今回、引用作品としてあげるコンテンツがあります。
このコンテンツは見る人によって得られる情報が、まるで変わる
という面白い性質があると考えています。
このようなタイプの女性の話をされても参考にならない。
この言葉を発する男性は
女性遊びをして来なかったことの証明になるのです。
その理由についてですが、女性遊びを継続して行ってきた
男性たちは、全員が知っているのです。
この物語の中に登場する女性のタイプは、女性遊びをしていく時に
親和性が非常に高い女性達であるという事実です。
実際にこのタイプの女性たちは数多く関わることになるし、
これからも関わっていくことになる、
ある種のボリュームゾーン
に位置している。
なので、これを見た時に、すぐに非常によく研究されている。
もしくは深く取材しているってことがすぐにわかるんです。
でも、これを見てもわからない人は、実際の女性獲得活動の
場面に繰り返し立ち会っていないために、どういった女性が
遊びの現場では多いのかを知らないんです。
だから役に立たないと考えるんです。
この引用作品への感覚は・・・
女性遊びを行ってきた人からの評価は高く、そういったことを行って
こなかった男性には参考にならないと思われるものなんです。
ということは非常に皮肉な結果になります。
現実として学びが必要な人には、ここから学べることがない。
と判断され、今まで散々経験・学んできた人から見ると
ここから学べることが非常に多い。
という結果になるんです。
これはあらゆる分野にも通じることなのですが、知らない人は
知らないがゆえに、そこにある意味・価値に気づくことができない。
必要である知識を知らないで過ごしてしまうってことになるんです。
結局知らない人は、いつまでたっても成長がなく、知らないまま
進んでいき、現状が変わらない。
知っている人はさらに吸収をしていき、対応力が上がり、
更に良い状況になっていく。
という格差を産む原因になってるんです。
今回のこの作品もここを見て学びとれるか。
それとも全く参考にならないと言って、そのままシャットアウト
してしまうかで、かなり学べるものが変わってくるんです。
そして実際の場面に立ち会った時に、
「あーこれか。」
と思うことが、ここの中から得られるものが多数含まれているんです。
でも、それに気づけずにシャットアウトしてしまう人たちも
一方いるわけです。
こうやって差というのは、どんどん生まれていくものなのです。
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