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小林麻耶 VS. 実母 全内幕

母とTVに出演し「ママの娘に生まれて幸せです」と語っていた麻耶。それから2年、なぜ母を激しく攻撃するのか。本誌だけが知る相克。

「週刊文春」編集部

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 2020年春、母娘はバラエティ番組「愛情!マザーSHOW」(フジ系)の企画で、東京・恵比寿の高級フレンチを訪れていた。娘の就職祝いに行った特別な店。思い出話に花を咲かせると、娘は涙ながらに感謝の手紙を読み上げた。

〈ママ、私を産んでくれて、愛情いっぱい育ててくれて、ありがとう。私は、ママの娘に生まれて幸せです〉

 それから2年――。

〈文春のインタビューに怒りで手が震えます〉

 小誌先週号が発売された4月21日、そうブログで綴った小林麻耶(42)。市川海老蔵(44)への130分間に及ぶ直撃取材のことだ。海老蔵は、麻耶と夫・國光吟(あきら)氏(38)への謝罪現場や女性問題への反論、家族への想いなどを明かしていた。

 だが、麻耶は和解を拒み続ける。それどころか、海老蔵の長女・麗禾(れいか)ちゃんと長男・勸玄(かんげん)君の育児を手伝う実母・A子さんへの批判を加速させていった。

麻耶はブログで再三、実母を批判

〈母に愛されたいと一生懸命頑張りましたが結局、愛されませんでした〉

 かつて〈ママの娘に生まれて幸せです〉と語った麻耶はなぜ、70歳近いA子さんを激しく攻撃するようになったのか。

母娘で共演していた(「愛情!マザーSHOW」より)

 1979年、麻耶は新潟県小千谷市で生を受けた。この時、A子さんは25歳。40時間近くに及ぶ難産だったという。3年後には妹の麻央が生まれた。

「嫁いでしまえば小林姓ではなくなる。せめて『林』だけでも残ってほしい」

 姉妹の名前に「麻」の字が使われたのは、両親のそんな願いがあったからだ。

 青山学院大に進学した麻耶は「恋のから騒ぎ」(日テレ系)で人気を集め、03年にTBS入社。当時、専業主婦だったA子さんは激務の愛娘を支えてきた。

「麻耶さんは、入社後も実家暮らし。朝6時の情報番組に出演していた時は、お母さんも毎朝2時に起きて、ステーキや唐揚げなど娘が希望する料理を作っていました」(TBS関係者)

 入社3年目の麻耶は、母についてこう語っていた。

〈夜とかに、母親の布団にもぐり込むと、母は何も聞かずにギューッと抱きしめてくれるんです〉(「週刊朝日」05年7月1日号)

 この頃、生活のすれ違いもあって、夫との別居を選んだA子さん。09年5月にマネジメント会社「M」を設立し、代表取締役に就任する。麻耶がTBSを退社し、麻央と同じ芸能事務所に所属した2カ月後のことだ。A子さんと麻耶は二人三脚で歩んでいった。

「局アナ時代から、箱根や宮古島にも旅行するなど友達のような母娘でした。一方で、報道番組の仕事が決まった麻耶に電子手帳をプレゼントするなど仕事面でもサポートしていた」(麻耶の元事務所関係者)

 13年7月に還暦を迎えたA子さん。フリーアナの麻耶と、10年に海老蔵と結婚し、梨園の妻となっていた麻央が揃ってA子さんの誕生日を祝える機会はしばらく無かったという。だが、この年は姉妹で誕生パーティを企画。サプライズで海老蔵が60本の赤い薔薇の花束を持って登場し、A子さんが涙ぐみながら受け取る一幕もあった。

 ところが、その約1年3カ月後の14年10月、麻央の乳がんが発覚する。実は麻央が結婚した頃、A子さんも乳がんを患っていた。

「麻央さんのがんは遺伝性ではなかったものの、お母さんは『私のせいでは……』と自分を責めることもあった。自身の闘病生活の知恵を生かし、麻央さんや海老蔵さんとも相談しながら治療方針を話し合っていたそうです」(同前)

 麻耶もまた、妹の病気による心労が祟(たた)り、体調を崩していく。16年5月には生放送中に過呼吸を訴え、救急搬送された。麻央の見舞いに加え、麻耶の看病にも当たったA子さん。時にベッドから起き上がれない麻耶をこう励ました。

「大丈夫、大丈夫。自分のペースで大丈夫」

 麻耶は次第に体調を回復させたが、麻央は17年6月、34歳の若さで死去。当時、麗禾ちゃんは5歳で、勸玄君は4歳だった。

「A子さんは麻耶さんと共に海老蔵さんの自宅に泊まり込み、育児を手伝っていた。麻央さんが亡くなった翌18年4月には、麗禾ちゃんの入学式にも付き添っていました。孫たちの母親代わりとなっていったのです」(芸能記者)

 一方、麻央の死から約1年後の18年7月、麻耶は國光氏と“交際ゼロ日”で結婚する。だが、この時点では母娘の関係は変わりなかった。19年5月にはA子さんが「直撃!シンソウ坂上」(フジ系)でテレビ初出演。共演した國光氏にこう語りかけていた。

「(麻耶の相手は)普通の人だったら大変だけど、あきら君なら大丈夫でしょ。『常識って何ですか?』っていう感覚の人だから」

 そして翌20年4月、冒頭のように「愛情!マザーSHOW」で、麻耶からの手紙を受け取り、涙の抱擁を交わしたのだった。

 ところが――。

海老蔵ブログの写真は実母が

 程なくして不穏な空気が漂ってくる。それが明るみに出たのが、20年11月のこと。麻耶がレギュラー番組「グッとラック!」(TBS系)のロケを前日にドタキャンして降板したのだ。同時に事務所との契約終了も発表された。

 番組関係者が証言する。

「20年夏の終わり頃から、彼女の異変を感じるようになりました。現場には必ず國光さんが付き添うようになり、やがて打ち合わせで『オーラが……』と言い出すなど“奇行”が目立つようになったのです」

 母娘の関係はどうなっていったのか。Mの登記簿によれば、19年10月から登記上の自宅を海老蔵が子供たちと暮らすマンションに移していたA子さん。襲名披露などを控え、多忙な海老蔵に代わり、育児をサポートし続けていた。だが、“奇行”が報じられてからも、母娘で一緒に食事をする機会はあったという。

 そして昨年10月29日、海老蔵が「おかえり、」と題したブログを投稿した。

〈今日は麻耶ちゃんと晩御飯/本当色々あったけど、おかえり〉

 ブログに添えられていたのは、レストランで麻耶が麗禾ちゃんや勸玄君と楽しげに過ごす写真。実はこの写真を撮ったのが、A子さんだ。高知に滞在していた海老蔵に“一家団欒”の写真を送ったという。その後も、海老蔵のブログに登場する子供たちの写真を撮影したりしている。

 だが、この“幸福な写真”が、母娘の大きな亀裂につながる。麻耶と國光氏は昨年4月に離婚していたが、海老蔵に相談した上で公表してこなかった。にもかかわらず、麻耶は離婚を示唆するブログを勝手に投稿されたとして激怒したのだ。

 そして覚悟を決めた麻耶は、海老蔵と暮らす高齢の母に“ある提案”を行っていた。4月14日に投稿したブログによれば、A子さんが〈限界〉を超えているとして、〈私が姪甥を面倒見る〉と伝えたという。だが、こんな言葉が返ってきたと主張する。

「あきら君に洗脳されている」――。

 前出・麻耶の元事務所関係者が溜め息を漏らす。

「お母さんは麻耶の芸能活動を必死で支えてきました。麻央さんの死も2人で乗り越えてきた。普通の母娘以上に、強い絆で結ばれていたはずなんです。ただ、麻耶からすれば、一番の味方だったはずのお母さんが、自らと対立する海老蔵側についている。それだけに裏切られたという想いが一層強く、怒りも増幅しているのでしょう」

 A子さんはいま、強いショックを受けながらも、愛する娘が戻ってくる日を海老蔵と共に待っているという。

 

source : 週刊文春 2022年5月5日・12日号

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