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文化ジャーナル(平成16年9月号)

文化ジャーナル9月号

『漫画に愛を叫んだ男たち』(清流出版)
著者・長谷邦夫先生に聞く

長谷邦夫★ながたに・くにお 漫画家。元フジオ・プロ。大学講師(マンガ論)。栃木県在住
小西昌幸●北島町立図書館・創世ホール企画広報担当。

小西●このたび長谷邦夫さんが『漫画に愛を叫んだ男たち』というドキュメント小説を清流出版から書き下ろしで発表されました

(2004年5月9日、本体1800円)。そのことについて電子メール・インタビューをさせていただきます。とにかく面白くて、私は夢中で読みました。素晴らしい本でした。出版実現までの経緯について教えていただけないでしょうか。

長谷★かつてダイヤモンド社で赤塚漫画本や、ぼくの読書論を2冊書かせていただいた担当の加登屋陽一さんにフロッピー・ディスクを送りました。10年ほどお会いしていなかったのに「長谷さんはぼくにとってはビッグ・ネームです」と電話でいってくださいました。そして即座に出しましょうとまで。氏は清流出版の社長になっていました。驚きましたね。でも文章を読んでもらう編集者なら加登屋さんというぼくの信念は変わっていなかったのです。注文を受けたものでもない、勝手気ままに書いたものに最高のご返事をいただき、本当に嬉しかったです。

小西●執筆に要された時間はどのくらいでしたか?

長谷★約半年でしょうか。マンガ論の講師行の新幹線の旅で多く書きました。約900枚(400字詰換算)くらいあったので、売りやすい本にするため半分に短縮して欲しいとの注文がありましたので、その作業に1か月半くらいかかりましたね。

小西●2001年3月4日に創世ホールで「マンガ風雲録~トキワ荘物語」の演題で長谷さんにご講演いただいたとき、私は長谷さんのクロニクルを出版していただきたいと心から思いました。それがかなった内容なので嬉しかったです。まず、十代の頃の『墨汁一滴』の仲間、赤塚不二夫さん、石森章太郎さん、横山孝雄さんが冒頭に登場します。夢のような青春ですね。

長谷★あの講演、講義とは違って大ホールでしょう。あがっちゃって・・・。思えば、ぼくのマンガ上での出会いは、本当に夢のような幸運に恵まれていました。石ノ森に葉書を出さなければ、プロにはなれなかったはずです。

小西●それからトキワ荘の手塚治虫先生を訪問し、それぞれ苦労しつつ、プロの道を進んでゆくわけです。とにかく熱い思いがほとばしっていて圧倒されます。以後の登場人物は、藤子不二雄(藤本宏+安孫子素雄)、寺田 ヒロオ、つのだじろう、永島慎二、石川球太、つげ義春、水野英子、柴野 拓美、福島正実、星新一、光瀬龍、筒井康隆、眉村卓、大伴昌司、徳南晴一郎、丸山昭、ちばてつや、山下洋輔、横尾忠則、三上寛、井上陽水、タモリ・・・・・・、大変な顔ぶれです。1つの戦後文化史が描かれているのだと思います。この種の記録は本当にありがたくて重要ですね。時間軸に沿って書かないといけないし、思い出すのが大変だったのではないですか。

長谷★後半三分の一くらいはメモや日記などがあるんですが、殆ど記憶です。場面~場面は鮮烈な記憶が残っているんですよ。みんな、スゴク個性的な人物でしょう。確かに時間軸を整えるのが大変でした。70年代までは、現在のように文化が整然と分けられていませんでした。SFもマンガも音楽 も成長期。新宿に行くと、それらが闇鍋のように混じりあって、グツグツと煮えたぎっていました。赤塚もいってましたね。「寝ている間に何か面 白いことが新宿で起きていやしないか、心配で寝ていられないんだ」。そう、本当に起きているんですよ。ですから、朝4時過ぎてからスタジオに帰り、バッタリ寝るんです。それを起こしにくるのがタモリ!

小西●長谷さんはフジオ・プロで長い間赤塚さんのアイデア・ブレーンあるいは影武者的な立場でずっと支えてこられたわけですが、赤塚さんがビッグ・ネームになると多額のお金が動くようになって、経理の人による使い込み等、いやな事件も起こったりするわけですね。こんなこともあるのかと、ハラハラしながら読みました。

長谷★マンガを描いていられれば、それで満足。貯金とかができない。この点はぼくも赤塚と同じでした。監査役がこれですから、インチキ経理にはもってこいの会社でした。だからぼくは今でも貧乏です。でも、だから一生懸命マンガ論の講師をやれるんだと思いますね。印税で遊んで暮らせるようになっても面白いことはやれそうにありません。「これは冗談なんだから、真剣にやろうよ」。赤塚の言葉です。

小西●私は、長谷さんの前年度に創世ホールで講演していただいた柴野拓美さんのことも大好きなので『宇宙塵』周辺もよく書き込まれていて嬉しかったです。長谷さんの結婚式では柴野さんがご挨拶されたんですね。

長谷★そうです。「そろそろマンガに絞って~」なんて挨拶されて式場で反省。SF小説自粛しましたね。でも結局『SFアドベンチャー』に書かせてもらった時期もあります。マンガで果たせなかったもんで。

小西●井上陽水さんの曲に詞を提供されていますね。多才さに驚きます。

長谷★SFと同時に現代詩も書いていたんで、詞にも興味があったんですよ。中山千夏さんに歌ってもらったものも素敵です。ジャズでは石黒ケイさんにも2つ作詞していますが、冗談抜きで島倉千代子さんのものなんか書いてみたかったですね。あの声がいい。

小西●赤塚さんがアルコール依存症になってしまうのは大変お気の毒なんですが、そういう兆候はお若い頃にはあったのでしょうか。

長谷★本にも書きましたが、これは謎が多いです。ただ、非常に恥ずかしがり屋だったのは事実。酒でごまかすのが一番簡単だったことが引き金になっていた。それと母子寮暮らし・寺での間借り生活などなどで、家庭生活というものに彼はなじんだことがない。ですから、常に誰か多くの人に取り巻かれて、それを酒でつなぎとめていました。過剰なサービス精神ですよ。だから疲れる。で、また酒に頼る。

小西●悪循環になるわけですね。平成4年9月に、トキワ荘と『漫画少年』の象徴的存在だった寺田ヒロオさんがお亡くなりになります。その死因がお酒を飲み続けたことによる衰弱死だったんだと、赤塚さんが長谷さんに話しながら、ご自身もアルコール依存症だか ら昼間からお酒を飲まずにいられない、という壮絶な描写がラストに出てきます。いたたまれなくなった長谷さんがフジオ・プロを出てそれっきり戻ることはなかった、そしてこれからは一人で新しい漫画を描いてゆこうと決心して小説は終わります。通読して感じたのは、亡くなったお仲間である石ノ森さんや寺田さんへの見事なレ クイエムになっているということでした。フジオ・プロを離れるときは辛かったのでは?

長谷★はい、悲しいですよ。辞めると言えなかった。それくらいぼくは赤塚マンガに長いこと没頭してきた。ですから机も本もそのままで。でも二度と行けなくなった。才能もスケールも違いますが、ビートルズのジョンがポールと分かれる気持ちですよ。でもぼくにはオノ・ヨーコはいない。

小西●以後、長谷さんは栃木県に転居されて、各地の大学や専門学校でマンガ論を講義されるようになりますね。現在は何か所ぐらいで教えていらっしゃいますか。

長谷★4年制大学2校・文学部系でのマンガ論。それに短期大学がデザイン美術系。専門学校がマンガ創作指導。このほか「現代風俗文化論」という講座もやってます。これは上記の大学と短大で。

小西●最後に「創世ホール通信」の読者にメッセージを。

長谷★いつぞやは大変お世話になりました。感謝しております。創世ホールでの催し物は、全国でも屈指の素晴らしい企画がめじろ押しですね。小西さんの情熱に応える町民の皆様が、文化を育てておられるのだといつも通信を読みながら思っています。今回の拙著は、壇上から語り切れなかったことを沢山書いてみました。お読みいただけたら大変光栄です。よろしくどうぞ。

小西●今日はお忙しいのに、本当にありがとうございました。

【2004・08・22電子書簡にて取材/敬称略/文責=創世ホール・小西昌幸】

漫画に愛を叫んだ男たちの本の表紙

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