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兇星のミラスラグナ ─ 天彗のウルド ─ 作者:河葉之狐ラヰカ

Chapter1 械鬼

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ACT2 一国一城の主

 空がない。どこにも飛んでいけない檻のような、鳥籠のような歪んだ世界。そんな印象を受ける。今まで二年間、片田舎で開業して働いていたウルドは素直にそう思った。都会暮らしで、目的のため、コスト的問題を踏まえ下層を選んだが……いや、ない者ねだりはすまい。下層はそういうものだ。地上層の下にあるのだから当然である。光がないそこでは街灯があちこちにあり、乱雑に並ぶ。さながら東方国家にある老華蝶国の九龍城だ。その灯りは迷い込んだ害虫が集まる誘蛾灯という言い方が正しいのかもしれないが、まあ、多少の目印にはなる──それくらいの認識でいいだろう。

 そんな下流階級が暮らしている、中流階級以上が嘲る際に「肥溜め」などと呼ぶそこにある一件の家を前に、ウルドはヘルムの下で若干呆れていたが声には出さなかった。

「こちらが、ウルド・ウィルソン様がご購入なされた物件となります。コルネルス連合王国、ルウェイズ地方、ヴァムブラン領、領都ブラン下層、セーガンエリア、ワトソン通りの14-27……お間違いないかと」

「ああ、確かに」

「ありがとうございます。こちらが鍵となります。お引き渡しは以上です。失礼します」

 無愛想な奴め、と思った。仮面をつけた男はさっさと消え、ウルドは家を見る。

「城、ね」

「廃城の間違いだと思うけど」

「住めば都っていうだろ。一国一城の主。ここから俺たちの伝説が始まる。後世に語られる英雄譚が、な」

 外観は石造の一軒家。二階建てで、しかも広い。別にそれだけならいいが石は苔むしているし、とにかく路地の先という立地の悪さ。通路には不法投棄されたゴミや、アストロンの配管などが走り回っている。危険な場所という認識でいいが……依頼人が近寄るか否か、だ。ただ漆喰などは都度塗り直されているのか継ぎ目は綺麗で、石自体も頑丈かつ丁寧に切り出されたものを積んでおり、特に傾いていたり均衡さにばらつきがあるわけでもない。あくまで見栄えは、というだけ。それだけが問題であるならば、殊更嘆くほどでもない。

 あとは、そう、危険で人を選ぶ場所だから、冷やかしはそんなに来ないだろう。切羽詰まった、ウルドたちを必要とする者が来る。きっとそうだ。そう思わねばやってられない。都会の物価における安いの基準は、田舎では法外な値段だ。そう、つまりウルドたちは法外なものを買ったのだ。それで元を取れなくては豪腹である。

「事務所兼自宅。……ま、悪くない」

「ポジティブね。無い物ねだりしないだけマシだけど」

「ネメアはどうなんだ?」

「目的を果たせればそれでいい」

 どうやらあまり、家というもの自体に執着がないようだ。けれどその方がありがたい。あれこれ手間がかからないのは助かる。

「とりあえずここが当面の拠点だ。内装は全部任せてあるが……それは期待しないでおこう。問題は依頼人が来るかどうかだ」

「しばらくは猟胞団(りょうほうだん)の仕事?」

「にも、なる。あっちこっちに広告を出した。もっとも探偵だ、ってことも含めて」

 ウルドはトランクを開けて、中から看板を取り出した。金属製で荷物の中では重い部類であるそれを軽々持ち上げ、注文通りの型枠に嵌め込む。ややきついが、がつんと殴りつけると綺麗にはまった。そこにはコルネルス語ではっきりと『ウィルソン探偵事務所』とある。しかしそうすべていれるとややきつく詰めねばならず、読みにくい。なので短縮してその頭文字である『ウタ』と書いてあった。当然広告にも『お困りの際はウィルソン探偵事務所、ウタまでどうぞ』と短縮名称、住所を載せているから、何ら問題ない。

「荷解きするぞ。依頼人が来た時、コーヒーくらい出せるようにしておかなきゃ困る」

「普通は清浄機を優先すると思うけどね」

「二の次だ。入るぞ」

 鍵を開けてノブを回す。真っ暗な室内なのは仕方ないが、それをわかっていたので内装の取り付けは注文を出して行ってもらったのだ。重たいスイッチを上げてアストロンを通流させると、ブゥンと唸って輝きが灯った。アストロンランプの青い、海の表層のような輝きが灯る。

「よし」

 室内を見回していたネメアが感嘆したように鼻を鳴らした。

「気が利くみたい。清浄機、組み立てある」

「へえ。スイッチを入れてくれ。話してた時は専門の技師が出払ってるかも、って言ってたけど空いてたんだな。……ああ、じゃあこの工賃は返ってこないか」

「いいでしょう。素人が組み立てて台無しにするより」

「そりゃな。じゃあマスクは外していいか」

 ウルドはヘルムの連結部を押し込んで解除。車内でも見えていたが、けれどフードで徹底して隠していたその顔は、異質なものであった。

 彼の右目は潰れていた。ぐしゃぐしゃに。刃こぼれしたもので強引に切り裂いたような、いびつな傷跡。そのひどい出血を止めようと、熱した鉄か何かを押し付けた火傷の痕がさらに傷を歪めていた。人によっては明らかな嫌悪を見せるだろう。それをわかっていて、しかし気にしないウルドだが哀れまれるようなことをされると、明らかに下に見られ舐められている気がして苛立つし、かといって同情されても腹立たしいのだ。ならば余計な話で時間を取らずにさっさと依頼を寄越せと怒鳴りつけたくなる。馬鹿にされるのであれば、簡単だ。殴りつけて黙らせればいい。

 とにかく潰れた右目、そして口元の抉れた痕らしき傷、左の額にある縫い傷など顔だけでも傷だらけの彼。当然手足にも胴体にも大小様々な傷があった。

 大きなローブを取り払って黒い鎧の連結を解除していった。パージされていったそれを文字通り脱皮するように、背中から抜け出す。露わになるのは簡素な革鎧を着た青年。

 アッシュバイオレットの髪に、海緑(シーグリーン)色の目。変わった色合いだが、コルネルス連合王国は単一民族国家ではないし、人間と言ってもヒューマン、デミヒューマンと種族も多数。元々の種族が不明というほどに混ざり合った世代交代をした今、隔世遺伝も考慮すればヒューマン同士から人狼族らしい子供が生まれることもある。そのせいで自分の子ではない、と星十字聖教会の修道院など、あちこちに捨てていく無責任な親も急増しており、社会問題になってもうずいぶんと経っているが、なんら解決しない。それで危険な犯罪が増えても、お偉方は知らんぷりだ。

 どちらかといえば落ち着いた雰囲気の顔立ちで、しかし柔和というには傷を取っ払っても、お世辞にもそうだとは言えない。物理的にはわからない、なにか断層のような見えない距離があるような、他人を自分の領域や、そもそも目にも入れようとしないような壁を感じるのだ。常に遠くを見ているような、そんな目つき。体は重心が常に低く、警戒し、まるで頭の後ろにも目をつけているような威容を放っていた。騎士鎧の背中には鞘。それを見て柄を少し握り、離した。

 佇む鎧。抜け殻めいたそれを目に、呟く。

「刃鋼の民の……刃鋼鎧(はがねよろい)

 二〇〇年ほど前に滅んだ金属人間種族。ウルドが身にまとうその鎧は、代々受け継がれてきたであろう、謎だらけの刃鋼の民の鎧だった。彼らは金属でできた肉体を持っており、当然鎧など必要ない。だが、ある行いをすると結果的に鎧が出来上がる。そして刃鋼鎧は、身にまとうものに彼らが持っていた怪力を付与し、その異質とすらいえる運動能力と超自然的な術法を与えるとされていた。一種の都市伝説──オーパーツに近い扱いで、学説によっては刃鋼鎧自体創作物とすらされていた。これを見ても、恐らくは考古学者でさえも刃鋼鎧だ、とすぐにはわからないだろう。

 これは誰が何の目的でウルドに託したのかは不明だ。ただある日、ネメアがこれを着て現れた。「彼女があるべき場所に返せと言った。だからあなたに返しに来た」と、そう言って。その彼女は仮面をしていて、声と体つきで女だと判断したとネメアは言っていた。

 その女は、ウルドの母親なのだろうか。なぜ直接ウルドに会いに来なかったのか。まあ、事情があるのだろう。もっとも赤の他人で、その女自体もなぜウルドに返さねばならないのかわからなかったに違いない。

「ネメア、カボチャを外したらどうなんだ」

「ああ……」

 どうも、マスクをしている自覚がないようだ。基本的に彼女は他人に顔をじろじろ見られるのが嫌いなので室内でもよほどのことがない限りマスクを外したりはしない。なので外食もしない。他人に顔を見せるくらいなら餓死する、と断言するほどだ。

 すっぽりとカボチャマスクを外した彼女の端正な顔が露わになった。

 真っ黒な繻子のような髪がさらりと流れ落ちる。目が隠れるくらいに長い前髪と、サイド。後ろも長く、ほとんど腰まで伸びていた。髪質はいいが無造作に伸ばしている。そのくせストレートヘアで、ただ、少し寝癖のように跳ねている部分もあった。他人に体を触られるのが嫌いなので美容院にも行かず、適当に自分でばっさりと切り落とすくらいしかしない。それもまた、触られるのはもちろん顔を見られたくないからだ。

 けれど容姿が醜いのかといえば、そうではなく、というかなんなら美人の類だ。はっきりいって、そこらの女などでは太刀打ちできない美女。やや怜悧な印象の目つきだが、その鋭い風貌が彼女のひんやりとした魅力を引き立てる。真っ赤な血のような目は反射的に忌避感を抱く者が多そうだが、慣れているウルドは気にならない。そのウルドとは違い、彼女の場合は接する側が遠ざかりたいと思うような雰囲気を持っていると言えるだろう。こいつに関われば死ぬ、という空気が感じられるのだ。

「息がしやすい」

「フィルターがないからだろ。俺は鎧のおかげで呼吸は楽だが」

「嫌味ならやめて」

 トランクからインスタントのコーヒー、その瓶を取り出した。銘柄は様々だ。豆のままで取り寄せることもできるが、ドリップには手間がかかるので後回し。設備はあるのだが、豆自体の納期が間に合わなかった。一応発注はしているが、現状は客にはインスタントを出すしかない──というか、中には本当に言うだけ言って依頼を考えるなどという時間の無駄でしかない傍迷惑な奴もいるので、とりあえずは所作と要件、資金を聞いてどいう茶と菓子を出すのかを考えている。

 ウルドはしばし棚の整理をして、事務所を眺める。ついでで沸かしていた湯を見て、コップに振り入れたコーヒーの粉を溶かしつつ、濃い匂いを吸い込んだ。

 まずは、客が来なければ始まらない。気が遠くなる一歩なのか、案外すぐなのか。それこそ、神のみぞ知るといったものなのだろうと思った。

「ウルド」

「ん」

「ミルクと砂糖をたっぷり。それからお菓子。……三人分(・・・)

「へえ」

 どうやら、一歩目は向こうからやってきたようだ。

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