森友学園を巡る財務省の文書改ざん事件で自死した赤木俊夫さんの妻・雅子さん。4月20日には佐川宣寿元財務省理財局長を相手取った民事訴訟で本人尋問を実施するよう大阪地裁に申請するなど、「私は真実が知りたい」と訴える戦いを続けている。そんな最中、思わぬ人物との“邂逅”があったという。この問題の取材を続けるフリー記者の相澤冬樹氏が綴る。
黄色い服の小柄な女性が歩いてくる。その姿を見て赤木雅子さんは小声で告げた。「あの人、望月さんですよ!」。東京新聞の望月衣塑子記者。それは1年8カ月ぶりのめぐり逢いだった。
4月11日。雅子さんは日本記者クラブで会見した。真相を求めて起こした裁判を国が“認諾”という手続きで無理やり終わらせた。その経緯について求めに応じ1時間半に渡り話した。
会見が終わる直前、雅子さんが「一言だけいいですか」と語り始めたのが、望月記者の件だった。
改ざん問題の取材を通じて望月記者と知り合ったが、ネットフリックスのドラマ「新聞記者」の制作をめぐり問題が起きて今は連絡が取れないこと。“音信不通”となった望月記者と再び話がしたいと伝えたいということ。これを産経新聞が記事にすると注目を集めツイッターのトレンドにランクインした。話題のドラマをめぐる著名な記者のトラブルだからだろう。
実は会見前、早めに着いた雅子さんは会場から近くの財務省まで散歩をした。2つ先に東京新聞の社屋がある。その前を通りかかったタイミングで偶然向かいから望月記者が歩いてきた。その姿に気づいた雅子さんは近づいて玄関前で「望月さん」と声をかけた。望月記者はさっとあたりを見回し「きゃあっ」と声を上げて社内へ駆け込んだ。表のディスプレイではドラマ「新聞記者」の広告が流れていた。「(舞台の)東都新聞のロケ地は東京新聞」という文字が映し出される。でも話を持ち掛けた望月記者は悲鳴を上げて逃げてしまった。
それまで雅子さんは会見で望月記者に触れないつもりだったが、この一件で考えを変えた。でも会見での語り口調は穏やかだった。まず東京新聞について記事を書いてくれることに感謝していると述べた(この日の会見も、望月記者にかかわる部分以外の内容を記事にしている)。その上で提訴直後、望月記者がドラマ「新聞記者」の河村光庸プロデューサーの手紙を東京新聞の封筒に同封して届けてきたことを明かした。ドラマの撮影や芸能人に会えるという話を持ちかけられ、「そこにのこのこ、望月さんに取材してもらうことになったのは私も悪かったのかもしれないですけど」と振り返った。今は電話もとってくれず一切連絡が取れない。これはおととし、望月記者や河村氏が雅子さんとの意見の隔たりに構わずドラマの制作を推し進めていることを週刊文春が記事にしたのがきっかけだ。雅子さんは、取材をしないのなら渡したデータを消してほしい、そのことを伝えたいだけなんですと訴えた。
望月記者は今年1月、ドラマをめぐるトラブルが再び週刊文春の記事になり、俊夫さんの遺書などを返していないと指摘された際、ツイッターで「遺書は元々お借りしていません」と書いた。だが事実上の遺書にあたる「手記」を含む多数の文書と画像のデータを以前、雅子さんから受け取っている。記事の参考にするためだが、そのデータを雅子さんに無断で報道と無関係の第三者に渡したことを雅子さんに明かしたことがある。これは「報道目的で借りた資料の無断流用」にあたるだろう。
ドラマにも遺書や家族写真を見たと思われる描写が出てくる。雅子さんが資料を渡していないのに誰かがドラマ関係者に提供した疑いが出てくる。だから雅子さんは、取材をしないのならデータをすべて削除してほしいと求めているのだ。
それでも最後まで望月記者を責めることはなかった。
「ただ会って、誤解を解いて、取材を続けてほしいって伝えたい。ただそれだけです」
東京新聞も望月記者も、森友事件で国有地不当値引きや公文書改ざんを“なかったこと”にしようとする安倍政権を厳しく追及した。ところが今や自らが不都合な事実を“なかったこと”にしようとしている。新聞社、新聞記者としてのありようが問われる。赤木雅子さんが会見の最後、「取材を続けてほしい」と語ったのは手を差し伸べたのだろう。その手を彼らは握り返すのか? それとも振りほどくのだろうか?
source : 週刊文春 2022年5月5日・12日号





