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春がいっぱい

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2022.04.29

『寝物語』

豊田道倫

「ティッシュ、取ってくれる?」

「うん、はい」

「ありがとう」

「…… ちゃんと拭けた?」

「うん」

「うん」

「今、何時だっけ?」

「一時過ぎじゃない」

「帰らなくていいんか」

「うん」

「旦那とか大丈夫?」

「つまらない話しないで」

「うん」

「ねえ」

「なに」

「この部屋、静かね」

「そう」

「うん、いいね」

「昨日さ」

「うん」

「猫が来たよ、夜中」

「猫ちゃん?」

「うん、玄関の外でニャーニャー鳴いて た」

「かわいい。入れてあげたの?」

「玄関開けて、入るか? と声かけたけど、今日はいいって」

「ふふ、何その作り話」

「作り話じゃないよ、本当さ」

「あなたって」

「なに」

「いや…… 何でもない」

「ふん」

「ふふ」

「ちょっとお腹すかない?」

「あたしは別に」

「パンでも食いたくなったなあ。食パン焼こうかな」

「そういえば」

「なに」

「ずっと前に住んでた街にね、夜中から開くパン屋さんがあったの」

「夜中から?」

「うん、終電の時間くらいからね。おじいさんとおばあさんがやってて。結構人気でね。味は素朴で美味しかったなあ」

「へー、いいなあ。でも、なんで夜中から開けてるんだろう」

「わからないけどね。売り切れたら閉めるから、朝までやってるって感じではなかったかも」

「今もやってるのかな」

「ううん。もう、とっくにやめてる。あたしが通ってた時でも、結構なご高齢だったから」

「もう、亡くなってるのかなあ」

「多分ね」

「うん。でも、いいな」

「何が?」

「お店閉めても、亡くなってても、語り継がれるだけで、何かを貰えるような存在って」

「うん? ちょっとわかりにくい」

「あ、ごめんね。ほら、成功とか評価とか伝説で語り継がれるようなひとって結構あちこちにいるけど、小さな町のパン屋さんの話は聞いただけでも、想像したり、考えたり、夢見れたりするから、すごい素敵だなあと」

「そうだね、うれしい」

「パン食べたかったけど、想像してるだけで、パンを食べたような気にもなるよ」

「ふふ」

「ほんとに」

「今度」

「うん?」

「うちからホームベーカリー持って来て、パンを焼いてあげる」

「え、いいよ、わざわざ」

「いいの」

「旦那さんや子供達に焼いてあげなよ」

「またつまらないこと言って」

「……」

「あたし、決めたんだ」

「何を?」

「今度、話す」

「え、気になる。今話してよ」

「いや、今度」

「ふーん」

「ねえ、今夜は猫ちゃん来ないのかな」

「来るかもよ」

「ね」

 

豊田道倫

とよたみちのり

1970年生まれ。1995年にTIME BOMBからパラダイス・ガラージ名義でCDデビュー。以後、ソロ名義含めて多くのアルバムを発表。単行本は2冊発表。

今年2月14日にシングル『戦火の中を-2022』をデジタルリリース。

配信リンク→ https://linkco.re/axq1vvAZ
MV→ https://youtu.be/dDZGWtGgp78

photo by 倉科直弘