廃線レポート 畑ヶ平森林鉄道霧ヶ滝線 第3回

公開日 2022.04.16
探索日 2021.04.24
所在地 兵庫県新温泉町

 橋、切り通し、橋、切り通しの魅惑的コン美ネーション


2021/4/24 8:52 《現在地》

路線名にもなっている霧ヶ滝渓谷の谷底からは依然として250mも高い所にいる私だが、起点から進んだ距離は約800mとなり、事前情報にあった全長2kmの数字と比較しても、中盤戦に差し掛かっているはずだ。

そのような状況で現われたのは、桁のない橋と、深い切り通しが一直線に並んだ場面。
しかも、切り通しの向こう側には細い滝の流れが見えており、そこにももう1本橋があることが、ほぼ確定している状況だ。
橋、切り通し、橋の連結的連続出現だ!!

さあ、ここも越えていく必要がある。
まずは、手前の橋だ。
通算3本目の橋だから、(仮称)3号橋である。

おそらく、前の橋と同じ1径間だけのコンクリート桁を渡した桟橋だったようだが、またしても落橋しており、桁も行方知れずになっていた。
桁がないのに木橋ではなくコンクリート橋と考える根拠は、橋台に桁を乗せるための切り欠き(桁受け)の高さにある。この部分の高さは桁の厚みを示しており、木桁の場合は通常20~30cmだが、本橋に限らず、ここまで現われた全ての橋が50cmくらいあり、これがコンクリート桁だと考える最大の根拠だ。




桁の失われた橋だが、周囲の斜面がそれほど急でないことと、グリップしやすい土のために、この突破は難しくなかった。

写真は橋台を振り返ったもので、桁受けの部分に大きな高さがあることが分かるだろう。
木橋でこれほど厚みのある材を用いることは、通常考えられない。

ここまで現われた3本の橋は全てコンクリート橋だった。
木橋にくらべれば遙かにコストを要するコンクリート橋にしたのは、一つは機関車の安全な入線のためであろうが、機械化路線でも木橋は珍しくなかったから、小さな橋までコンクリート橋であることには他に理由があったはずだ。
すぐに思いつくのは、豪雪地である当地の雪害対策であろう。兵庫県新温泉町は国が定める豪雪地帯に含まれるが、そのうえここは周辺のあらゆる人里より何百メートルも高い山上だ。4月下旬でも方々に残雪があるくらいだから、厳寒期には2m前後の積雪があると思う。これで除雪もないとなると、木橋では数年と持たなかっただろう。



橋跡を越えると直ちに、これまでは最大の規模の切り通しが待ち受けている。
切り通しは見事な直線で、本来は前後の見通しが利いたはずだが、崩れた土砂のため中央部が2mくらい盛り上がっているので、そこまで登らないと先は見えない。

このような大規模な切り通しの出現には、期待を禁じ得ない。
なにせ、これがもう一回り深ければ、隧道になっていたかも知れないと思えるのだ。
地形図に隧道は描かれていないし、事前情報にも隧道があったような話はなかったが、可能性までは否定されていないはず。
ここまでの構造物の多さ、そして、ますますの地形の険阻化を考えれば、ひょっこり隧道が現われても不思議じゃないと思えてくる。

ところで、この辺りの地面の土の色は、全体的に赤っぽい。
この山域を裾野とする扇ノ山は、100万年くらい昔まで活発な噴火活動をくり返していたそうなので、火山灰なのかもしれない。
畑ヶ平という壮大な山上高原と、そこに深く入り込む険悪な霧ヶ滝渓谷の取り合わせは、火山地形が幼年期から壮年期へ浸食の度合いを深めていく過程の典型のようである。



切り通しを抜けると、先ほどから遠目に見え、渓声を響かせていたが、間近に来た。

滝は、軌道跡の15mくらい上に落ち口があり、いかにも溶岩層らしい黒い岩盤を伝って10mほど落ちたところ、つまり路盤から見て5mほど上の地面に爆ぜていた。滝壺はなく、黒い岩盤を叩いて弾けていた。
それほど水量は多くないが、それでも風に乗って水気混じりの重い空気が、軌道跡にいる私の頬に届いていた。

かつて、この道を行き来した誰もが目にした滝であろう。それだけに、当時は何かしか親しみを持てるような名前も付いていたかと想像するが、それを伝える文献は多分ない。
姿は残っても、人と関わった証しとしての名は、失われた滝かも知れない。
そんなことを思った。




滝の真下、案の定、ここにもがあった。
カウントがまた一つ増えて、(仮称)4号橋だ。

滝の水を流すこの橋も、残念ながら落ちていた。
しかし再びコンクリートの桁を見ることが出来た。
足元の斜面に寝そべっているのは、またしても中央で真っ二つに折れた、長さ10mはありそうな太い2本の桁だった。

ここも地形に沿って昇降し、対岸へ進むのは難しくなさそうだが、いまだかつて、コンクリートの橋がこんなにことごとく1本も残らずに破壊され、落ちてしまっている林鉄跡というのは、見たことがない。
この景色を前に語っても説得力がないだろうが、この手の単純なコンクリート桁橋というのは頑丈なもので、簡単に落ちないし、落ちるにしても、こうやって真っ二つに折れてしまうのは珍しいのだが……。
厳しい自然環境に晒され続けた末の廃残としか考えられない、酷い荒廃の状況であった。


(→)
谷を渡って、橋台へよじ登る。
この巨大な桁を支えるには、いささか頼りがなさそうに見える空積みの石造橋台で、現在では崩壊も進んでいるが、林鉄が運用され、最後にレールが撤去されるまでの15年ほどの間は保ったのだろう。
空積みの石造橋台と、巨大なコンクリート桁の取り合わせの珍しさも、地味ではあるが、この路線の特徴のように思う。

そんなことを考えながら、橋台を登ると……




8:58 《現在地》

もう一発、切り通しが!

ザーーーー…

(↑)この滝の音は、いま越えたばかりの滝のものだ。

だが、おそらくその音にかき消されてしまったために無音に感じる別の滝が、

この切り通しに突入すると同時に、私の視界に飛び込んで来たのだ。

このときの新鮮な驚きは、この日の印象の中でも大きなものの一つとなった。



音もなく、だいたい私のいる高さから放出される、それはそれは、巨大な滝だった。
滝の全体が見えていないのに、とにかく巨大な滝だということは、すぐに分かった。
なにせ、谷底まで250mもある山腹にいて、目線の位置からその谷に落ちる滝が見えるのだから、
たとえ、爆音届かず、望遠でなければ充分に見えない遠い上流のものだとしても、小滝ではありえなかった。

そしてこの発見は、本日初めて、霧ヶ滝渓谷のその名の由来となった滝を擁する、
最も険しい源頭区域に視線が届いた、印象的な最初の場面
であった。
地形図の通りであれば、この軌道跡の終点は、霧ヶ滝よりも上流にある。
だから、こうした上流部の険しさは、私にとって完全に自分事と考えられた。

この巨大な滝の初見に、単純な風景の凄愴を越えて衝撃を受けたのは、そのためだった。



すぐに短い動画を回し、その時の認識や気持ちを肉声で吹き込んでおくことも忘れなかった。
だが、この動画の公開には少なからず恥を忍ばねばならない要素がある。
私はてっきり、この唐突に見え始めた巨大な滝を、渓谷の名になっている霧ヶ滝と思ったが、
それは完全に誤りだった。



起点からおおよそ900mの地点にある尾根の切り通しから見えた滝は、霧ヶ滝ではなかった。
ではどの滝かといえば、霧ヶ滝の北西350m付近の支流上にある滝で、地形図にも滝の記号が描かれていた。
動画撮影直後、この切り通しで長めの休憩をとったのだが、その時に地図を見直して誤りに気づいた。

帰宅後に調べてみると、ここで見えた滝も、滝好きの人たちには結構知られた存在で、赤滝と呼ばれていることが分かった。
霧ヶ滝と一緒に訪れた記録がネット上に沢山あったが、遊歩道がある霧ヶ滝とは異なり、赤滝へ近づくのは簡単ではないようだ。滝の高さも60mくらいはあるらしい。

……といったところで、探索は軌道跡を歩き出した時点から、ちょうど1時間が経過。
距離のうえでもおおよそ半分を攻略したと思われるところで、後半戦のとっかかりとなる風景を前にして、ちょうどキリが良い。
風景も陽気もすこぶる良いこの尾根の切り通しでは、初めて長休憩をとることにした。

9:00 休憩開始!




9:07 (休憩中)

(←)休憩開始から7分後、まだ休憩中だが、発見があったのでこの動画を回した。
何か口に入れたまま喋っているので聞き取りづらいのは、我慢してくれ。

私は、たまたま腰掛けていた岩の下に、何か金属製の物体が転がっているのに気づいたのである。
その形は、動画の中でいじり回している通りのもので、正体は――?




(→)エンジンのパーツかなーと思っているが、どうでしょう。
なんのパーツだとしても、ここを走っていた機関車の一部だったら、素敵だけどなぁ。

このパーツの正体について、多くのコメントを頂戴しました。ありがとうございます。 やはり最も多いコメントはエンジンのパーツというもので、具体的には、ガソリンエンジンのシリンダーヘッドではないかというご指摘が多かった。
ただ、機関車用のエンジンとしては小型なので、集材機などのエンジンパーツという説が濃いようだ。



9:08 休憩終了!

後半戦に突入だぁー!