コメディアン大統領はウクライナを救えるのか ゼレンスキー氏のポピュリズムと政治課題

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ゼレンスキーの人生で転機となったのは、旧ソビエトで人気を博する番組『КВН』(カーヴェーン、「陽気な機知のクラブ」)への参加である。この番組はソビエト時代から続く、いわば若者グループがユーモアを競い合う番組だ。ソビエト時代のゴステレラジオを引き継ぐロシアのチャンネル1がロシアのみならず旧ソビエト全体で放送を続けていた。当時はまだウクライナとロシアは友好条約を結んでおり、兄弟国として関係が良好だった。

ゼレンスキーは故郷クリボイ・ログの仲間と「KVARTAR(クバルタル)95」というグループを作った。95番街という意味で誰でも覚えやすいようにとこの名前をつけたという。95はゼレンスキーが通っていた学校の名前からだ。クバルタル95はウクライナの予選を勝ち抜いて、КВНのトップリーグに参加した。

2000年からの3年間、ゼレンスキーはモスクワ暮らしを続けた。人気番組КВНのトップリーグに参加するのは、旧ソビエト全体に名を知られることである。ゼレンスキーはショービジネスの世界への第一歩を踏み出した。

ゼレンスキー大統領に対してロシアの政治関係のトークショーは冷ややかな論調が主流である。クレムリンお気に入りの司会者ソロビヨフは、大統領選挙の結果を認めるべきでない、とまで言った。

ショービジネスの世界でロシアとつながり

しかし同じロシアでもショービジネスの世界は違う。

ロシアのコメディアンで人気の司会者であるマクシム・ガルキンは「ヴァロージャ おめでとう。君は新たな偉大な道に待ち受けるあらゆるチャレンジに立派に立ち向かうだろう。ヴァロージャは原則をしっかり守る誠実な人間だ。君に力を、成功を祈る」と祝福した。そして、自身もドンバスでの平和とウクライナとロシアとの悲劇的な関係を正常化するために力を尽くす、と述べている。ガルキンの祝福はロシアからゼレンスキーに寄せられた最も温かく、誠実な祝福と言えるだろう。

ロシアとウクライナのショービジネス、テレビの娯楽部門は深く結びついていた。ソビエト時代からユーモア、コメディといえばオデッサだった。しかしクリミア併合に伴うロシアとウクライナの関係悪化は友好的だったショービジネスの世界も引き裂いた。ゼレンスキーは「ロシアの友人たちとは自然と関係が消えた」と述べている。ガルキンらウクライナでも人気だったロシアのコメディアンはウクライナでの公演を禁じられている。ロシアとの紛争がなければ、ゼレンスキーが政治の道に足を踏み入れることはなかったであろう。

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