帝国によるフォドラ全土への宣戦布告と、ガルグ=マク大修道院の占拠。歴史を大きく動かしたこの出来事を切欠にフォドラの平和は破られた。
あれから五年。戦いは今も続いている。
ガツガツガツガツバクバクバクバクムシャムシャムシャムシャ!
にこにこ にこにこ にこにこ にこにこ
ガルグ=マクが陥落した後、敗走したセイロス騎士団と大司教レアは北へと逃亡。同行していたディミトリと
帝国とは主にフォドラの西部で攻防を繰り広げている。数で勝る帝国軍を相手に、王国と騎士団が手を組んだ連合軍は強力な個の力を活かした電撃戦で翻弄するなどして大規模な戦いに発展させることなく膠着状態が長引いていた。
アグアグアグアグモギュモギュモギュモギュズズズーップハー!
にこにこ にこにこ にこにこ にこにこ
また、東部ではレスター諸侯同盟との戦いも続いている。
同盟内でリーガン家を筆頭とする反帝国派と、グロスタール家を筆頭とする親帝国派の諍いが表面化。あわや同盟が分裂するかと危ぶまれた激突は、一部の戦力が突出した成果を上げたことで反帝国派としてまとまり、帝国との戦線が築かれることに。
当初、連合軍にこそ戦力を傾注すべしと考えていた帝国は、東部よりも西部に軍勢を多く裂いたことで同盟相手に多大な被害を受けてしまい、戦線を領内まで押し込まれてしまう。現在は同盟との境界であるアミッド大河の手前、ベルグリーズ領のグロンダーズ平原手前で持ち堪えている。
パックンゴックンゴキュゴキュゴキュゴキュモグモグモグモグ!
にこにこ にこにこ にこにこ にこにこ
「以上が現在のフォドラの大まかな情勢ですが……先生、聞いておりますかな?」
ピタッ
「
ガッガッガッガッワシワシワシワシグァッグァッグァッグァッ!
にこにこ にこにこ にこにこ にこにこ
目の前の凄まじい光景に何も言えず、ヒューベルトは目頭を押さえながら溜息を吐くしかできなかった。
五年前にガルグ=マクを占拠した帝国だったが、東西の戦況に押されてガルグ=マクを抑え続ける余裕がなくなったので已む無く軍を退かせたところ、程なくしてならず者の溜まり場にされてしまった。
険峻であるが故に守りに優れたこの地は引き籠るのに適していて、流れてきた盗賊が居着くようになったのは時間の問題で。
数が数だけに地下世界アビスの住人達も強気に出て追い返すこともできず、陰鬱な停滞状態が続いていたのである。
そんな折、皇帝エーデルガルトが率いる帝国軍がガルグ=マクに向かい、市街及び大修道院を根城にしていた盗賊の掃討が済んだのが数日前のこと。
現在はこの地域全体の復興を進めており、併せてアビスの状況確認と治安についての相談を進めているところだ。
皇帝陛下が直々に陣頭に立ったことで兵の士気は高く、敵と戦うわけでもない復興作業にも大きな不満は見られない。力仕事も多いので訓練代わりにもなるという声もあり、ガルグ=マクの荒んだ空気は急速に洗い流されていた。
これはエーデルガルトが日頃から、戦うばかりが軍の役目ではなく、民の暮らしと安寧を守ることこそが本懐であると主張していたおかげでもある。
エーデルガルトが皇帝になる前の軍と言えば、基本的には領内で訓練に明け暮れるばかりで、たまに遠征がある他はその力を持て余していた。貴族の多くが無駄な出費を嫌ったのか、活躍の機会は少なく、悪い言い方をすれば軍という仕組みそのものを腐らせていた。
そんな折にエーデルガルトが発した命令の一つに、帝国軍の国内派遣がある。これは帝国が誇る豊富な軍事力を国内に広く行き渡らせるもので、皇帝の勅命を受けた軍隊を各地に巡回、警邏させることだ。
これにより帝国内の治安は大きく改善された。特に西部のヌーヴェル領と東部のフリュム領はそれまで統治が行き届いていなかったこともあり、軍の派遣が始まってからは野盗は制圧されるし領地の復興は手伝うし平民の相談に乗るしで大活躍。たまに平民による暴動が起きてもすぐに動いて鎮圧してくれる軍は頼もしい存在として受け入れられていた。
もちろんこうして大規模に軍を動かしたことでかかった費用も莫大なものになったのだが、国内の治安が改善されたことで商売を始めとした流通も活性化。一度加速した流れは止まらず、金と人の流れは多大な利益を生み、税として徴収される分を差し引いても人々に富をもたらしていた。
治安の改善。富の増大。発令一つで目に見える成果を上げた新しい皇帝に、平民は大きな支持を寄せるのであった。
一部の特権階級(貴族など)は自分達だけが甘い汁を吸えなくなったことに多少の苛立ちはあったものの、全体的に見れば豊かになっているのも否定はできないので表立って声を上げる者はおらず。
こうして戦時下にも関わらず、帝国内で戦線から離れた地域は比較的落ち着いているのである。
以上のこともあって、今回のガルグ=マク復興作戦にも特に反対意見が出たりすることはなく、兵は粛々と行動している。
あんなにセイロス教を嫌ってんのに、その総本山のガルグ=マクを立て直すなんて皇帝陛下ってば何考えてんの? まあまあ、そう言うなよ。陛下には何かお考えがあるんだろうさ。いや別に不満があるわけじゃねえよ、不思議だなって思っただけで。そうかい。まあお仕事だってんならやるだけさ。エーデルガルト様の命令だもんな。あの方の考えなら間違いあるめえ。
このような感じで、ふと疑問に思うことはあっても最終的にはエーデルガルトの命令だからということに落ち着いて従っているのだ。
ズバババババババシャグシャグシャグシャグンガンガンガンガ!
にこにこ にこにこ にこにこ にこにこ
……さっきからこれが何を表現しているか、いいかげん気になる人もいるだろうから説明しなくてはなるまい。ヒューベルトの目の前に広がる光景を。
ただ今の場所はガルグ=マク大修道院の食堂。真っ先に掃除と整頓を指示したことでここの設備は使えるようになっており、兵の多くも基本的にここで食事している。
時刻は昼をやや過ぎた頃。食事のための昼休憩はとっくに終わって、兵達はそれぞれ復興作業に戻っているので今は人気が少ない。
そんな食堂の一角で。
運ばれてくる料理を一心不乱に食べまくるベレトと。
向かい合わせになってその彼を満面の笑顔で見つめるエーデルガルトと。
その横で現在のフォドラの情勢を説明するヒューベルトという珍妙な状況が形成されていた。
五年ぶりに再会が叶ったベレトは酷い風邪にかかっていて、何を置いてもまず休ませることにしたのだが……そこからの彼は驚異的な快復を見せた。
本日、星辰の節、25の日。夜明けと同時に再会できたベレトを大修道院の三階に運び、そこのベッドで寝かせてから約6時間後。
『治った』
そんな一言と共にすんなり起き上がったベレトに、エーデルガルトもヒューベルトも仰天した。念のため熱を計ってみても平熱の範囲。半日と経たず治してしまうとは体力お化けのベレトらしいと言えたかもしれない。
唖然とする二人の前でベッドから降りたベレトが調子を確かめるように手足をグルグル回していると、盛大な腹の音が鳴り響く。魔獣の唸り声もかくやと言うほどの音に、話をする前にまずは食事にしようと思ったエーデルガルトは彼を食堂へ案内することにした。
回復力にも驚かされるが、それも充分な食事と睡眠があっての話である。風邪からの復帰のために消費した分を補給せねばなるまい。
そうして昼時を過ぎて兵達がいなくなった食堂を三人は訪れた。厨房を任された者達に声をかけて、遅れた昼食を頼んだのが少し前のこと。
皇帝陛下と宮内卿が連れ立って顔を出したことで慌てて敬礼した彼らが「おや?」と首を傾げたのは注文が三人分だと聞いた時。見れば見知らぬ男を伴っているではないか。
はてこの男は何者かという疑問はあったが、そこは今回の作戦に選ばれた精鋭、口よりも先に手を動かす。速やかに食事の用意をして三人に提供し……忙殺されることになった。
ただでさえ大食らいのベレト。五年分の空腹を訴えた体が、まあ食べる食べる。
細身の体のどこにそんなに入るのか。昔から不思議に思っていたのを改めて思い知らせるように次から次へと平らげるその食欲はヒューベルトの頬をひくつかせた。
ムガムガムガムガモゴモゴモゴモゴガッシュガッシュガッシュ!
にこにこ にこにこ にこにこ にこにこ
異常な食欲を発揮するベレト一人のために厨房がどったんばったん大騒ぎしている間、自身も遅れた昼食を取りながら大まかに世界情勢の説明をしてあげるヒューベルトだが……ちゃんと話を聞いているのか不安になる。
ちなみにここで言ってしまうが、ベレトはきちんと話を聞いて理解している。
傭兵時代、ジェラルト傭兵団の面々と会議などをする時もたいていは飲み食いしながらやっていたので、今のように口にパンパンに詰め込んだ状態でも他人の話を聞くのは慣れたものなのだ。
さて、ヒューベルトの頭を痛めているのはベレトだけではない。ある意味では彼以上に厄介な姿を晒しているのが隣のエーデルガルトである。
皇帝の彼女は普段からその威厳を存分に生かし、厳格な態度を貫き、圧倒的なカリスマを纏って帝国の頂点に君臨してきた。その姿は多くの者が見ており、それこそ末端の兵に至るまで知られている。そんなエーデルガルトだからこそ帝国はセイロス教に戦いを挑み、今日まで戦ってこれたのだ。
五年前、ガルグ=マクの戦いでベレトが行方不明になってからのエーデルガルトは酷いもので、自身を追い込むように帝国の舵取りに明け暮れた。当時の彼女の様子は威厳を通り越して威圧に満ちていて、気心の知れた仲間以外に対しては炎帝の態度そのままで当たるくらい張り詰めていた。
そんなエーデルガルトが今……蕩けていた。
テーブルの向かいで延々と食べ続けるベレトを眺める彼女の顔は……その、何と言うか……ものすご~くデレデレだった。
彼女を知っている人ほど「誰だあんた」とツッコみたくなるだろう。
もしこれが漫画やアニメだったら、頭身が縮んだデフォルメで表現されていたかもしれない。それくらいだらしない顔だった。小説ですまん。
エーデルガルトの気持ちも分からないでもない。心の支えになっていたベレトが、なった直後に行方不明となり、彼が五年間不在のまま皇帝として戦わなくてはならなかった。今までは仲間達が支えてきて折れることこそなかったものの、その心はすり減らされていたのだろう。
そんなギリギリのところで持ち堪えていたところでついにベレトが帰還して、早速エーデルガルトの心に潤いをもたらしてくれたのだ。表情が緩んでしまうのも仕方ないことかもしれない。
アムアムアムアムガシュガシュガシュガシュングングングング!
にこにこ にこにこ にこにこ にこにこ
……それにしたってこの顔はどうよ?
皇帝の威厳など微塵も感じられない蕩けっぷりにヒューベルトは再度溜息を吐く。従者の様子に気付いた風もなく、ベレトを見つめる主は本当に嬉しそうだ。
別にエーデルガルトが喜ぶことを咎めたいわけではない。彼女の頑張りを誰よりも知る身としては報いがあってもいいと思うし、この光景だけ切り取って見れば微笑ましいものだろう。
問題はここが人前だということだ。
兵達がはけた食堂は人気が少ないとは言え無人ではない。食堂周辺で作業を続ける人員はいるし、今まさに厨房で働く者もいる。そんな彼らにこの蕩け顔が見られたらどうなるか。
皇帝の姿か? これが? え、皇帝陛下? え、誰? 陛下なのこの人?──そんな風に困惑が広がるのが目に見えている。
三階まで食事を届けさせるべきだったかと今さらになって考えるが、それはそれで大量の料理を運ばせることになって兵達に怪しまれるだろう。
そして案の定、追加の料理を運んできた者が笑顔で次の注文をするエーデルガルトを見てギョッとした顔をする。伝えることを伝えたらベレトに視線を戻してますます笑顔を蕩けさせる皇帝はその様子に頓着しない。
精鋭の意地か、無駄口を叩かず一礼だけして厨房に戻る後ろ姿を見送るヒューベルトは口止めしておくべきかと考えたが、すぐに無駄だと判断した。どうせ今後ベレトが共に行動するならこのことは噂として広まる。
いよいよ気を配るのも面倒臭くなってきたヒューベルトはもう諦めることにした。エーデルガルトとベレトを引き離しでもしない限り、彼女の態度のことは遅かれ早かれ知れ渡るだろう。やるべきこと、考えるべきこと、捌かなくてはいけない問題は幾らでもある。無駄な些事にかかずらわれている暇はないのだ。
割り切ったヒューベルトは自身の遅れた食事も済ませるために手を早めた。
なお後日、軍内に広がった『皇帝陛下って実は可愛い説』を耳にしたヒューベルトは、分かっていたことだけどそれはそれとして大きな溜息を吐くことになる。
場所は変わって今度は大修道院の二階、謁見の間の隣にある執務室。
元は大司教とその補佐が働く部屋に移った三人が席に着いて向かい合っているのだが、先ほどと様子が大きく変わっていた。
「いくら貴殿であっても聞き捨てならない発言ですね」
「俺としても引けない。これは言わなくちゃいけないことだ」
鋭い視線をぶつけ合うヒューベルトとベレト。
睨み合う師と従者の横で縮こまるエーデルガルト。
食堂で席を共にしていた時とは打って変わって剣呑な空気が漂っていた。
食事しながら世界情勢を説明していたところでようやく満腹になったベレトが手を止めたので、場所を執務室に移して次は今後の展望を語ることにした。
五年にも渡る膠着状態を打破するべく、アドラステア帝国は決戦のため動き出す。セイロス教団へ決戦を挑むため、その前段階として同盟を落とすため、かつて設立した
元生徒達はその実力もあり、戦線を維持したり帝国内を巡ったりと散らばっていたのだが、皇帝の命により現在ガルグ=マクを目指して移動中。まもなく到着予定。
そこに黒鷲遊撃軍の真の指揮官であるベレトが加わればまさに万全。
熱を入れて語るエーデルガルトと、張り切る主の姿を見ながら満足気なヒューベルト。二人はいつになく高揚していた。
途中からベレトがその無表情に険しい色を浮かべたことに気付かずに。
本来なら千年祭の日に師への想いを振り切ろうとしていたのだが、まさかこの日に戻ってこようとは! 貴方が戻ったと知れば他の仲間も喜ぶに違いない!
勢いよく話すエーデルガルトだが、それを制止したベレトはこう訊ねた。
『ルミール村はどうなった?』
唐突な話題の転換に、執務室の空気が固まる。
言葉を詰まらせる二人を見て、ベレトはますます視線を険しくした。
即答できなかった二人にベレトは続けて質問する。気後れしながらその質問へエーデルガルトとヒューベルトは一つ一つ答えた。
王国と同盟との交流は?──戦争する相手とまともな交流なんてできていない。
使者の派遣は?──同盟には一度だけ。セイロス教団を抱えることになった王国にはそもそも帝国から派遣できるはずもない。
対話の余地は?──五年前から関係性は最悪なのに対等に話せるはずがない。
帝国内での皇帝の評価は?──戦争を起こしたことで衝撃はあったが、治安を安定させたことで平民からの支持はそれなりに高い。貴族からは特権を取り上げる政策を始めたことと富を増大させたことで好悪は半々といったところ。
士官学校の同期達の今は?──全員健在。黒鷲遊撃軍に属する仲間はもちろん、他国でも戦死したなどの報告は上がっていないので存命。中には二つ名を持つほど戦場で活躍している者もいる。
粗方聞き終えたのか。訊くのを止めたベレトは言う。
『このままじゃだめだ』
断言だった。盛り上がった空気を一刀両断する発言に、エーデルガルトもヒューベルトも愕然としてしまった。
無表情を険しい色に染めるベレト。それ以上に険しい目つきで睨むヒューベルト。
二人の横で俯くエーデルガルトは自分がとてつもない失敗を犯したような気持ちになり、ベレトを失望させてしまったのかと恐怖した。
しかしその理由が分からない。
ガルグ=マクの戦いを契機に皇帝として立ち上がってから止まらず駆け抜けた日々だった。始まった戦争と政務に追われる五年間。理想の実現のため、自分にできることを精一杯やり抜いてきたはずだ。
それでも、ベレトからは認められないのか。
「……師は」
先ほどまでの弾んだ調子が嘘のように俯いた顔を恐る恐る上げるという皇帝らしからぬ姿は、叱られて怯える幼子のようだった。
「私が、間違っていると思うの?」
「エーデルガルトが目指しているものは知ってる。俺はその手伝いをすると決めた。だからこそ、今の君のやり方が間違ってると言わなくちゃいけない」
「っ!!」
ベレトの言葉を聞いてビクリと肩を震わせる。
「ありえませんよ先生。帝国を率いるエーデルガルト様がどれほど力を尽くしてきたか……ずっと御傍に仕えてきた私が知っております。我が主が理想のために歩んできた覇道が間違っているとは到底思えません」
「俺が気になったのはまさにそこだ」
「「?」」
ヒューベルトの言葉を肯定するように頷きながら、尚もこちらの話を否定する態度を崩さないベレトを見る。
相変わらず感情が見えにくい無表情。だが出会ったばかりならいざ知らず、彼を知るにつれてその心を少しずつ感じられるようになったエーデルガルトには、今のベレトが視線を険しくしながらも生徒の身を案ずる教師の顔をしているのが分かった。
自分に見えていない何かがベレトには見えているのかもしれない。
否定されたからと言って落ち込んではいられない。彼の話を聞かなければ。
「いいか二人共、聞いてくれ」
本題を語る姿勢を見せるベレトに、向き合う二人は自然と居住まいを正す。
「エーデルガルトの目的はフォドラに根付いた紋章至上主義の破壊。そのための手段として紋章の権威を後押しする教団を打ち倒して、紋章を持つ貴族の権威が絶対ではないこと、紋章はあくまで才能の一つでしかないことを常識としてフォドラに広めること。これに間違いはないか?」
「ええ、そうよ……五年前、師に伝えた私の意思は今でも変わらないわ」
「そうか。なら戦争に勝って、帝国がフォドラを支配するようになって、そこから君の目的が叶うまでどれくらいかかる?」
「え?」
聞かれたエーデルガルトは目を瞬かせた。咄嗟に答えられなかったのだ。
戦争に勝てた先のことを考えたことがないわけではない。だが目の前の問題があまりに多すぎて、そこまで未来のことにまで思い至らなかったからだ。
「エーデルガルトが皇帝になってもう五年経った。ここから君の統治が何年続くだろう。十年か。二十年か。もっと長いか。どんなに続くか分からないが、その間も俺もヒューベルトも全力で君を支える。だけど……」
言葉を切るベレトは間にあるテーブルに目を落とすも、すぐに前を向いて続ける。
「はっきり言って短すぎる」
「……短い?」
「セイロス教は千年以上の時間をかけてフォドラの価値観を培ってきた。それだけ永い年月をかけて確立された考え方を、たかだか数十年程度で覆すなんて不可能だ」
「それ、は……!」
反論しかけたエーデルガルトだが、声はすぐに途切れた。
全く考えなかったわけではない。この道を進むと覚悟を決めてはいたが、決意が鈍りそうになる瞬間は何度もあった。
敵と見定めた存在はあまりにも強く、大きく。
目指す果てはあまりにも遠く、薄く。
この選択でいいのか。このまま進んでいいのか。
何度も自問自答してきた。その度に自身に言い聞かせた。
揺らぐな。止まるな。誓いを胸に、突き進むと決めたのなら。
自分にはこの道しかないのだ、と。
しかし、ベレトの指摘はその決意に亀裂を生む。唇を噛み締めて俯くしかない。
無意識に考えないようにしていた問題を目の前に突きつける容赦の無さは、懐かしき傭兵教師の授業を思わせる厳しさがあった。
「ならば貴殿は、エーデルガルト様の野望は実現できないと、そう仰るのですか?」
腰を上げたヒューベルトが低い声で訊ねる。よりにもよってお前が言うのか、と。
薄らと殺意を滲ませた視線がベレトを貫くが、彼は無表情を変えない。
「そうではない。話はまだ続く。座れヒューベルト」
「……」
「ヒューベルト」
睨む目をそのままにヒューベルトは腰を下ろす。それを認めたベレトは改めてエーデルガルトに向き直った。
そこからもベレトの話は続く。
常識というものは容易く変わるものではない。エーデルガルトもヒューベルトも覚悟して臨んだのは分かるが、例え彼らが数十年かけて尽力したところでそれでも短すぎる。これは何年ではなく何代もかけて為す壮大な変革だ。
神に連なる眷属のレアは、恐らくはセイロス教の発足から生き続けている。千年以上の歳月をかけて各地に紋章の権威を広めてきた、文字通り神代の存在。
そんなレアによって定着したフォドラの常識を覆そうとしても、人の身で同じことはできない。故にエーデルガルトだけでなく、次の皇帝、そのまた次の皇帝、というように代を経て未来に繋げなければいけないのだが……
「組織の長が仕事を次の代に継がせる時、当たり前だけどその次の代を担当する人がいなければ話にならない。じゃあエーデルガルトの次の皇帝がいればいいということになるだろうけど、本当にそんな人がいるのか?」
「それは、これから見つけて──」
「見つかると思うか?」
「え?」
「エーデルガルトの覚悟を受け継ぎ、思想を理解し、目指す未来を正しく見据え、君と同じだけの使命感を持つ人が見つかると、本気で思うか?」
真っ直ぐにエーデルガルトを見つめるベレトは視線と同じく強い声で訊ねる。そこに相手を持ち上げたり、おもねるような甘やかす気配はない。
生徒を指導する時、ベレトの態度から甘さは消える。
自身の授業で与えたものが生徒の将来を左右するのだと、彼の中に生まれた使命感によって指導は基本的に厳しいものだった。貴族も平民も関係なく、地位によって態度を変えることもなく、一貫した指導だった。
もちろんベレトの気質から優しさが消えることはなかったが、【壊刃】ジェラルトに鍛えられた彼の考える基準は高く、できる限り生徒達をそこまで引き上げようとしてきた。まだまだ未熟な自分にできる範囲で生徒達に教えようと張り切った。どんな道に進んでも通用するような基礎を叩き込む授業内容にしたのは間違っていないと彼は思っている。
そんなベレトだからこそ、今のエーデルガルトを認めるわけにはいかない。君がそのまま進んだ先、帝国が勝った後の世界に『基礎』がないと指摘しているのだ。
この戦争に帝国が勝ったとして。
フォドラを支配することになった帝国は各地に働きかけて紋章による特権を取り上げるだろう。そうすると紋章以外の才能、今まで目を向けられなかった日陰者も見出されるようになるだろう。有能な者を採用したり雇ったりして実力を然るべき場で発揮させてやれば世界は発展するだろう。
そこまではいい。理想的だ。その理想を実現させるために途方もない苦労があるとしても、覚悟して臨むなら苦労する甲斐があるというもの。
しかし。
しかしである。
その理屈で言うなら、皇帝はどうなるのだ?
エーデルガルトは傑物だ。高貴な生まれ、背景から来る覚悟、未来への展望、その実力、どれを挙げても並ぶ者はいない。いるとすればディミトリかクロードくらいのものだろうが、贔屓目を抜きにしてもエーデルガルトの存在感は頭一つ抜けている。
今後彼女ほどの存在が現れることはもうないと言っても過言ではない。何故なら、他ならぬエーデルガルトこそが、後の世に自分のような存在を生み出させないために立ち上がったからだ。
そんなエーデルガルトが皇帝として動き、世界を変え、次の代に継がせようとなった時、次代の皇帝を任せられる人が見つかるだろうか? よしんばそういう人を見つけられたとして、その人が真に覚悟を抱いてエーデルガルトと同じ使命を果たすことができるだろうか?
要するにハードルが上がり過ぎなのである。前任者が為した業績があまりにも偉大過ぎて、後任者が押し潰されて、組織ごと瓦解する未来が見えてしまうのだ。
エーデルガルトほどの傑物がその実力とカリスマを存分に発揮して為す改革。それは現状、ほぼほぼ彼女一人で成り立っているようなもの。そんな途方もない改革を後の世にも問題なく広めていける人が都合よく見つかるのか。
ベレトにはどうしても思えなかった。
さらにもう一つの問題として、運良く次の皇帝を任せられる人がいたとしても、その人が熱意を持って皇帝を全うできるか。そこもベレトには疑問だった。
エーデルガルト=フォン=フレスベルグ。千年に渡りフォドラに君臨してきたセイロス教団に戦いを挑み、この世の常識を覆さんとした覇王であると同時に、戦乱を巻き起こした張本人。
皇帝を受け継ぐということは、前代の罪業も否応なしに受け継ぐということ。この世界に戦火を広げた罪まで受け継ごうと考えられる人が果たしているのか。
仕事を受け継がせるのなら、次の代を任された人がスムーズに業務に馴染めるように予め教えたり、一部の仕事を実際にやらせたりして経験を積ませるものだ。そういう受け継がせるための前段階ですら望む者がいるかあやしい。
人は誰もが彼女のように強くないのだから。
では次代に継がせず、エーデルガルトの代で全ての改革を成し遂げてしまえばいいではないかと言うと、むしろ逆に不安が残る。
フォドラの常識を覆す。言うは易いが行うは果てしなく難しい。そんな大層な変革を一代で成し遂げるには相当な無茶を押し通すことになるし、幾度となく、それこそ数え切れない無茶が生まれるだろう。
間を空けてぽつぽつと数度。それくらいの無茶なら受け入れられても、短期間に何度も何度も無茶を押し通そうとする人にどのような感情が向けられるか、考えるまでもない。
五年前、皇帝になった直後にガルグ=マク襲撃という特大の無茶を強行したエーデルガルトである。仏の顔も三度までという言葉がこちらにはあるが、果たしてフォドラの女神は何度まで許すのか。
仮に彼女の代で全て終わらせられたとしても、凄まじい無茶を一代で押し通した皇帝と帝国に対して人々(特に貴族)が怨恨を募らせないとは思いにくい。そんな負の遺産を未来に残してしまえばどうなるか。
次の皇帝が恨まれるくらいならまだいい。下手をすれば特権を取り上げられた連中が結託して、再びセイロス教を掲げる団体としてまとまりかねない。
そんなことになってしまえば目も当てられない。内乱が起きて、せっかく作り上げた新しい社会は崩れて、疲弊したフォドラは他国に攻め入られる隙を作って、かつてない暗黒の時代の始まりである。
エーデルガルトは勇敢な子だとベレトは知っている。セイロス教団に反旗を翻すなどという行動をやってのけた彼女の精神力は凄まじい。
ガルグ=マクに攻め入った五年前の戦いは、フォドラにおける善悪の全てをセイロス教団が管理していた状況に間違いなく一石を投じた。良いか悪いかではなく、意思を通すために力で訴えるやり方が必要な場合は確実にある。
契約や交渉は互いの立場が対等だからこそ成り立つもの。教団の思想ばかりが優先されたかつての状況では、例えアドラステア帝国の皇帝でさえも挙げた声を潰されてしまう。
そんな中で立ち上がったエーデルガルトには勇気があった。痛ましい光景を生み出してでも世界を変革させようと覚悟して動き出した彼女を守りたいと思った。
ただし、勇気と無謀は別物である。
勇気とは、希望ある選択のことを指す。目的が叶う見込みが充分にあると判断した上で賭けに出るのならベレトだって否やはない。全力で支えようと思う。
だが今のエーデルガルトにはそういう見込みがどうしても見えない。言うなれば無自覚な捨て身なのだ。自分のやりたいことをやり切ってしまえば後はどうなっても構わない、そんな破滅的な姿勢を勇気とは呼ばない。
故に、ベレトは今のエーデルガルトの姿勢を認めるわけにはいかない。
かつて己が捨て身で復讐を強行したことでソティスを失ってしまったから。
自身が犯した過ちを生徒にさせるわけにはいかないから。
懇々とした語りを終えたベレトの前でエーデルガルトは何も言えなかった。呆然としたまま小さく息をする以外固まり動けなかった。
この五年間、ひたすら前だけを向いて突き進んできた。その道をひた走ってきたことが間違っていたのか、ベレトの話を聞いた今でもすぐにはそう思えない。
しかし、考える。前だけを向いて走ってきた。それは怯まず突き進んできたということだが……言い換えれば、他に何も見えていなかったということではないか?
かつてベレトの授業で教わり、一度は身に付けたはずの戦略眼。戦況を俯瞰する視点。物事を多角的に見渡す考え方。それを自分はいつの間にか忘れてしまったのではないか?
(私は……私だけが正しいと思っていた? 師の教えを忘れて、自分が考えたことだけが未来のためになると……)
「すまない、エーデルガルト」
「え?」
急にベレトが深々と頭を下げてきて、エーデルガルトは意識を戻した。
「本当なら俺はずっと君の傍にいるはずだった。一緒に歩んで、問題があればその度に相談して、困難があれば一緒に苦労を背負うつもりだった。それなのに俺は五年間ずっと眠ったまま、君から離れてしまった。エーデルガルトを守れなかった」
「師が気にすることじゃ……皇帝として戦うのは私なのだし」
「命だけの問題じゃない。エーデルガルトが背負った苦悩も、責任も、俺は知らないんだ」
頭を上げたベレトの表情は悔恨に染まっていた。無表情が常である彼にしては珍しく、その感情がありありと伝わるようだった。
「実際どうすればよかったのかは分からない。二人の話を聞いてすぐに間違ってると言ったけど、俺だって何が正しい道なのか今は考え付かない。それでも……選ぶべき道を相談して、こうやって話し合うことが傍にいればできたはずなんだ」
ガルグ=マクの戦いから五年。戦争だけでなく政治など、エーデルガルトが味わった苦労も苦悩もベレトの想像を絶するものだっただろう。心得のないベレトには理解できないことも数多くあったに違いない。
それでも傍にいられれば、支え、励まし、苦労の一部だけでも分かち合えたはず。
たったそれすらのこともできなかった。エーデルガルトの心を守れなかった。それがベレトには悔やまれたのだ。
「だからエーデルガルト、すまない。俺が……俺自身が君の傍にいたいと、傍で君を守りたいと、そう思っていたのに……!」
「師……」
(そうね……これが師なのよね)
膝の上で拳を握り、俯くベレトを見ながらエーデルガルトは深い感慨に包まれていた。
ただ漫然と肯定するだけではない。躍起になって反論してくるのでもない。相手の立場や考察、話を聞いた上で自身の意見を述べる。そこに遠慮や容赦はなく、自分にできることを尽くすという相手への誠意がある。
それこそが、ベレトの持つ最大の魅力なのだ。
士官学校にいた時を思い出す。彼が教師を任じられてから最初の課題、学級対抗の模擬戦をする際のミーティングの一幕。
皇女だったエーデルガルト相手でも代わりがいれば参戦枠を代わってもらうと、勝利のためなら皇族相手でも気負わずはっきり物申せる彼の姿勢に感銘を受けたのだ。
彼を気にするようになった切欠は出会った夜の戦闘で助けられたこと。それから興味を抱くようになったのは間違いなくあの時。エーデルガルトという個人を見てくれた人だから。
それ以来彼の動向を目で追うようになり、いつしか惹かれ、心を許したくなった。所詮は他人だからと拒む壁を作っても、彼はその壁を乗り越えて自分を見てくれた。
そんなベレトだから──
「……師の言いたいことは分かったわ」
「陛下!?」
頷きを返したエーデルガルトを見てヒューベルトが驚きの声を上げる。
「別に、今すぐ師の意見をそっくりそのまま取り入れるわけではないわ。それでも聞くべき部分はたくさんあるはずよ」
「そうかもしれませんが……」
「私にも貴方にも見えていないことが彼には見えている。その感覚だけは貴方も今なら信じられるでしょう?」
「それは…………ええ、そうですね。先生はそういう人でしたな」
エーデルガルトの言葉を聞いて一度は戸惑いを見せたものの、ヒューベルトも溜息混じりに頷いてみせた。
「エーデルガルト様の御心を救ってくださった貴殿の言うことなら、心底から想っての諌言であると信じましょう。ですが私の立場からは常に一定の疑念を抱かねばならないことは理解していただきたい」
「ああ、ヒューベルトはそれでいい。政治について門外漢の俺にできるのは、俺が気付けた範囲で指摘したり、分かることを教えるだけだ」
「くくくっ、貴殿は今でも我々の教師でいるのですな」
「それは……そうか。君達はあれから五年かけて成長しているんだ。もう子供とは言えないし、俺が今さら教師面をするのは厚かましいか」
「いえ、貴殿はそのままでいいでしょう。その姿勢が我が主の助けとなります」
思うところはあるのだろうが、ヒューベルトも納得してくれたようだ。
剣呑な空気は気付けば払われており、まるで五年前の教室のような雰囲気が漂っていた。
授業が終わって休み時間か放課後。ベレトと話すエーデルガルト。それを近くで見守るヒューベルト。あの時の三人の間にあった独特の空気。
例え五年の時が彼らを隔てていたとしても変わらないものがあるのだとこの場が証明していた。
さて、ホッとしたのも束の間。
「ところで先生、ルミール村のことを言及したのは何故ですか?」
「ん? ああそうか。そこを説明してなかったな」
エーデルガルトの展望の危うさを指摘して、では今後どうするか。そのことについて話そうという空気に変わってヒューベルトが疑問を口にする。
ベレトが言及したルミール村。五年前、闇の魔導士ソロンによって壊滅された村である。当時の
その村を何故今取り上げたのか。
「元々エーデルガルトにはルミール村のことを教えようと考えてたんだ。帝国がどんな政策をしていくのか俺は知らなかったからその方面で力になれないけど、できそうなことの一つとして」
「師が力になれることでルミール村が関係しているの?」
「ああ。五年前の赤狼の節の課題が終わった後、ルミール村の生き残りをセイロス教団が保護したのは覚えてるか?」
「数は少ないですが、大修道院の食堂で見かけたことがあります。彼らはそのまま教団に帰属したそうですね」
ヒューベルトの補足で思い出す。エーデルガルトがベレトと一緒に食堂を訪れた際に、一人の少女から呼び止められたことがあるのだ。
惨劇に襲われたルミール村の生き残りの一人である少女は、セイロス騎士団と一緒に救助に来た黒鷲の学級を見ていたのだろう。ベレトとエーデルガルトの顔を知っていて話しかけてきた。
『どうしてもっと、早く助けに来てくれなかったの……?』
幼さを塗り潰す悲壮な表情と声色をエーデルガルトは覚えている。自分の野望はあの少女のような人間を数え切れないほど生むことになるのだと教えられた気分だったのだ。
そして、そのルミール村は今も放棄されたままである。焼け跡はそのままで、村人に何かしら補填があったわけでもない。
言い方は悪くなってしまうが、それどころではなかった。他に優先するべきことがあり過ぎて、後回しにしている内にいつの間にか意識されなくなっていた。
「そうやって放棄された村を、皇帝エーデルガルトの名の下に救助するんだ」
「……私の?」
「そうだ。これはさっき寝ながら考えていたことなんだが、君にはもっとたくさんの味方が必要だと思う」
熱があるのにそんなことを考えていたのかこの人は。
ヒューベルトが呆れ半分、慄き半分でベレトを半目で見やる横でエーデルガルトが首を傾げる。
「私にはもう充分頼れる仲間がいるわよ? 師やヒューベルト以外に、遊撃軍の仲間や、他にも仕える臣下がいるわ」
「それはいいことだが、俺が言いたいのは仲間や部下だけじゃなくてもっと広い意味の……極論を言えば、フォドラ中の人間にエーデルガルトを好きになってほしいんだよ」
続けてベレトが語るのは、いわゆる皇帝のイメージ改善運動である。
何度も言うが、エーデルガルトはセイロス教に戦いを挑みガルグ=マクに攻め入ることでフォドラに戦火を広げた。当然だが敬虔なセイロス教の信者、そしてガルグ=マクに住んでいた人間からの印象は最悪だろう。これはもうやってしまったからには仕方ない。
王国と同盟にしても、フォドラに戦火を広げたことで自領にかつてない負担を被らせた皇帝に対して、人々が良い印象を持っていないのは言うまでもなく。
そして帝国内では、治安と流通を改善させて富を増やした皇帝への印象はそれなりに良いと聞くが、それは自分達に利をもたらしてくれるからこそ受け入れられている面が大きい。不満はあってもエーデルガルトの実績とカリスマがそれらを黙らせているようなものだ。
前述したようにエーデルガルトの野望は一代で完遂できるようなものではなく、永く永く続かせていかなければならない。
しかし現状、彼女以降の皇帝が改革を受け継いでいけるか、大きな不安が残る。
そこで必要なのは「皇帝は平民を守り助けようとしている」という風潮である。
「個人が持つ常識を他人が変えようとするなら、その他人に向けられるのは『余計なお世話』という排他的な感情だ。それじゃあどんなに訴えかけたところで反発心が壁になって素直に受け入れられない。皇帝という圧倒的高みから投げかけられた言葉だと、どうしても君主と臣民という関係が壁になる」
そうさせないために必要なのは、エーデルガルトが人々に向き合う際の姿勢。
皇帝の立場はそのままに、彼女が常に平民のことを思う皇帝なのだとより広く知らしめていかなければならない。
先刻よりも真剣な、あるいはこれこそが本命の話だと言わんばかりの眼差しを向けるベレトに、エーデルガルトは頷くことしかできなかった。
「信頼されなければならないんだ。紋章は絶対のものじゃないという思想を広めて、紋章がなくても有能な人が実績を上げる仕組みを作れても、上に立つ人が信頼されてなければ歪んで伝わってしまう」
──どうせあの皇帝のことだ。問題は力尽くで潰してきたんだろう。
──紋章を持たない者が実績を上げたのだって卑怯な手でも使ったに違いない。
──たまたま気に入られた奴が得しただけさ。
そんな風に思われてしまっては、どんなに世界を変えたところで人々の意識は変わらない。
エーデルガルトには力があり、覚悟もある。一人で突き進めるだけの勢いもある。
なのでベレトが考えたのは彼女の姿勢、心構えを変えてやることだった。
「エーデルガルトは未来に生きる人々のために立ち上がったんだよな。じゃあその未来の人も皇帝を受け入れられるようにして、後に続く人達が力を合わせて野望を叶える地盤作りを今からしておかないと。君が皇帝を退いた後も世界は続いていくんだ。その未来でもエーデルガルトの意思が広がるように」
言葉が出なかった。エーデルガルトの胸に感動とも言える衝撃が湧き上がった。
まさに!
まさにそれは自分のような為政者が持たねばならない視点ではないか!
世界を導くのは上に立つ者でも、世界を支えるのは下で生きる者。上下はあっても優劣はない。
目線と心を常に地面近くに置いておく。その姿勢がなければ上からの声は下には響かないのだ。
全ては未来に生きる人のために。
何より、今ベレトが言った心構えは彼自身が教師として生徒を指導する時の姿勢そのもの。常に生徒と正面から向き合い、相手に誠実であらんとした彼の人間性を表している。
「君が教えてくれたことだよ」
「私が?」
「授業でも訓練でも、エーデルガルトは俺の指導を素直に聞いてくれただろ? 立場を考えればもっと反発してもおかしくなかったのに、君が早くから俺を受け入れてくれたから他の生徒も俺を受け入れてくれた。君のおかげで俺は教師をやってこれたんだ」
今さらだけど、ありがとう──当時を思い出したのだろう、小さく微笑みながらベレトは礼を言った。
(~~~っ!)
エーデルガルトは蕩けるような心地だった。
これほどの人が自分を想ってくれる。傍で守りたいと言ってくれる。
これほどの人に感謝されるくらい、自分が彼の助けになっていた。
心臓が絞られるような歓喜が生まれ、思わず胸を抑える。
「なるほど、そこでルミール村が関わってくるのですな」
横目で窺って主の様子を察したヒューベルトが後を続けた。
「廃村となったルミール村を帝国が解放すれば……」
「皇帝に向けられる目も変わる。すぐに変わらなくても、今の帝国はセイロス教でもやらなかった救助活動をすると示せる。エーデルガルトに向く評価が変わる切欠になるはずだ」
「しかしあれから五年も経って、何を今さらを嘲笑われる可能性も高いですが」
「まあ恐らく十人中九人はそう言うだろう。それでもやらないよりは確実に変わる」
無論、ルミール村は分かりやすい一手として最初に挙げただけで、他にも救助活動だったり平民の助けになる活動はいくらでもある。ベレトは思いつく端からやってみるつもりだった。
「しかしルミール村ですか……少し面倒になりますね」
「何か知ってるのか?」
「ええ。今回のガルグ=マクを解放する進軍に先立ち、我がベストラの手勢でこの地一帯の調査をしておいたのですが、ルミール村にも野盗が潜んでいることが分かっております」
ガルグ=マク大修道院の敷地は広い。市街地を含めれば城塞都市とも言える大きさで、山間に構えるという天然の要害なのもあってならず者が引き籠るにはうってつけの立地だ。
セイロス教団が居座っていた時は無理だったが、帝国軍が追い出したことで空いたこの地が野盗に集られるのは自然な流れだったのだろう。
ただし野盗の全てがガルグ=マクに居着いたわけではない。いくら広いと言っても限られた敷地に際限なく人が流れ込んだら溢れてしまう。セイロス教団が去って維持する力を失ったガルグ=マクに大量の人間を受け入れられる余裕などなかったのだ。
なので、いい場所を見つけてもそこに居座れる力も人脈もない、言ってしまえば雑魚盗賊はガルグ=マクではなく山の麓の方にあるルミール村などに流れたのである。
帝国軍が国内を巡回するようになったとは言え全てを見渡せるわけではない。放棄されたルミール村のような場所よりも優先しなければならないことも多く、放っておかざるを得なかった。
「今回の軍の編成はガルグ=マク解放を目的としたもの。復興作業の最中、他に人員を割く余裕はありません。アンヴァルで追加の派兵を決めなければなりませんな」
「そういうことなら──」
「──今すぐ行こう」
ヒューベルトの説明を聞いてベレトが即決しようとしたその時、彼の言葉に被せる形でエーデルガルトが言い放つ。
振り返る二人を見て、皇帝は不敵な笑みを浮かべてみせた。
「そう言おうとしたのよね師?」
「ああ、そうだが……君も行くのか? 俺が言い出したことだし俺が行くつもりだったんだが」
「もちろん。皇帝エーデルガルトの名の下の出撃なのだから、その最初の一手に私がいるべきよ」
「だが今はガルグ=マクの復興作業を指示する立場だろう? エーデルガルトがここを離れたら困らないか?」
「そこは我が優秀な右腕の出番ね。野盗の掃討自体はもう終えているのだし、指示を出すのは一人でも充分できるわ。ねえヒューベルト?」
意気揚々が顔に書いてあるような心境で目を向ければ、軽く溜息を吐く従者の姿。言葉にしなくてもこれは決定したことだという意思が伝わったのが分かり、エーデルガルトは満足気に微笑む。
主の止まらない勢いを察したヒューベルトとしては、少しばかり頭痛を覚えながらも彼女が明るい表情をしているのが嬉しかった。
「畏まりました。一時、軍の指揮を預かりましょう。陛下直属の一部隊のみの出撃であれば人員も融通は利きます。そこに先生が加われば不安はないでしょう」
「頼むわね。すぐに終わらせるわ」
「お気を付けて……」
二つ返事でやり取りを終わらせる主従を見たベレトは首を傾げる。
「だがエーデルガルト、いくらルミール村がここから近いと言っても、行って帰ってくるにはそれなりに時間がかかってしまうぞ」
「あら、師は私達が変わったのは見た目だけだと思っているのかしら?」
ベレトの前で強気な笑みを浮かべるエーデルガルトはこの上なく張り切っていた。
また彼と共に戦えるこの時をずっと待っていたのだから。
「貴方の生徒はこの五年で実力も伸ばしているのよ。それを見せてあげる」
勢いよく扉を開き、厩舎に立ち入るエーデルガルト。それに続いて入るベレトの姿を認め、中で思い思いに過ごしていた彼らは一斉に色めき立った。
「
「
「
驚愕の視線を向けるドラゴン達だったが、ベレトが厩舎の中を見回した途端揃って平伏する。見たことないドラゴンの様子に世話係の兵が困惑しているところ、皇帝が足を運んだことに遅れて気付いた。
「こ、これは陛下! 何用でございますか?」
「今すぐ発つ。私のドラゴンを」
「畏まりました!」
流石は編成された精鋭と言うべきか。余計なことを口にせず、エーデルガルトの言葉にテキパキと動いて一頭のドラゴンを連れてきた。兵に引かれてのそりのそりと姿を現したドラゴンは大型種のようで、他のドラゴンより一回り体が大きい。
その首を撫でるエーデルガルトは慣れた様子で、このドラゴンが彼女と心を通わせた相手であることが察せられた。
大型種。そして「私のドラゴン」という指示。
まさか、君はドラゴンマスターの資格を?──視線に乗せてベレトが問うと、満足気な笑みを向けるエーデルガルトである。自身の成長の証、その一つを見せられたことが嬉しいのだろう。
係の者が鞍と手綱を装着させている間、ドラゴンはどことなく気後れしているようにも見えて、その視線はエーデルガルトとベレトの間を行ったり来たりしていた。
「
「「「
「
何やら周囲のドラゴン達と鳴き合っている。挨拶でもしているのだろうか。
すぐに支度は終わり、ドラゴンを外に出して敬礼する兵に一言礼を伝えるとエーデルガルトは素早く騎乗した。そのままベレトに手を差し出してくる。
「
「分かった」
手を引かれたベレトが後ろに乗ったのを確認してエーデルガルトは手綱を取った。指示を受けたドラゴンが羽ばたき始め、その巨体を浮かせていく。
と、そこまで見ているままだった係の兵が我慢できなくなったのか、声を上げた。
「あの、陛下、どこへ行かれるのですか!? それに、そちらの男は一体!?」
急に出撃を伝えられたこと。
見知らぬ男が相乗りしたこと。
皇帝のドラゴンの世話係として流石に何も聞かされないままではいられず、思わず出てしまった質問に返ってきたのは短い一言。
「詳しいことはヒューベルトに聞きなさい!」
(えーーーーー!)
丸投げであった。
皇帝の懐刀にして右腕、あのヒューベルト=フォン=ベストラに直接聞けと?
んな無茶な──途方に暮れる兵であった。
固まってしまった世話係を置いて空高くドラゴンを飛ばせたエーデルガルトは、背後に麾下の帝国飛竜隊も飛び上がったのを認めると発進を指示。
高度を活かしてドラゴンは滑空を始め、高速飛行を始めた。
「すごいな、ドラゴンマスターになったのか」
「貴方と並び立つためにこれくらいは、ね!」
後ろでベレトが感心した口調で溢し、エーデルガルトは得意満面になる。手綱を握る手に力が入り、滑空から緩やかな上昇に移ったドラゴンを支えた。
いつか彼が帰ってくる時のために努力していたのだ。
技能について、元々斧術には自信があった。他に求められる槍術もベレトの授業で触れていたので苦手でもなかったし、飛行術は五年前アンヴァルに飛ぶ時にベレトと共にドラゴンに乗った経験が生きたのか想像以上に習得が早かった。
皇帝という忙しい身でも暇を見つけて鍛えてきたおかげで、こうして最上級兵種に就くことが叶い、それをベレトに披露できてエーデルガルトは鼻高々であった。
「
そんな風に浮かれていたからか、首を向けてきたドラゴンが苦情を申し出るように低く唸ってきたのでハッとする。
手綱を通して騎手の気持ちを感じ取ったのだろうか。浮かれるんじゃないと窘められた気分だった。
ベレトを後ろに乗せているのに変な姿を晒したくはない。気を引き締めなければ。
何より、彼には問わなければならないことがある。
「ねえ、師……」
「分かってる。俺もエーデルガルトにちゃんと言いたい」
エーデルガルトの考えを察したのか、背中越しにベレトの真剣な声が聞こえる。
五年前と位置だけは逆にして、同じく他人を挟まない二人だけの話。
「あの時、俺はレアを助けに行った」
話題になるのはやはり五年前のこと。
ガルグ=マクの戦いでベレトが最後に見せた行動。守ると言ったエーデルガルトの傍を離れた彼は【白きもの】、即ち敵であるはずのレアを助け出した。
あの瞬間のガルグ=マク全体を唖然とさせた行為で、多くの者が目の当たりにした光景である。
飛び出す直前、ベレトは確かにレアの名を叫んでいた。それも呼び捨てにして、まるで親しい友人の窮地に駆けつけるかのように。
それを聞いたのはその場にいたエーデルガルト、クロード、ユーリスの三人のみ。
居合わせなかったヒューベルトにはこのことを教えていない。なので彼を交えた話の最中に持ち出すわけにはいかない話題だった。
エーデルガルトが不安に思うことに一つに、ベレトの心にまだレアと教団への未練があるのではという疑念があるのだ。
「俺は分かってなかったんだ。帝国の味方になって、エーデルガルトと一緒に戦うということが何を意味するのか、きちんと理解できてなかった」
「師……」
「レアには本当に世話になった。俺を士官学校の教師に任じてくれたことだけでも生徒達と関わる切欠になったし、天帝の剣を託したり、色々教えてくれて、大きな期待を寄せてくれたのは感じていたよ」
それはエーデルガルトも分かっていたことだ。レアがベレトに向けていた熱視線は何かと近くにいた自分にもありありと感じられて、大司教がそんな明け透けな感情を見せていいのかと驚いたものだ。
「ただ、どんな人間にも譲れない一線というものがある。俺にとってはそれがエーデルガルトだ」
「わ、私?」
あ、だめ、口元が緩む──真面目な話をしている最中だというのにおかしな表情をするわけにはいかないので、目と口に力を入れて蕩けそうになる顔をしかめる。
自分が前に乗る位置関係でよかった。彼からは見えない、はず。
「聖墓でのレアの言葉は俺の中で一線を越えるものだった。俺にとってあれは決して認められるものではなかった。だからエーデルガルトを守る選択をしたことに後悔はない」
でも、とベレトは続ける。
譲れない一線を持つ者同士がぶつかった時、戦いとは否応無しに起こる現象だ。避けられないのなら、どちらかが折れるか、少しだけ妥協するか、変化を加えない限り互いを潰し合うことになる。
悲しいけれど、それはきっと誰かと誰かが生きている限り必ず起こってしまうことなのだ。
そしてそれを五年前に学習できたことでベレトは腹を括れた。
「俺はエーデルガルトを守りたい。この気持ちがきっと今の俺にとって一番大事なことだ。だから君が目的を果たせるよう力になるし、健やかに生きていけるように支える」
「っ……師」
「もう一度約束するよ。
(ああ、貴方はそこまで……!)
先ほど覚えた陶酔がまたしても胸から溢れて、エーデルガルトは目を潤ませた。
自分がこれほどまで想われていることに感激する。同時に、彼と出会えた幸運に、いるかどうかも分からない神に感謝したくなった。
かつての宮城の地下に囚われるより以前の自分は皇女としての教育を受ける他、それなりに敬虔なセイロス教の信徒でもあったのだ。あの時以来、心の中では見放していた女神に対して久しぶりに……本当に久しぶりに祈りを捧げたくなった。
その女神の加護を受けたベレトに祈れば同じことになるだろうか。そんな益体もないことも考えてしまう。
ベレトのことだ。守るという言葉を使ったが、その意味がただエーデルガルトの身を守るだけに留まらないのだと分かる。
執務室での彼の話を思えば、エーデルガルトの命だけでなくその歩む道、彼女の将来を含めた人生を守るべく真摯に向き合ってくれているのだ。立場を考えれば皇帝という圧倒的な差がある相手でも、上下関係に惑わされず、信頼を軸にして相対してくれるのが分かるから。
そうだ。ベレトが話した通り、彼がエーデルガルトを信頼し、エーデルガルトも彼を信頼して、だからこそ意思を交わし、相手の意見を受け入れ、変わっていける。
それこそが彼の導きの根幹なのだ。
「師、私も約束するわ。一度は揺らいだりしたけれど、もう貴方を疑わない」
今度は自信を込めた笑顔で振り返り、ベレトの目を見つめて言った。
「私は師を信じるわ! だから、これからも共に歩んでちょうだい!」
「ああ。改めてよろしく、エーデルガルト」
ベレトもはっきりと応えてくれたことでエーデルガルトはますます張り切る。手に持つ手綱を握り直してドラゴンに加速を指示した。
「
指示に従うドラゴンが力強い咆哮を上げ、二人が先導する飛竜隊はルミール村へと急いだ。
空を飛んで直行したこともあってさほど時間はかからず、陽が落ちる前にはルミール村が見えるところまで来ることができた。
エーデルガルトは飛竜隊に指示を出して村を囲むように陣を展開。ベレトはドラゴンを降りて単独行動による遊撃で内部を掻き回すという算段。
「皇帝の名の下に命ずる! 帝国領内にはびこる無法者、この村に巣食うならず者を打ち倒せ!」
エーデルガルトの号令から先は早いものだった。
廃村なのでろくな柵もなく、崩れた家屋に潜んでもいつまでもやり過ごすことなどできないのもあって、応戦するしかない野盗が次々と飛び出してくる。
弱かったからガルグ=マクを追われてルミール村に流れ着いたのであり、そのような雑魚が精鋭揃いの帝国飛竜隊に敵うはずもなく次々と斬られていく。
頭数だけはあったのでドラゴンの間を抜けて村から逃げ出そうとする野盗もいたのだが、村の中を高速で立体起動するベレトが狩り回って逃がさない。
しかし、主だった戦力がベレトとエーデルガルトしかいないこともあってか、村全体を完璧にカバーできていなかったらしく、命からがら逃げ切ろうとした者もいた。
弱いからこそ脅威に敏感だったのか、他の野盗が飛び出してもこっそり隠れ続けていた者がベレトの目も掻い潜って村から逃げ出そうとして──新たに現れた戦力に蹂躙された。
「よっしゃあ、俺が一番乗りだー!」
「もう戦いは始まってるから、僕より速いだけで一番じゃないでしょ」
そんなことを言い合う若者二人を先頭にした集団が村に雪崩れ込み、エーデルガルト率いる飛竜隊の戦いに加勢していく。
その先頭の二人は、ベレトのよく知る人物の面影があった。
「カスパル!? リンハルト!?」
「おー、本当に先生がいるな! また会えて嬉しいぜ!」
「お久しぶりですね先生。五年も寝ていたそうで羨ましい限りですよ」
思わず呼びかけたベレトの脇を走り抜けたのは成長したカスパルとリンハルト。
どうして生徒の二人が来たのか分からなかったベレトだが、別方向から現れた集団がさらに加勢してきた。
「エーデルガルトに後れを取るな! 騎士団は左右に展開! 賊共を取り囲め!」
「少し遅れちゃったかしら?」
先頭の騎馬を駆る青年が勇ましく指示を出し、その後ろに乗った美女が巡らせた視線がすぐにベレトを捉えた。
「フェルディナントか!? じゃあ、そっちはドロテア!?」
「やあ先生! 貴方は全く変わっていないな!」
「エーデルちゃんに会えたんですね。よかった……五年前の約束、今日ですもんね」
馬上からにこやかに声をかけたフェルディナントとドロテアはそのまま騎士団の陣形に加わりに行く。
瞬く間に囲まれる野盗を、駄目押しとばかりに射かける矢の雨がさらに動きを封じていった。
「エーデルガルト様と先生、援護します!」
次いで現れたのは、エーデルガルトの飛竜隊とは別のドラゴンを駆る集団。上空で弓矢を構えたその者達は帝国の兵とは出で立ちが異なる。
「ペトラなのか!?」
「千年祭の日、誓いました! 学級の皆と先生、集合! 私、信じていました!」
見慣れない装束に身を包んだペトラが率いたドラゴンの部隊に指示を出し、帝国飛竜隊では抑えられなかった角度から村の周辺を囲みに行った。
示し合わせたようにルミール村に集った生徒達にベレトが驚いているところ、背後に気配を感じて振り返れば「ぴゃ!?」と飛び上がる一人の女性。
その反応から察し、まさか彼女が来たのかと再び驚く。
「ベルナデッタなんだな?」
「は、はい、ベルです。あの……本当に、先生なんですよね? よかった~」
駆け寄るベルナデッタの後ろから弓を携えた騎馬隊が走り抜けていき、ルミール村を完全に囲んでしまった。
元黒鷲の学級、そして黒鷲遊撃軍の仲間、大集合である。
「ベルナデッタ、君達はどうしてここに?」
「ヒューベルトさんから連絡があったんです。ガルグ=マクじゃなくてルミール村に集結しなさいって」
「だが君達はガルグ=マクに向かって移動中だったんじゃないのか? 俺とエーデルガルトが出撃したのはほんの少し前なのに、どうやって連絡を……」
「えっと、それはですね、ヒューベルトさんが出した
驚くベレトに向けて、五年前とは別人のように垢抜けた姿になったベルナデッタが説明したのは新しい試みのことだった。
早馬という、馬を速く走らせて荷物や使者を素早く運ぶ手段がある。民間で使われるものから貴族が利用するものまであり、広大な領土を誇る帝国には欠かせない方法だ。
それらは早馬の名前の通り、普通の馬を用いる。この馬の代わりに天馬、つまりペガサスを用いたのが早天馬である。
これにより、街道を始めとした地形で足を遮られる心配がなくなり、飛行によって目的地まで直進できるようになったことで必要時間が大幅に短縮。帝国各地への伝令を見違えるほど活性化させたのである。
言うまでもなく、五年前にベレトが駆るドラゴンに乗ってガルグ=マクとアンヴァルを僅か一日で往復したエーデルガルトが、その経験を下地にして考案したものだ。
帝国軍の国内巡回と併せて、各都市などにペガサスナイトを派遣して作った新しい制度。できたばかりなのもあってまだ賛否はあるが、連絡の高速化という計り知れない成果は徐々に認められつつあった。
各地からガルグ=マクに集結してくる仲間がどのような道筋を辿るかヒューベルトには分かっていた。その道筋を逆方向からなぞるように出した早天馬が、それぞれ発見した仲間に集結先はガルグ=マク大修道院からルミール村に変更だと伝え、連絡を受けた彼らは大急ぎで駆けつけたのだ。
何故そんなことを、と一瞬考えたベレトだがすぐに理解する。
千年祭があるはずだった今日、五年ぶりに先生と生徒の再会が叶うように調整したヒューベルトの粋な計らいだろう。
感心の目で村の中を見れば野盗は軒並み倒れており、辛うじて生き残った者が村の中央で取り囲まれているところだった。
取り囲む軍勢の中からエーデルガルトが進み出ると高々と宣言する。
「武器を捨てて投降するのなら命までは取らない! そなた達もこの地に生きる人間なのだから! しかし、抵抗を止めなければ我が軍は一人残らず蹂躙し、この地に安寧を取り戻す!」
あのアドラステア帝国の皇帝がここまで言うのだから逃げ場などないと分かり、殺されるよりはマシだと野盗は次々に武器を放り投げた。
それを見たエーデルガルトが手に持つ斧を高く掲げる。皇帝の勝利宣言に、遊撃軍から上がった勝ち鬨の声は瞬く間にルミール村を包んだ。
斧を掲げたままエーデルガルトは離れたところに立つベレトを見つめる。彼と視線が絡んだのを感じて笑みを浮かべた。
昨日まで抱えていた焦燥感はもうなくなっている。
五年という長い夜を越えて夜明けを迎えた眩しい気持ちでいっぱいだ。
もはや怖れるものなど何もない。
(師こそが私の翼……!)
ここからはベレトが導いてくれる未来を信じて突き進むのみだとエーデルガルトは笑みに力を込めるのだった。
そうだ。これでいい。
人が生きていくことは、多くの信頼に支えられている。
無意識であっても信頼が根底にあるから人の世は続いていける。
エーデルガルト。
信じることを恐れないでくれ。
誰よりも過酷な道を歩む君だからこそ、他人との信頼が大切だ。
大丈夫だよ。きっと、君は大丈夫だ。
人を信じ、仲間を増やし、絆を結べば、どんな苦しい道だろうと進んでいける。
勇気があるエーデルガルトなら必ずできる。
だから。
踏み出すことを恐れるな。
手を差し出すことを躊躇うな。
君はそれができる人間なんだから。
俺の心をすくい上げてくれたように。
……本当は、ほとんど建て前みたいなものだよ。
エーデルガルトには暴君として語られるようになってほしくないんだ。
いつか君が帝位を退いた後にも、多くの敵がいたままじゃ。
狙われ続けるだろう。もしかしたらその末に殺されてしまうかもしれない。
認められない。そんな未来にはさせない。
君が背中を気にせず、憂いなく笑い、好きにゴロゴロしていられる世界にしたい。
俺には政治が分からない。
それでも、仲間と力を合わせることの強さを知っている。
他人と心を通わせる大切さを学んだ。
困難な野望を叶えるなら尚のこと、そのためには信頼が必要だ。
エーデルガルト。
俺は君を守りたい。
でも、俺だけじゃ君を守り切れない。
だから、君を守れる世界を創る。
そのために戦う。
君を守るためなら。
君が生きるためなら。
君を幸せにするためなら。