アキレスと亀
予定を変えてゼノンの逆説を取り上げます。
この有名な逆説は数学者の多くがすでに解決されたと相手にしないのにもかかわらず、哲学者は未だに解決されていないと主張し、現在でも取り上げている状態です。
十年ほど前にも山川偉也氏が「ゼノン4つの逆理」を著され、また野矢茂樹氏は「無限論の教室」で取り上げておられます。
野矢氏は「アルキメデスが亀を追い抜いた時の数は偶数か奇数か?」と問います。
また無限を現実に数え上げることはできないと数学者を批判します。
わたしは数学上の処理方法を否定しないのですが、真の解決にはなっていないと理解しています。
(今でも時々問題になるのですが、1=0.999・・・はおかしいという疑問はよく出てきます。たしかに論理として考えるのならば、左辺の定まった値の数が右辺の定まらない数と同じというのはおかしいとするのは当然でしょう。ただしわたしはじつはこれで良いのだと理解しています。このことはまたの機会に述べます。)
この問題はゼノンの師であるパルメニデスとピタゴラス学派の世界観から派生したものです。
ピタゴラス学派はこの世界は数でできていると主張しました。
パルメニデスはこの世界観を批判しました。
この論争過程から生まれたのがゼノンの4つの逆説ですから、この逆説は4つを全体的な観点から解かれなければなりません。
ゼノンは「競技場の逆説」で仮に時間と空間が最小単位で構成されているのならば、最小単位の半分があることをこの逆説で示します。
ピタゴラス学派は数には大きさが無いと新たに定義しなおします。
(この逆説は科学者である竹内薫氏が『トンデモ科学の世界』 徳間書店 の中で取り上げられています。)
ゼノンは数に大きさが無いとするならばアキレスは亀を追い抜けないし、また目的に着くこともありえないという逆説を提示します。
有名な「アキレスと亀」が前者で、後者は「二分の一の逆説」です。
そして仮に大きさの無い数で世界が出来ているのならば運動はありえないとする「飛ぶ矢の逆説」を提示しました。
じつは、ゼノンはこの4つの逆説を師のパルメニデスの説の擁護として、つまり世界がピタゴラス学派が主張するように数で出来ているのならば、最小単位の半分が存在することも証明できるし、アキレスは亀を追い抜けないし、ゴールに到達することもないし、運動もまたありえないのだ、ということをピタゴラス学派の論理で証明してのです。
これは逆説ではなく、ピタゴラス学派への反論なのです。
ゼノンの言うように世界は数ではできていないのです。
では数とは何なのでしょうか?
次にこのことを述べます。
この有名な逆説は数学者の多くがすでに解決されたと相手にしないのにもかかわらず、哲学者は未だに解決されていないと主張し、現在でも取り上げている状態です。
十年ほど前にも山川偉也氏が「ゼノン4つの逆理」を著され、また野矢茂樹氏は「無限論の教室」で取り上げておられます。
野矢氏は「アルキメデスが亀を追い抜いた時の数は偶数か奇数か?」と問います。
また無限を現実に数え上げることはできないと数学者を批判します。
わたしは数学上の処理方法を否定しないのですが、真の解決にはなっていないと理解しています。
(今でも時々問題になるのですが、1=0.999・・・はおかしいという疑問はよく出てきます。たしかに論理として考えるのならば、左辺の定まった値の数が右辺の定まらない数と同じというのはおかしいとするのは当然でしょう。ただしわたしはじつはこれで良いのだと理解しています。このことはまたの機会に述べます。)
この問題はゼノンの師であるパルメニデスとピタゴラス学派の世界観から派生したものです。
ピタゴラス学派はこの世界は数でできていると主張しました。
パルメニデスはこの世界観を批判しました。
この論争過程から生まれたのがゼノンの4つの逆説ですから、この逆説は4つを全体的な観点から解かれなければなりません。
ゼノンは「競技場の逆説」で仮に時間と空間が最小単位で構成されているのならば、最小単位の半分があることをこの逆説で示します。
ピタゴラス学派は数には大きさが無いと新たに定義しなおします。
(この逆説は科学者である竹内薫氏が『トンデモ科学の世界』 徳間書店 の中で取り上げられています。)
ゼノンは数に大きさが無いとするならばアキレスは亀を追い抜けないし、また目的に着くこともありえないという逆説を提示します。
有名な「アキレスと亀」が前者で、後者は「二分の一の逆説」です。
そして仮に大きさの無い数で世界が出来ているのならば運動はありえないとする「飛ぶ矢の逆説」を提示しました。
じつは、ゼノンはこの4つの逆説を師のパルメニデスの説の擁護として、つまり世界がピタゴラス学派が主張するように数で出来ているのならば、最小単位の半分が存在することも証明できるし、アキレスは亀を追い抜けないし、ゴールに到達することもないし、運動もまたありえないのだ、ということをピタゴラス学派の論理で証明してのです。
これは逆説ではなく、ピタゴラス学派への反論なのです。
ゼノンの言うように世界は数ではできていないのです。
では数とは何なのでしょうか?
次にこのことを述べます。
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