ビジネス
2022年1月10日 7:00 週刊ポスト
「軍都として重工業が盛んだった広島は鉄板が入手しやすく、戦後に米軍の支援物資の小麦粉が持ち込まれました。その影響から、広島には、お好み焼きの屋台や店が多くなりました。
当初はウスターソースが使用されていましたが、お好み焼きからソースが垂れやすかったので、トロミをつけたりするなどの改良を重ね、広島のお好み焼きに合うソースを開発しました」(大内氏)
1975年に広島カープが初のリーグ優勝を果たすとお好み焼きは全国区になり、オタフクソースの販路が一気に拡大した。
「夫婦2人の小さな店からのスタートでしたが、『人々の幸せ』と『モノづくり』にかける気持ちで苦しい時期を乗り越えました。創業者の強い思いは今も根付いています」(同前)
※週刊ポスト2022年1月14・21日号
当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。
当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。