東大史料編纂所教授・本郷和人氏が「プーチンの戦争」を軍事史研究から紐解く

公開日: 更新日:

本郷和人(東大史料編纂所教授)

「プーチンの戦争」が大きく後退している。理由として「ロシア兵士の士気の低さ」「兵站のまずさ」などさまざま挙げられるが、そもそも戦争の目的とは何か、誰がどんな気持ちで戦っているのか、終わり方はどうなのか──。軍事史研究の立場から合戦のリアルを聞いた。

■勝敗は「数」や「兵器」以上に、「兵の士気」がカギを握る

 ──私なら、人ひとりを倒すのも難しいのですが。

 平安時代後期から鎌倉時代までの合戦は、基本的に武士という軍事を専門に行うプロ同士の戦いでした。それが戦国時代以降、集団戦・総力戦に変わり、殺し合いとは無縁の農民たちが戦場に駆り出されます。ドラマや映画のシーンでは足軽も含めた肉弾戦が繰り広げられますが、実際のところは、血も出ますし、彼ら農民は殺すのも殺されるのも怖くてたまりませんので、適当に小競り合いをしたり、何かの拍子に戦場から逃げ出したりします。これが合戦のリアルです。大将はそんな彼らの心理を理解し、士気を高めるさまざまな方策を用いなくてはいけませんでした。

 ──兵の士気が勝敗を左右する?

 合戦の勝敗を握るのは「数」です。数とは「経済」でもあります。ところが、私が戦国最強と思う毛利元就の初陣となった「有田中井手の戦い」(1517年)では、尼子氏と手を組んだ安芸武田氏の武田元繁率いる軍勢5000人に対し、毛利・吉川軍はわずか1000人。それでも毛利軍は元繁を討ち取って勝利しました。数で勝っていても、兵の士気が低ければ付け入る隙が出てくる。烏合の衆とやる気のある軍勢の違いで、この場合、勝利できたのは士気の問題ではないかと考えられます。

 ──ウクライナに攻め入ったロシア軍も同じ?

 まさしく同じことが言えそうです。戦いに勝つには、兵力の次に兵器の優劣がありますが、それ以上に兵の士気がカギを握ります。捕虜となったロシア兵の話では、戦争だと知らされずに戦場に連れて来られたこともあったそう。これでは数日で首都キーウを占領しようとしたロシア軍が苦戦したのもうなずけます。また、戦は兵站が重要ですが、この問題もあると考えられます。太平洋戦争時のインパール作戦は、この兵站が壊滅的に悪かった。戦うのは生身の人間ですから、見事な戦術や戦略を考えても、それを遂行する兵隊が万全でなければ、結局、負けてしまいます。

 ──歴史上で兵の士気が最も高かった戦いは何ですか。

 太平洋戦争時の日本もそのひとつでしょう。サイパン島の玉砕がまさしくそうで、現在80歳を越えた年配の方たちに話を聞くと、ほとんどの方が「神風が吹くから日本は負けない、と本気で信じていた」とおっしゃいます。まともな軍事研究がされていれば、国力が10倍以上だったアメリカに戦を挑もうなどとは絶対に思いません。

敗戦国の日本では軍事史研究がタブー

 ──日本では太平洋戦争後も、まともな軍事研究が行われてこなかったと新著「『合戦』の日本史」(中公新書ラクレ)で指摘していますが、その理由は何ですか。

 ここが本題ですが、軍事史についても科学的に考える研究が出てきてしかるべきですが、戦後の日本ではある種のタブー扱いする傾向がありました。なぜ軍事史研究がタブー視されたかというと、そこはやはり太平洋戦争の敗戦の痛手が大きかったと思われます。太平洋戦争での死者は300万人以上といわれ、そのような惨事を引き起こした戦争を忌避する気持ちと批判から、戦後になって多くの大学では「軍事研究はやってはいけない」という雰囲気が漂っていました。

 ──-振り子の原理で「皇国史観」という万世一系の天皇を中心とした世界観から、マルクスの「唯物史観」という経済の土台の上に宗教、政治、文化などが定まるという世界観に一気に振れてしまった?

 私が若い頃は、知識人たるもの政治的には左派であるべきという風潮さえありました。ある日、私は研究室の席が左右に分けられているのを見て、先輩に「やっぱり右派と左派の研究者で席を分けるんですね~」とのんきな質問をしたら、「おまえは何を言っているんだ。そこにあるのは“左派”と“極左”のふたつだ!」と苦笑いされてしまった。それぐらい研究の場において軍事研究や自衛隊はタブーだったわけです。江戸時代の肥前国平戸藩の藩主だった松浦静山が「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と記しています。亡くなった元プロ野球監督の野村克也さんがよく用いた言葉として有名ですが、要するに、なぜ負けたのかをきちんと分析しなくてはいけないのです。確かに科学技術への妄信が原子爆弾の開発に向かい、暴力礼賛が戦争につながりました。ですが、事実として人間は戦い続けてきましたし、ロシアのウクライナ侵攻が示すように、しばらくは戦いがなくなることはなさそうです。ならば、戦争の目的とは何か、誰と戦うのか、どうすれば戦いは終わるのかを知っておく必要があります。

 ──軍事史研究に対する嫌悪感が、源義経の「鵯越の逆落とし」のように、歴史を単なる講談のヒーロー譚で終わらせてしまう。

 鵯越の逆落としが実際にどのように実行されたのか、学問的には証明されていません。織田信長が今川義元を破った桶狭間の戦いにしても、私は奇襲とは考えていません。2万5000人の大軍を率いた今川に対し、わずか2000~3000人の織田が少数精鋭で勝ったとされますが、当時の石高から計算するに、今川が桶狭間に動員できた兵力は領国に残す兵も加味すると1万人ぐらいが関の山。多少無理をしても1万5000人が限度です。対する織田の石高は尾張一国で57万石(この時点で統一はまだ)ですから1万人くらいはどうにかなります。今川軍1.5万人VS織田軍1万人ですから、奇襲をする必要はなかった。そもそも駿河・遠江・三河で合わせても70万石にしかならない今川が京都への上洛を狙うとは考えにくい。当時、今川側の城であった鳴海城(名古屋市緑区)の後詰めに向かったとするのが妥当でしょう。

 ──小よく大を制すは日本人が好む題材だが。

 少ない軍勢で大軍を打ち破る、柔よく剛を制すといったロマンは、太平洋戦争における300万人以上の犠牲につながっています。

 ──勝った負けたで歴史を論ずるのはまずいと。

 徳川秀忠は、天下分け目の関ケ原の戦いに、徳川本隊3万5000人を率いながら遅参するという大失態を犯しました。真田昌幸と真田幸村(信繁)の父子が守る上田城攻略に手間取ったからですが、ではなぜ秀忠は上田城にそこまでこだわったのでしょうか? こうした疑問は城郭研究においては正面から取り上げられてきませんでした。上田城は中山道から外れた場所にあり、どうしても落とさなければならない城ではありません。非常にシンプルですが、誰もその謎を解いていません。関ケ原への遅参が許されないのであれば、なぜ最初から日時と集合場所を決めておかなかったのか? 秀忠が参陣するまで家康は開戦を待つこともできた。それはなぜなのか?

 ──歴史の面白さはそこにあると。

 学生に徳川8代将軍・吉宗の異名を問う質問で「米将軍」と答えるべきところ、「暴れん坊将軍」と間違えたといった笑い話があるとかないとか。しかし、今の学生は暴れん坊将軍自体を知りません。歴史どころか時代劇にも興味がない。我々は鎌倉幕府の成立を1192年(いい国つくろう)と覚えてきましたが、今の教科書は1185年と教えています。ですが、これすら正しいとは限らないでしょう。誰も同意してくれませんが、私は1180年が持論です。歴史を考える上で、常に自分の考えを否定し、反論を考えておく。プーチン大統領の考えが分からないと言いますが、もし専制君主がボケたり、間違ったらどうなるのか? こういうことも軍事史研究の領域になります。

 ──歴史は年号の暗記ではないと。

 年号の暗記などまったく無意味。私は年号を全然覚えていません。

 ──論文を書くときは?

 ウィキペディアで調べます(笑)。

 ──それだと大学に受からないのですが。

 そういう設問なら大学入試から日本史を外したらいいと思います。

(聞き手=加藤広栄/日刊ゲンダイ)

▽本郷和人(ほんごう・かずと) 1960年、東京都生まれ。東大史料編纂所教授。東大、東大大学院で石井進氏や五味文彦氏に師事。専門は日本中世史。妻は同編纂所所長の本郷恵子氏。「大日本史料」の編纂のほか、NHK大河ドラマ「平清盛」、アニメやマンガの時代考証にも携わる。「鎌倉殿と13人の合議制」「歴史をなぜ学ぶのか」など著書多数。


■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

最新のライフ記事

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1
    メンズエステ店が相次ぎ摘発…大流行のウラにコロナ禍と女性の抵抗感の低さ

    メンズエステ店が相次ぎ摘発…大流行のウラにコロナ禍と女性の抵抗感の低さ

  2. 2
    ロシア最強軍艦あえなく撃沈…「プーチンの戦争」は“勝負の2週間”も敗色濃厚

    ロシア最強軍艦あえなく撃沈…「プーチンの戦争」は“勝負の2週間”も敗色濃厚

  3. 3
    マツコも悩む「他人の配偶者」の呼び方…ではベストな呼称は? 尾木ママに聞いた

    マツコも悩む「他人の配偶者」の呼び方…ではベストな呼称は? 尾木ママに聞いた

  4. 4
    斉藤由貴長女は「ちむどんどん」に出演…2世タレントのメリット・デメリット

    斉藤由貴長女は「ちむどんどん」に出演…2世タレントのメリット・デメリット

  5. 5
    京大生“家飲み盗撮”のクズっぷり 歯磨き粉に小細工し裸体と排泄シーンをロックオン!

    京大生“家飲み盗撮”のクズっぷり 歯磨き粉に小細工し裸体と排泄シーンをロックオン!

もっと見る

  1. 6
    プーチン大統領の愛娘2人のプロフィルが米英制裁で全世界に拡散

    プーチン大統領の愛娘2人のプロフィルが米英制裁で全世界に拡散

  2. 7
    落合博満氏YouTubeで阪神問題ズバズバ指摘!「V難しくない」発言で虎ファンから監督望む声

    落合博満氏YouTubeで阪神問題ズバズバ指摘!「V難しくない」発言で虎ファンから監督望む声

  3. 8
    韓国の新ファーストレディーは「完売の女」 庶民的なファッションが話題に

    韓国の新ファーストレディーは「完売の女」 庶民的なファッションが話題に

  4. 9
    新山千春だけじゃない! 女子アナが告白「職場の4人中3人がマッチングアプリで結婚」

    新山千春だけじゃない! 女子アナが告白「職場の4人中3人がマッチングアプリで結婚」

  5. 10
    “眞子さん就職”で相次ぐ小室圭さん「無職報道」だが…3度目の正直もあり得るワケ

    “眞子さん就職”で相次ぐ小室圭さん「無職報道」だが…3度目の正直もあり得るワケ