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兇星のミラスラグナ ─ 天彗のウルド ─ 作者:河葉之狐ラヰカ

Chapter1 械鬼

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ACT1 オリジン・ブラッドの街

 重たい金属の往復運動。歯車が噛み合う軋りと回転する金属音。高圧の蒸気が巡り、吐き出される放熱のそれ。液化された星䨩素(アストロン)がパイプを駆け抜ける流動の、脈打つ鼓動。そういった数えきれない、大きく細々として、雑踏のようで囁くような、色彩も声音もリズムも多種多様な機械の声。

 総合して一〇〇〇万もの人々を内包し、四階層からなる都市。ヴァムブラン領の中心である領都ブラン。広大な面積を持ち、その外縁部を対艦砲でも貫徹できない防壁で覆う、何処か閉鎖的で閉塞的な空間だ。

 地上層から見える空は、一部に覆うように見える上層の床──つまり、地上からしてみれば蓋のようなそれであるものの隙間から空が覗けるのだが、吐き出され続ける星煙がほとんどそれを覆い、日光は幾重にも遮られてしまって薄暗い。なので、上層があってもなくても、結局空を拝むことは愚か、日輪を仰ぐことなどで気やしない。おまけに、うっすらと青い燐光を宿すきらきらした霧が垂れ込めていて、それは大体太ももから下に堆積するように漂っていた。うっすらとしたものであれば、常にビルの上まで立ち込める。その星霧(ほしきり)は、この時代の主要都市の大半に見られる現象だった。

 工業化が進んだが故の弊害であり、近代における技術の躍進、その顕現ともいうべきものである。幻想的だが、この星とそこで生きる一部の生命を破壊し命を蝕み、そして汚染するものであった。

 駅に列車が侵入する。ぎぎぎぎぎ、という耳障りな音がしてブレーキがかかけられた。減速していても慣性の法則は働いて、そのためのブレーキなのだがこの音を聞くと総毛立つような不快感を抱く者は多いだろう。ちょうど、黒板をフォークで引っ掻くような音だ、そう、あれに近いかもしれない。

 列車のドアが開く。圧搾空気が抜けて栓が回り、解錠されたそこから降りてくる乗客。彼らは総じて厚着だ。理由は単に、霧に混じる煤で汚れぬようにということだろう。顔には口と鼻を覆うフィルターとゴーグルが一体になった、顔面を覆うタイプのマスク。傍目には、それは仮面舞踏会に赴くような出立ち。煤と、そして一定密度のアストロンは人体に害を及ぼす。煤は言わずもがなだが、実はアストロンが人間に与える影響は、ほとんど机上の空論の域を出ないものばかりで、中にはB級フィルムのような陰謀論めいた学説まであった。

 ただいずれにしても、この霧は──先述した星霧はよしんばアストロンを含まないにしても煤が混じる以上、危険なのだ。吸い込めば呼吸器をやられ、目に入れば失明する恐れもある。表情のわからない、偽りの仮面を貼り付けた者が駅から街へ消えていく。霞む霧の向こうの影は、ランタンのぼんやりとした光と共に溶けていった。

「お客様、あの……お客様?」

 客車の席で眠りこけていた青年は、車掌に肩を揺すられているが起きない。起こそうとしている車掌の左目の下にはバーコード。

「お眠りになられているところ、すみません。ブラン中央駅に到着いたしました」

 制服を着て、マスクをしていない車掌の男。理由はまず、ここには空気清浄機があること。もう一つは、彼が機巧人形、いわゆるマキナータであることだ。けれど作り物というにはあまりにもリアルで豊かな表情。彼が起こした若い青年というべき男は、ダボダボのフードを深く被り、口元まで隠していた。怖い客だったらどうしようと、周りの客は無視していた。切符を買えた以上は問題なのだろうが、席には剣が立てかけてあるし、手元には明らかにハンドガンと思しきものが収まったホルスター。物騒だ。軍属にせよ傭兵にせよ、関わりたくないというのが本音で、だからマキナータが起こしにきた。

 一人、遅れた客が現れた。若い女で、仮面をしている。

「どけ、人形!」

 高圧的な声で怒鳴り、マキナータの男を突き飛ばす。その車掌マキナータは平身低頭、「申し訳ございません」と謝った。そうして、寝ていた青年は起きる。ヒステリックな女の声が、癇に障った。

「あ、すみません、お客様。お見苦しいところを」

「気にしてない。悪い、寝てた。ここは終点のブラン?」

「その通りでございます。お客様の乗車券のコードがこちらの駅で降りることになっておりましたので、僭越ながらお呼びにまいりました」

 青年は目頭を揉んで、ゆっくりと立ち上がる。この国の平均的な身長より、少しだけ高い。大体、一八四センチかそこらだ。ただ、少し背が高いという程度であり、基本的に高身長と言えば一九〇センチ台が目安だ。青年は車掌に頭を下げる。

「ごめん、さっさと降りるよ。……あ、対面に座ってたやつは? 変なマスクをしてたと思う」

「先に降りていかれました」

「わかった。……助かった。さっき、ぶつかられたろ。平気か?」

「お気遣いなく。仕事ですから」

「そっか。……そのうち、そんな時代も終わるさ。あんたの名前は」

「製造コードは──」

「違う。名前だ」

「……マイスターは、デイビス、と呼んでいました。亡くなられたお子様の名前でした」

 青年は深く頭を下げ、それから手を差し出す。金属に覆われた黒い籠手。

「ありがとう、デイビス」

「いえ。……お客様のお名前をお聞きしても?」

「悪い、名乗るべきだった。俺はウィルソン。ウルド・ウィルソン」

 握手して、それから青年は──ウルドはトランクを掴んだ。トランクに引っ掛けてあるフルフェイスタイプのマスク──というか、(ヘルム)を顔を隠しながら被り、そうしてやはりフードは被った。怪しさが加速度的に跳ね上がった見た目のまま外へ。全身は、装甲を貼り付けたような鎧であり、傍目には現代版騎士とも言える出立ちだ。羽織ったローブの隙間からは、明らかにそのようなものだろう物が見えるのだ。これでは立派な狩人である。軍人なら普通制服だし、傭兵だってここまで重装備な鎧など身につけない。であればこの国が非公認でありながら黙認する、原住生物狩りを生業とする連中だろう。

 列車を出て駅に視線を巡らす。見えたのは、奇妙な影。その格好は、服装自体は落ち着いたものだった。厚着には変わりないがどことなく華やかさと礼儀をわきまえているケープコートに、膝丈のスカート。最も、素肌などほとんど見えない。気配に気づいたそいつはこちらに肩越しに振り返った。自分自身もだが、あいつも変なマスクだ。その容貌は頭をすっぽり覆うカボチャなのだ。色もそう。オレンジ色で、ヘタは緑色。百鬼夜行(ハロウィン)……まあ、彼女にとっては年中そうだろう。

「ここにも死霊はいるのか」

「ええ。昔は十月三十一日が一年の終わりだった。だから、その時には死者の魂や魔女が現れると信じられていて、ヒトはそれを追い払い、或いは身を守るために仮装した。そうね、大体新年二日までかしら。年の終わりから数えて三日間、これは行われた。慰霊と鎮魂と、自衛。それが本来の意味。まかり間違っても、体の売り買いをして酒を飲む淫行に目がない白痴共の遊びではないわ」

 少女といえる声音。そこには、意味を履き違えている者への色濃い呆れと、それに付随したうっすらとした怒りが海原へと溶け出した雪水のように滲む。

「世間は理由がないと酒も飲めない、女も男も抱けないのか。大変だな」

「何かにつけて理由や条件がないと、みんな責任を問われるからじゃないの。それが情報管理の弊害かしら。解析機関とカードの発行はその白眉。それか、行き過ぎた『客は神様精神』。馬鹿ね、本来は客が節度と態度を守るからこそ、職人が客に対し、そう看做すものだったはず」

「勘違いは誰にだってある。……いいさ、馬鹿の相手は、馬鹿にさせておけば。誇り高い職人は、俺たちにも関係ない」

 さっきのデイビス、少し聴こえた女の声と物音からして何が起こったかは大体わかる。プロの仕事をした。だからウルドはデイビスに敬意を払った。それだけだ。

 ウルドはトランクを引っ張って、プラットフォームを出た。少女はショルダーバッグを斜めに引っ掛け、カボチャ頭で後を追う。

 切符を駅員に渡すと、無機質な声で「ウルド様にネメア様ですね。お通りください」と言った。その切符はグレードの高さを物語るマークがあって、彼らのそれは二等級。一等級から三等級まであるので、真ん中だ。中流階級市民、という認識であろうが、正直そこはどうでもいい。値段とサービスを考えて、それを選んだに過ぎない。

「傍目には、黒騎士」

「やめろ、拗らせた子供の夢小説みたいなことを言うな」

「でもそう見える」

「黙ってろ。お前は踊るテロリストにしか見えない」

「踊るだけで反省させられるんならそうするわ。それが無理だから、わざわざこんな小汚いところに来たんでしょう」

 今日の星霧は、ひどくない方だった。太腿までの霧なら、まだまだ良心的。これはひどいと、ビルの三階まで覆うレベルになる。こうなると一般の交通車両は停止。決まった時間を、限られたレールの上を走る市内鉄道が走るだけだ。汽笛に気付けなければ、轢かれて死ぬ。そういう事故は多いが、基本的には市民権を獲得する際、そう言ったものへの死亡同意書と遺書を書かされるので法的には自己責任であった。

「昼……だよな」

「多分。まあ、街が暗いのはいつも通りね。……ここが本当にブラン?」

「そう。始まりの吸血鬼(オリジン・ブラッド)、ドラキュラの故郷」

「へえ。お城はあるのかな」

「軍事要塞として改修されたとかって聞いたが……まあ、大半の城はそうじゃないのか。基地になるか、ホテルになるか、だろ。マナーを守らない客に踏み荒らされるくらいなら、有効に使えるようにするものだしな。少なくとも俺が城を持ってたら、そうする。もっともそれ以前の選択肢に自宅としての利用ができるんならそうするが」

「……そうね」

 ここからでは、ブラン城は見えない。が、ある、というのは確かだ。往々にして領都とは軍事的要衝であり、城とは最も分厚い守りを敷くもの。その守りを維持し、いざとなれば籠城するにおいて物資を詰め込まねばならない。それこそ、大昔からそういった目的で建てられることが多かった。戦国乱世を過ぎると景観や居住性を重視した建築様式も出てきたが。

 ウルド、そしてネメアというらしい少女は街灯を頼りにリフトを探し、見つけた。貨物搬入用のものの側に、人の昇降機もある。ここへ乗るものは、基本は業者。周りは真っ黒な騎士と、真っ黒な服のカボチャ頭というわけのわからない二人組がそこに乗り込んだのをどう思うのだろうか。まあ、どうせ誰も見ていないと思うし、見えるとも思えない。

 ケージに入るとカバーが降りて、下降を始める。臓腑が浮き上がる奇妙で不自然な浮遊感がぐん、と急に止まった。速度を出すため、なおのことその緩急が激しい。

 そうして彼らが降り立ったのは、領都ブランの地下にある都市──ブランの下層だった。

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