を伝うように歩く。大半は感覚で道を覚えるのだが、リックはまだ日が浅いのだ。安いアパートを転々としていた。家賃を滞納してしまう。やめねばと思っても、つい賭け事をしてしまうのだ。  ぎぃん、ぎぃん、という何かを削るような音がした。  一体なんだ、と──。いや、これは削るというより、……研ぐような。けれど、何を? ……決まっている、研ぐとしたら刃物だ。しかし、ナイフや剣ではない。もっと大きなものだ。  と、ぃぃぃぃいん、という響きを残して消えた。なんだったんだと思っ── 「ん……」  後ろに気配。振り返る。視界の悪い安物のマスクの目の前に、銀色の光。 「んーっ、────かかっ、ぺへぇッひ!」  脳天から股間まで、一直線に振るわれた刃物がそのままリックを魚の開きのように両断した。  ばしゃあっ、と血飛沫が上がり、臓物が飛び散る。  がりりりりり、と刃物を削りながら、それを握る影は去る。血塗られたエプロンを着た、その影が。 × 「去年の冬を皮切りに? つまり五ヶ月前か」 「はい。被害者はみんな、縦横、斜め……規則性はないらしくて、でも、一直線に両断されています。目撃情報が少ないんですが、どうもエプロンをしているとかいないとか……そのせいで、『ヘルズキッチン』だなんて言われてて……」  去年の十二月中旬、ある氷柱落としの作業員男性が最初の犠牲者となった。決まって毎週金曜日にそのヘルズキッチンによる『調理』が行われる。都合二十二回の調理で、きっちり二十二人死んでいた。規則性からして、次は今週の金曜日──つまり、今日日付が変わって五月十四日になった深夜〇時から、事件の経過からして二時までの間、その真夜中に事件が起こる。 「事情はわかった。前金もこれでいい。……あんたがわざわざ依頼したい動機は」 「三ヶ月前、夫が殺されました。報酬はその保険金です。復讐をしたいんです」 「なるほどね。……まあ、悪くない動機だ。これが誰かのための制裁だとか、そんなふざけた義憤なら怪しくて蹴ってたが、私怨ならその意志は確実だ」  依頼人の地味な見た目の女は、どこかムッとした顔だった。けれどウルドは続ける。 「復讐することで、それにケジメをつけられる奴もいる。虚しくなる奴もいる。あんたがどっちかは知らないが、俺なら復讐する。だから、この依頼に関しては完遂させることを約束する」 「……わかりました」  女は頷いた。それからカボチャを被ったネメアが釘を刺すような声音で言い放つ。 「報酬を踏み倒した場合、あなたの体を解体して売ります。いいですね」 「構いません。もう、……私には生きる気力もありませんから」  ウルドはそれについてはどうでもよかった。他人の人生や死生観に興味なんてない。働きに見合う報酬があればそれでいいのだ。 「被害が起きている地点は……メリーズ通りの砕氷作業場を中心に、半径五キロか。集中しているのは……南西。ここを張るか。ネメア、時間は」 「今は午後三時半ね」 「情報が出揃ってる今なら電撃的に動けるが、向こうがどこにいるかわからないんじゃ待ち伏せるしかない。悪いけど、あんた囮になってくれないか」 「構いません。ただ、その場合私の遺産は親が相続することになって、報酬が……」 「いくつか支店を梯子して金を下ろせばいい。一応ネメアを同行させるから護衛にはなる。ただ、最悪あんたは真っ二つ。死んでもいい、って言ってたろ。生きる気力なんてないって」 「ええ。ですが、絶対にヘルズキッチンを殺してください」 「確約する」  ウルドはしっかりと女の目を見て頷いた。革鎧の二十代半ばの男だが、それでも顔や首筋、覗く喉の付近や鎖骨だけでも十近い傷がある。歴戦の強者であることなど言わずもがな。海緑色の目には、はっきりとした自信が表れており、みなぎる依頼完遂への意志──そして、報酬への期待もまた大きかった。二十四歳のぎらついた、何かの目的のために邁進する目。女にはそれが、復讐の代行として相応しいと思えた。こいつなら、絶対にあの悪魔を殺してくれる。その確信を持てた。  両者は「金で動く」ことを了承し、互いにそれを欲していた。ゆえに、下手な正義感に踊らされる新人探偵のようなヘマがないことを理解しているのだ。 「ネメア、お前は銀行巡り。頑丈なケースを持っていけ」 「わかったわ。いきましょうか」 「はい」  ネメアが奥に引っ込んでいた金属ケースを引いて、女と出ていった。外気の星霧がキラキラ光って、部屋の清浄機へ吸い込まれる。その煌めく軌跡を目で追って、ウルドは紙巻き煙草を咥えた。マッチで火をつけて、軽く振って消火したそれを灰皿に入れる。  両切りのきつい煙草の紫煙を吸って、肺の奥まで取り込んで吐き出した。 「ヘルズキッチン、ね。……なんにせよ、初回で手取り二五〇〇万の案件なんてそうそうない。裏取をして……」  手元のメモ帳に奇妙な記号を並べる。それはウルドとネメアが使う符牒だ。これの組み合わせでメッセージをやりとりしている。他人が見たら子供の落書きだが、実際には依頼を行う上で必須な情報が書き記された重要書類だった。  それを一枚、アストロン冷蔵庫へはっつけておいた。  そうして肩へマウントされている鞘を触れて認証。鎧の内部フレームの噛み合いが解除され、ウルドはそれを着込んだ。自動でロックされて背部が閉じられていき、肩にマウントされていた鞘が背中へ。その上から大きなローブを纏い、真っ黒な騎士が事務所を出た。その騎士がご丁寧に鍵を閉める様は、少々滑稽だが。  ウルドは足をワトソン通りの東に隣接するメリーズ通りへ向けた。  やることがわかりやすい、そしておそらくは依頼人は何も嘘を言っていない。単純な仕事だ。最悪なのは相手は二十人以上を殺している殺人鬼。何が起きてもいいように、ウルドはあらゆる不測の事態を考慮したプランをいくつも練り上げていた。  考え、そうして明確な答えを出した。  いつも通りの方法で狩る。  ヘルメットの内側のモニターに映る情報を視線誘導で整理し、考えをまとめておいた。ネメアも同じように幾つも計画を練っているに違いない。阿吽の呼吸で動けるので、むしろ余計な指示などいらないのだ。  メリーズ通りの下見と言っても、本当に見て回るわけではない。ビルの上などを巡って地形を把握する。とにかく、道を覚えねば。何事も、何を成すにせよ道筋がなければどうにもならないのだから。そして、道がないなら作ればいいと言えるくらいの覚悟がなくては、こんなことはできやしない。

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