※本稿は、大友直人『クラシックへの挑戦状』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
憧れの指揮者と話をした夜
私が大学を卒業した年、小澤征爾先生に推薦していただき、アメリカ、マサチューセッツ州のタングルウッドで開催される、タングルウッド音楽センターに参加したときのことでした。これは、名門ボストン交響楽団が開催するタングルウッド音楽祭の一環として毎年行われる夏季講習会ですが、ここに参加したことが、私の指揮者人生にとって一つの大きな分岐点となるのでした。
この夏季講習会は、1940年、当時ボストン交響楽団の音楽監督だったセルゲイ・クーセヴィツキーによって、バークシャー音楽センターという名前で創設されました。1970年には、小澤征爾さんが所長に就任。20世紀を代表するアメリカの大人気指揮者、レナード・バーンスタインを総合アドバイザーとして招くなどしながら、精力的に若者の指導にあたっていました。
バーンスタインは、当時、私にとって憧れの指揮者の一人でした。彼はバークシャー音楽センターに参加したことをきっかけにクーセヴィツキーから才能を見出され、指揮者としての道を拓いていきました。そのため、彼にとってこの音楽祭は出発点というべき重要な場所でした。
私がタングルウッド音楽センターに参加したのは、1981年のことでした。受講生はみんな、夏休みで使われていない近くの女学校のドミトリーに宿泊します。講習会が始まって間もないある夜、その1階のリビングにバーンスタインが来て、受講生を相手にいろいろな話をしてくれたことがありました。