ものづくりの背景に敬意を払いクリエーションを讃える。サステナブルをテーマに、アーティストや起業家をはじめ想いを共有する挑戦者たちを紹介。彼らのヴィジョンから自分らしいスタイルのヒントを見つけ出します。
決めつけをほどいてより気持ちよく生きる。イシヅカユウとしての選択。
ファッションモデルとしてだけでなく、NHK Eテレの番組「シャキーン!」内のコーナー「SITTERU」のメインMC役や、CM、MVに出演するなど活躍の場を広げるイシヅカユウさん。日本で初めてトランスジェンダーの女性役を当事者の俳優をオーディションで選出した映画『片袖の魚』(7月10日より新宿 K's cinemaにて公開)で主演に抜擢された彼女はMtF(Male to Female)としても経験や声を発信している。彼女が発する等身大な言葉のひとつひとつから、自身の個性をさまざまな場所、方法で表現することを楽しんでいるイシヅカさんのしなやかな強さが伝わってきた。
モヤモヤをかわさないと決めた日。
ーMtFであることでイシヅカさんがモヤモヤする質問をされる機会って、最近減ってきたと思いますか? 社会の変化は多少感じますか?
だいぶ減りましたね。そこは社会の考えが進歩しているのかなとは思います。以前は「いつからなの?」という質問をされることがよくあったんです。私の場合は物心ついた頃から自分が男性という感覚が本当になくて、それがずっと嫌で。ただ、ここ10年くらいで、「女性になりたい男性」ではなく、「元々女性としてのアイデンティティがあるが、体が合致してない」という考え方が認知されてきたかなと。以前、お仕事をした会社は、「現場にはいろんなジェンダーやルーツの人がいるので、みんなが気持ちよく仕事をするためにプライバシーに関わることを聞いたりするのはやめましょう」という意識をスタッフ間で最初に共有するようにしたと言っていましたし、制作の方がよく考えてくれていると思います。
ージェンダー・アイデンティティについて本人や周りにわざわざ説明させずに、物語と登場人物を追うなかでそれが汲み取れるような作品が海外で出てきたのは最近のことですよね。
海外でもここ数年の話ですし、やっぱりいろいろ知っていくなかで比較してしまうと、日本はジェンダーのことだけじゃなく、いろんなことに関してまだ遅れをとっているなと。ジェンダーの区別も男女しかないし、個よりも属を重んじるような考え方がありますよね。ファッションの場ではいい変化があるけれど、エンタメや政治の場はまだ発展途上のように感じます。
ー発展途上だからこそ、ジェンダー・アイデンティティをある程度説明していかなきゃいけないところもあると思うのですが、ご自身は、“トランスジェンダー”や、“MtF”というタームにはしっくりきていますか?
完璧にしっくりきてるかといったら、たぶんきていません。社会的に必要な場面があるから、その都度言葉を選んでいるというだけ。そもそも私はこの仕事をしていなかったら、女性として埋没して生きていきたいという気持ちが元々あったんです。今もまだ手術はしていないんですが、早く手術をして、「元々の体は男性です」ということも、「トランス女性です」ということもわざわざ言わずに生きていたかった。生き方はもちろん選べるけれど、今はまだ言わないことを選ばなくてもいい人たちも、黙っていなきゃいけないと思わせる空気感があって。声に出すと生きづらいし、反応も怖いから言えない、という考え方の人もいるんじゃないかと思います。
ー埋没していたかったのに、声を出すようになったきっかけはあったんでしょうか。
いろんなものをインプットしてきたしアウトプットしながら生きているので、ジェンダーだけが自分にとって大事な根幹にある表現ではないんです。でも、たくさんある表現の中のひとつとしてそれを大事にしている理由は、そうすることで社会的に誰かの生きづらさを少しでも解消できる可能性があるなと考えたからです。それと、私、甥っ子と姪っ子が3人いるんですけど、その子たちがこれからどうやって生きていくかというなかで、性別も含めて社会的に何かを押し付けられる辛さを味わってほしくないと考えていて。だから、私が発信したことが彼らのどこかに残って、少しでも循環されていけばいいなと。
ー社会の小さな攻撃性や違和感に関して、ちゃんと声を上げていこうと。
以前はそれをうまくかわすことが格好いいと思ってしまっていた節があって。でもやっぱりモヤモヤをかわしているだけではそのままならなさはずっと残ってしまう。自分は我慢できるし気にせずにいることはできても、どこかですごく傷ついてしまう人がきっといて、私に似た人だったり全く別のところにいる人かもしれないけど、それが誰かに起こりうると考えたときに、それをそのまま放置することが私にとっていいことではないなと。私は少なくともこういうふうに発信できる立場にいさせてもらえている以上、何に違和感を感じたのかを考えて、声を上げていくべきだなと。ただそれをどんどん加速させすぎてしまうと、何に怒っているのか自分でもわからなくなってくると思うので、そこはちゃんと冷静になりつつ。
魂を演じるということ。
ー今回、短編映画『片袖の魚』で主役ひかりを演じられていますが、オーディションを受けることになった経緯とは?
東海林毅監督と共通の知人がいるんですが、この映画について教えてくれて、「合うと思うからオーディション受けてみたら?」と言ってくれたんです。実は、定時制の高校に通っていたときに、普通科なんですけど演技の授業があったんですよ。それは受けていたけれど、俳優としての訓練はほとんどしたことがなくて。でも話を聞いたときに、そういう映画だったら主演じゃなくてもいいから携われたら嬉しいと思ってオーディションを受けました。
ーそうしたら、主演に決まったんですね。
そうですね。私はずっと服が好きで、服飾の専門に行っていたけど辞めざるを得なくなって、どうしても服に関わりたいという思いからファッションモデルをしていて。だから、ファッションモデルの仕事は自分にとってこれからもとても大切ではありつつも、一方でドラマや映画もすごく好きだし、人生を助けられたと思うこともたくさんあるので、関わっていきたいという気持ちはずっとあったんです。今回タイミングがあって、やってみたらやっぱり言葉があるとないとでは使う脳が違うとか、表現する必要があるものが外的なものなのか内面なのかの違いについて気づけました。役柄は元を辿れば魂だから、それを表現するためにはもっと勉強が必要だなと考えています。
ー当事者が真実を物語ることはとても大切と思う反面、絶対に当事者が物語らねばならないという考えが強くなることには違和感を感じていまして、イシヅカさんはそのあたりはどんなスタンスなのでしょうか。
私も全く同じように考えています。当事者じゃないと役ができないとなったら、俳優という仕事の意味って?と思ってしまう。ただ、トランスジェンダーの俳優は輩出されにくい状況がまだありますし、トランスジェンダーという存在も広くは認知されてなくて、役柄もそもそも男か女が基本になっている。さまざまな人が俳優として活躍していくためにどうしたらいいのかを考えると、まずは当事者性のあるものを当事者が演じることから、当事者の俳優が活躍できる場を広げていくこと。そうすることで、例えばトランスジェンダーの俳優さんがわざわざジェンダーについて言及されずれに、与えられた演じるようになっていく。そうなったうえで、例えばシスジェンダーの人がトランスジェンダーの役を演じることがあっても私は全然いいと思います。
ーそうですよね。最近、アメリカのティーンドラマ「EUPHORIA /ユーフォリア 」でトランス女性のハンター・シェイファーが演じ、脚本も手掛けたキャラクターのセリフで、「女性らしさを征服しようと生きてきたけど、途中どこかで女性らしさに征服されてしまったような気する」というものがあって、すごく心に響いたんです。
最近私もそれを考えていたというか、自分が元々女性でないというコンプレックスがあるから、すごく嫌な表現になってしまいますが、トランス女性は、「女性より女性らしい」という言われ方をするじゃないですか。私も自分でそうなろうとしていたところが昔はあったと思う。女性より女性らしく、綺麗でいなきゃという考えを克服してきたので、今はステレオタイプな女性らしくはしたくないという気持ちがかなり強くなってて(笑)。なぜそこにとらわれていたかというと、これはトランスに限らずあることだと思うけれど、「やっぱり男だね」と言われたりすることがあったから。
ーそれはすごく嫌ですね。少し違うかもしれないけれど、女性に対して「男っぽい」とか、男性に対して「女っぽい」という表現もむむむとなります。
それも、社会的に決めつけられてきたイメージから外れていると言われますもんね。例えば、「男性脳と女性脳的なことってあるの?」とか「どっちかというと男性脳だからこういう考え方だよね」とか。トランスジェンダーのことに限らず、相手のことを一方的に決めつけるような会話はしたくないし、あんまりしてほしくない……。一方で、自分でも自覚なしにそういう行為をたくさんしている可能性があるなとも思うんです。一般論として、女性に対して言う言葉、男性に対して言う言葉を無意識で使い分けていたりとか。実際、その無意識でとらわれているものが自分を生きづらくさせる要因のひとつかもしれないというか、それがなくなったら、もう少し気持ちよく生きられるのかなと考えたりもします。
属よりも混沌の中の個を大事にしていく。
ー男女の区別の問題というよりも、そこに付随するイメージや偏見に無意識でとらわれていることって、苦しいですよね。
そう。だから、女性、男性をカテゴライズすることがどこからどこまで必要なのかについては、すごく考える必要があると思う。男女の中にも、二つに区分できないことはあって、もしかしたら私みたいにトランスジェンダーで、でもまだ体を変えていないとか、変えたくないという人も中にはいる。そこに気を使ってほしいということではなくて、社会として男女というジェンダーのカテゴライズを一度見直すことで、この人は女、この人は男とまず決めつけて見るような習慣を変えていけるんじゃないでしょうか。
ーそう思います。イシヅカさんは、属よりもまず個であることを意識して活動していますか?
自分に対してというより、人を見るときにすごく意識しています。何も考えていないと女性、男性でまず見てしまう自分もいるので、そうじゃなくてその人が何が好きでどんな人でというところを大事にしたい。私自身に対しては、個がありすぎるというか、いろんな要素の個が隠れている人間だと思っていて(笑)、そのひとつひとつを自分自身で大事にしたいと思っています。インタビューのお仕事はとてもありがたい機会ではありつつも、ジェンダーだけに考えをフォーカスしてしまうことも多くて。ひとりで考えていてもそうなってしまうことはあって、そういうときは自分の中に「でもこれもあるし、これもあるよね」と別のところにも目向けるようにしています。
ー確かに、個はいろんなもので構成されてて、いる場所やそのときどき会う人で出すものも変わっていきますからね。
話し方も一緒にいる人によって変わったりしますよね。でも出し方が変わっても自分は変わらない。自分の好きなもの、個が自分の中に宇宙みたいにいっぱいあって、そこにどんどんまた好きなものがプラスされていくみたいな気持ちがあって。何かが足されて混ざっていってアップデートされて、その混沌の中に自分があると思うから、もっと自分の中にいろんなものを入れたいという欲求はあります。
イシヅカ・ユウ
ファッションショー、スチール、ムービーなど、さまざまな分野で個性的な顔立ちと身のこなしを武器に活動するファッションモデル。20年はベルリン在住のダンスパフォーマー・ハラサオリによる、ハラサオリトライアウト『絶景』にパフォーマーとして出演。21年、文月悠光の詩を原案とした短編映画『片袖の魚』でスクリーンデビューを果たす。現在パンテーンのCMに出演中。
Instagram @yu_ishizuka
Photographer_ Shuya Aoki
Interview_ Tomoko Ogawa
Editorial Direction_ Little Lights