和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 26橘副長は、この時上陸はないと判断、捕虜銃殺に反対したが、裁判では司令の指示通り「命令伝達した」ことにした。事実を言えば自分は助かるかもしれないが多くの部下が死ぬかも知れない。「迷った。そしてやっと到達し得た結論は死であった」 司令と副長に絞首刑の判決が出された。23996
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 26酒井原少将「我々を戦犯として裁くならば、原爆で女子供老人病人をも含め一挙に何十万と殺戮した行為に対し、その最高命令者、指揮官及び実行者をすべて正義人道に基き、世界最大の戦犯として裁くべきである。その後我々はこの裁判を合法的なものと認めよう」 裁判長「あなたはしばり首です」183150
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 26ウェーク島の捕虜銃殺を命じたのは酒井原司令だったが、以前から捕虜を日本に移すべきとの意見具申が複数の部下からなされていた。なぜできなかったのか。橘副長によれば第四艦隊から「俘虜を内地に還す要なし、之を労役に使うこと及敵上睦に際しては之を処分すべきこと」との命令が出ていたからだった14168
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 27橘副長はその後減刑。クェゼリン島の収容所生活は、最初番兵が黒人で、その多くは日本人に同情的だったという。 …「君達はほんとうに気の毒だ。自分にはよくわかっている。出来るだけの事はしてやるから遠慮せずに何でも言え」彼の目に涙のにじんでいたのを見た時には、私も思わず泣いてしまった。153102
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 27だが、収容所の番兵が白人に変わってから状況が大きく変わる。 「…良心もなければ羞恥の念さえ無い。その太々しい態度、何とすざましい人間どもだろうか、これが米人の姿だったのか。行末が案じられた。何をされるかわからない不安に覚悟を固めざるを得なかった」158107
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 27グアムの収容所で行われた日本軍将兵に対する虐待。 …「ファキンジャパニーズ」「ファキンヒロヒトキスマイアス」を大声でどなれと強要する。犬、猫、虎、鶏、豚の物真似を命ずる。声が小さいと棒で腹をつつきまくる。かつての将官が番兵の命のままに「ニャーゴーニャーゴー」とやらねばならぬ382123
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 27まだ続くので引用元を書いておきます。 虐待行為を蒙りたる手記 地獄絵巻 ウエーキ島 海軍少佐 橘荘一 戦犯裁判の実相 巣鴨法務委員会編 槇書房 昭和56年23977
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 27グアムの収容所で行われた日本軍将兵に対する虐待(3) A中将はおそらく阿部孝壮海軍中将。 「お前達若い者はどんなことがあっても頑張って生き抜いてくれ。自分は老人、到底この運動には堪えられなくなる。その時は自殺するつもりだ。しかしお前達は最後まで頑張って国民にこの真実を知らせてくれ」164110
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 27グアムの収容所での日本軍将兵に対する虐待(4) …私達が今日まで受けた、又将来受けようとするものすべてが将校の命令に依って為された事がこれによってはっきり判った。何の抗議も要求も無駄であった。死ぬまでこの苦難はつづくのだと悟る事が出来た。14183
和中 光次(わなか みつじ)@111g0グアムの収容所での日本軍将兵に対する虐待(5)7:01 AM · Apr 27, 2022·Twitter Web App44 Retweets1 Quote Tweet90 Likes
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 27グアムの収容所での日本軍将兵に対する虐待7 便所に行かせてもらうには「アイムファッキンインピーリアルジャパニーズネービー」「メイアイゴーツウヘットサー」何回も声のかれるまでどならねばならぬ。今度は四つばいになって房の中を這いまわる。「ワンワン」「ブウブウ」犬、豚何にでもならねば…14586
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 27人道の心をもっていた心優しき米兵(3) 虐待を受け続けていたグアム島の“戦犯”たちに人道の心で接した米下士官は、硫黄島で日本軍と戦った勇士だった。大勢の仲間が日本兵に殺されていたが、「日本人は立派だった。実に立派だった」と心から称賛していた。144110
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 27グアムの収容所での日本軍将兵に対する虐待(8) 番兵に陰茎をなめろと脅迫されたり、中には強引に圧えつけられ囗の中へ押し込まれた人もあった。14577
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 27橘少佐は虐待に耐えきれず倒れ、死の手前までいったが、何としてもこの実態を日本人に伝えねばと生き抜き、この手記を残した。しかし、残念ながら今の日本人にほとんどまったく伝わっていない。それで、橘少佐や阿部中将の意志を継ぎ、多くの人に知っていただくためにこの長いツリーのツイートをした。272130
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 27ウェーク島事件で唯一処刑された酒井原司令の、収容所での様子は、部下だった中里久夫大尉がその著書『ウエーキ島─海軍陸戦隊生還者の証言』に書いているが、橘副長が書いているような過酷な状況にあったことが想像される。14793
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 27酒井原繁松第65警備隊司令(前)と橘壮一副長。 橘少佐の海軍兵学校時代、酒井原少将は教官だった。 クェゼリン裁判では、酒井原少将は絞首刑、橘少佐は銃殺刑(後に減刑)の判決。13977
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 28橘少佐はその後巣鴨プリズンに移された。橘少佐にとってそこはグアムの収容所に比べれば天国であった。だが、時間が経つと巣鴨もグアムと同様、様々な理不尽な状況があることがわかり、それを簡潔にまとめている。21850
和中 光次(わなか みつじ)@111g0·Apr 28最後に橘少佐は手記を綴った理由を書いている。 「虐待暴行の限りを以て我々を遇して来た彼らは、今何の咎めも受けず人道の権化、世界の救世主の如く我々の上に君臨している。…過去の日本のすべてが悪であり、彼等のすべてが救世主であったとの誤れる考えあるを棄てて貰いたいが故に書いたのである」1957