はじめに
高校生時代までいくら勉強してもわからず点も取れないとても苦手な科目がありました。
高校を卒業した時に、これで解放されたなと思ったものです。
後にひょんなことからその分野の専門書を手にとって読んだら、高校生のときの教科書とは根本的に捉え方が違い、よくわかり夢中になりました。
わたしは理数系もまた苦手でしたが、ある教育関係の機関が東大理系に学生に行った物理学の基本的な概念を理解しているかどうかの試験では、理系トップクラスでも半分くらいは理解していないという結果が出たそうです。
この結果を受けて、関係者は驚いて教科書を調べたところ、論理的に理解するとこれらは理解できずそのまま暗記する人間には有利なように書かれていたものが多かったと書いています。
その中には「重力とは何か」ということも含まれていたのですが、後年じつは重力自体は良くわかっていないものだと言うことを聞いたり読んだりして驚いたものです。
ある書物によると、ライプニッツはニュートンの業績に敬意を表しながらも、その重力概念には反対したそうです。
わたしはまた時間とはどういうものかについても興味があり、そのことに言及した科学者の書物を読んだりしたのですが、じつは未だに時間とは何かはわかっていないようなのです。
ファインマンという二十世紀を代表する大科学者でも、時間とは何かを尋ねられて、「そんな難しいことを聞くなよ。」と述べたそうです。
十分に発達しているかのように思える科学はもちろん人文科学、哲学でも未だよく理解できないことが山積しているようなのです。
古代ギリシャ哲学のゼノンの逆説は、数学者はもはや問題にしていないようなのですが、哲学者たちは未だ解決されていないと幾つかの書物を著しています。
それらを扱った書物に「無限論の教室」野矢茂樹氏、「ゼノン4つの逆理」山川偉也氏のものを挙げておきます。
科学者でも竹内薫氏などが興味を示されているようです。
また宇宙論でもビッグバン学説が日本では主流のようですが、近年では近藤陽次氏がこの学説には未だに証拠が無いのだとする書物を著しています。
西洋諸国では、有名なところでは新定常宇宙論、プラズマ宇宙論などがあり、頑張っているようです。
ビッグバン学説はたしかに主流学説なのですが、どうやら異論を唱える余地の在る学説であることであることは間違いがないようなのです。
長々と述べましたが、どうやら現代の文化はまだまだ変貌する可能性があるようなのです。
つまり今日は定説である学説は明日になると違うことになるのかも知れないのです。
もしかするとどうやらわたしたちが学んできたものは明日になると間違っていたという可能性があるわけです。
それではどうしたら良いのでしょうか?
そのことについて考えていこう、というのがこのブログの主旨です。
うまくいくかどうかはわかりませんが、やっていきたいと思います。
高校を卒業した時に、これで解放されたなと思ったものです。
後にひょんなことからその分野の専門書を手にとって読んだら、高校生のときの教科書とは根本的に捉え方が違い、よくわかり夢中になりました。
わたしは理数系もまた苦手でしたが、ある教育関係の機関が東大理系に学生に行った物理学の基本的な概念を理解しているかどうかの試験では、理系トップクラスでも半分くらいは理解していないという結果が出たそうです。
この結果を受けて、関係者は驚いて教科書を調べたところ、論理的に理解するとこれらは理解できずそのまま暗記する人間には有利なように書かれていたものが多かったと書いています。
その中には「重力とは何か」ということも含まれていたのですが、後年じつは重力自体は良くわかっていないものだと言うことを聞いたり読んだりして驚いたものです。
ある書物によると、ライプニッツはニュートンの業績に敬意を表しながらも、その重力概念には反対したそうです。
わたしはまた時間とはどういうものかについても興味があり、そのことに言及した科学者の書物を読んだりしたのですが、じつは未だに時間とは何かはわかっていないようなのです。
ファインマンという二十世紀を代表する大科学者でも、時間とは何かを尋ねられて、「そんな難しいことを聞くなよ。」と述べたそうです。
十分に発達しているかのように思える科学はもちろん人文科学、哲学でも未だよく理解できないことが山積しているようなのです。
古代ギリシャ哲学のゼノンの逆説は、数学者はもはや問題にしていないようなのですが、哲学者たちは未だ解決されていないと幾つかの書物を著しています。
それらを扱った書物に「無限論の教室」野矢茂樹氏、「ゼノン4つの逆理」山川偉也氏のものを挙げておきます。
科学者でも竹内薫氏などが興味を示されているようです。
また宇宙論でもビッグバン学説が日本では主流のようですが、近年では近藤陽次氏がこの学説には未だに証拠が無いのだとする書物を著しています。
西洋諸国では、有名なところでは新定常宇宙論、プラズマ宇宙論などがあり、頑張っているようです。
ビッグバン学説はたしかに主流学説なのですが、どうやら異論を唱える余地の在る学説であることであることは間違いがないようなのです。
長々と述べましたが、どうやら現代の文化はまだまだ変貌する可能性があるようなのです。
つまり今日は定説である学説は明日になると違うことになるのかも知れないのです。
もしかするとどうやらわたしたちが学んできたものは明日になると間違っていたという可能性があるわけです。
それではどうしたら良いのでしょうか?
そのことについて考えていこう、というのがこのブログの主旨です。
うまくいくかどうかはわかりませんが、やっていきたいと思います。
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