[4b-15] 緋色のマスターキー
捕縛されたガトルシャードは、トウカグラ署の特別留置室のベッドの上に居た。
特別留置室なる部屋は、普通の留置場では閉じ込められない者……たとえば、鉄格子を素手で折り曲げたり、鉄扉を蹴破れるような奴……を閉じ込めておくための場所だ。
この場合、ガトルシャードが特別留置室に放り込まれたのは、強さだけでなく『何者であるか』を警戒しての事でもあろう。
ひとまず一命を取り留める程度の手当がされ、≪
――役目は果たしたか? 果たせたのか……?
ガトルシャードは目が覚めてからずっと、気を揉んでいた。
あれから何分経ったか、いや、もしかしたら何時間か経ったのか。
予定通りに作戦が進まなかったとしても、最終的な目的を達成するために、己が役目を果たせたならいい。だが、それは成ったのか。最も危険な役目を自ら担った
今は祈ることしかできない。祈り縋る相手を、ガトルシャードは探していた。
――私は何に祈れば良い。父祖への誓いなどもう捨てた。では、邪神か? いや、私は敢えてダークエルフにならなかったのだ。私はただ、同胞たちを……
祈る相手は見当が付かぬまま、父や母、兄弟、今は亡き親友の顔ばかりが頭に浮かんだ。
だが、それほど時間も経たぬうち、ガトルシャードは異変に気付いた。
特別留置室は簡易ながら魔力を遮断する機構が仕込まれていて、外に居る人の気配さえ感じられない。だが、そんな部屋の中に、何らかの魔法のニオイが……魔法が行使された際の、余波としての魔力が漂ってきたのだ。
「……? なんだ? 何が起こって……」
どこか、近くで、誰かが魔法を使っている。それも強力なものを。
奇妙に思っていると、特別留置室の分厚い扉が、突然、ナイフで切り分けられるケーキみたいにバラバラになって崩れ落ちた。
「居た!」
深紅の宝石を削り出したような大剣を携えた、東洋系の少女が、そこに立っていた。
ガトルシャードはもちろん彼女を知っている。
『大富豪の愛人の娘』という役割を与えられた、器の少女、ホア……
即ち、彼女に憑依して操っている“怨獄の薔薇姫”、ルネだ。
「姫様……!? 何故このような場所へ……」
「もちろん、助けに」
ガトルシャードが驚いている間に、
嵌められていた枷が瞬く間に両断され、ベッドの下に無惨に転げ落ちた。
未だ傷の塞がらぬ身体が軋むのも構わず、ガトルシャードは己を強いて起き上がった。
「姫様、作戦は……? 作戦は成功したのですか? 私は役目を果たせず、このように……」
「エヴェリスとトレイシーは脱出中。
……わたしも、こちらへ来たばかりで全ては把握していないの。
でも、作戦がどうなったとしても、あの二人なら大丈夫。そして、二人が大丈夫なら、それは負けではないわ」
ガトルシャードの様子を見て、
「ちょっとごめんね」
「ぐっ!」
肉と骨が蠢いた。
ガトルシャードの肉体が捏ね回されて、傷を塞いでいく。
治癒の魔法だ。それも、魔力をたっぷりと消費する上等なもの。脂汗が吹き出たが、ガトルシャードは歯を食いしばって荒療治に耐えた。
「姫様御自らとは……かたじけない」
「立てる? ここは内向きにも外向きにも『狙いそらし』が掛かってるけど、外に
差し伸べられた手を思わず握り返し、ガトルシャードはこれが無礼・不敬でなかったかと危惧した。
次いで、その手があまりに小さく柔らかだった事に驚いた。この手はあくまでも、器となった少女のものであるのだが、ルネは同年代の娘ばかりを器として用意している。本物のルネの手も、きっと、似たようなものだろう。
悲劇的なまでに、脆く儚く力強い。
彼女のような者が、如何にして戦いに至ったか。
そして……そして彼女は、たかが駒の一つに過ぎぬガトルシャードにも、戦いの中で手を差し伸べ、救った。
ガトルシャードは震え、痺れていた。
「……無事で良かった。犠牲が出るとしたら、あなただと思っていたから」
しかし。
敬虔な聖女のように微笑んで、ガトルシャードの無事を喜ぶ
「姫様、何か……お変わりに?」
呆気にとられつつガトルシャードが問うと、
それから何故だか、はにかんだ様子でくすぐったそうに笑った。
「今、ちょっと邪悪さが足りないの。あと半日もすれば元に戻ると思う」
「はい……?」
「ただの貧血みたいなものだから」
「……はあ」
* * *
夜が明けて、深夜のトウカグラでの出来事は、ファライーヤ共和国で発行されている全ての全国紙で朝刊一面を飾った。
トウカグラの地下に隠されていた、ウィズダム商会の隠し財産。
それを盗みに入った何者か。
残された呪いと、犯行声明。そして次なる犯行の予告……
何もかもが世間の度肝を抜く出来事であり、出勤前にコーヒーを飲みながら新聞を読む国中の人々を驚かせた。
トウカグラの街に出張中だった警察官僚二人が、地下の魔力導線で破壊工作を行う不審なエルフを捕らえたが、これは即座に身柄を奪還された。
トウカグラ警察署に護送し、留置したものの、署内に居た者全員が魔法か何かで眠らされている間に姿を消したのだ。
第一報の段階では、それが何を意味するのかまで分析されていなかったが、少なくとも当の警察官僚たちは、犯行グループ(仮)に繋がる手掛かりを失ったことに苦い想いを噛みしめていた。
「あの金貨は、あの場所にこっそり存在してこそ最大の価値を発揮したわけです。少なくともウィズダム商会と、ナイトメアシンジケートにとっては……
ところが存在が公になり、どこかへ動かそうと思ったら神殿勢力の手まで借りなければならなくなった。あれだけの呪的汚染、
「そしたらウィズダム商会は、街を高く売りすぎた分の補填として、あの金貨を差し出すしかないんじゃない?」
ホテルの部屋で、マドリャはベッドに座ったまま、山のように積まれた昼食のサンドイッチを食べていた。
矢を受けた太ももには包帯が巻かれているが、既に傷は魔法で塞がっている。後は調子を取り戻すために食べるだけだ。
傍らの机では、マドリャに呼びつけられたスティーブが新聞を何紙も積み上げて、昨夜の事件の記事だけを切り抜いている。
機械的に手を動かしながら、スティーブは考えをまとめていた。
蛇が居ると思って藪をつついたら、ドラゴンがのっそりと這い出してきたような気分だった。
「ええ。あの金貨はもはや『政府が取るか、金貨泥棒に盗られるか』です。
一方でナイトメアシンジケートはウィズダム商会が真っ当に……ああ、あくまで裏の流儀で真っ当かどうかと言う話ですが、真っ当に金を払う手段が失われたと主張できるでしょう。用意された金貨が、受け取れないものになってしまった。
すると彼らは堂々とウィズダム商会の資産を解体し差し押さえ始めるわけですが、こちらは商売そのものは元より合法だったのですから、我々官憲の側から止めるのも難しい」
地下の隠し財産について全てを言い当てたスティーブの助言に、ウィズダム商会は従い、金貨泥棒に備えた。
彼らがどうするつもりかはスティーブにも分からなかったが、地下に隠していた生物兵器研究工房で、植物の魔物に金貨を埋め込んで促成栽培するというとんでもない奇策によって金貨の奪取を防いだのだ。
破れかぶれのデタラメな行動が偶然成果を上げたのか、もしくはウィズダム商会にも知恵者が居たのかは、ともかくとして。
だが、それに対して金貨泥棒たちは、想定外の置き土産で返報とした。
金貨におぞましい呪いを掛けたのだ。
これが何をもたらすか。
金貨の存在が明らかになっただけではなく、金貨を容易に動かせなくなった。
これはもはや
あの金貨が政府に接収される未来がスティーブには見えた。……盗まれなければ、だが。
一方でナイトメアシンジケートは、これでウィズダム商会はまともに金を払う能力が無くなったと主張できる。同じだけの金貨を別途用意する事などウィズダム商会には不可能だろうから。
そのため彼らは、不動産や事業、幹部の個人財産などを堂々と取り立てに行けるのだ。仁義を破った事にはならず、闇の商人たるナイトメアシンジケートの信用は傷つくまい。
「どうせ商会幹部は隠し財産を作って高飛びする気だったんでしょ。その資産をナイトメアシンジケートに取られたところで、大して変わらないわ」
「……問題が無いわけではありませんが、より重要な、対処すべき問題はそこではないでしょうね」
スティーブは慎重に言葉を選んだ。
金貨泥棒のやり口には、ナイトメアシンジケートへの配慮がある。それが不気味だった。
常人には使いえぬ、邪悪な呪い。
そして残された鮮血の薔薇……
これが何を意味するか、話題のオペラなど見に行っていないスティーブでも当然知っている。
「よりによって、“怨獄の薔薇姫”とは……」
「なんで東の果てからこんな場所まで来たのかしら」
「一つだけ確かなのは、オペラの
あまり上手い冗談ではなかったと、スティーブは言ってから反省した。
不審なエルフは姿を消した。
だが、その主である『自称・大富豪の愛人』は、未だにトゥーダロイヤルホテルの最上階に居るのだ。
彼女がそもそも何者で、今何を考えているのか……
流石にスティーブも己らだけで探ろうとは思わなかった。本庁の方針決定と応援を待たなければならない。
ともあれ、あの大量の金貨を狙っているのが魔物であるのなら、ますます渡すわけにはいかない。
トウカグラ売却の不当な対価をウィズダム商会から回収し、国庫に返納させ、市民の糧とすべきなのだ。
「失礼します!」
部屋の外から声が掛かり、扉がノックされた。
スティーブが作業を中断して出て行くと、廊下には警官が立っていた。
「ダドルヴィック警部、クロックフォード警部補。
署長からのご連絡です」
「ご苦労」
緊張した様子の若い警官に、部屋の奥からマドリャは悠然と声を掛ける。
相手が何であろうと、留置していた容疑者の身柄を奪還された(しかも即座に)のはトウカグラ署の失態であり、その点で頭が上がらなくなっているのだ。
貧乏籤を押しつけられ、連絡役にされた若い署員がちょっと気の毒だった。
「このようなものが、署に届いておりましたそうで、写しをお持ちしました」
折りたたまれた羊皮紙は、魔法によって文章を複写したものだった。
スティーブはマドリャの所までそれを持っていき、羊皮紙を開いて一緒に覗き込む。
『ウィズダム商会がオーナーである劇場・七星座にて、オペラ『怨獄の薔薇姫』は上演を拒否された。我らはこの不当な決定に抗議する』
文末には、薔薇の図案。
複写であるこの文章では黒々としたインクの薔薇だが、おそらく元は血で描かれていたのだろうと想像できた。
「………………は?」
「オペラの
メッセージの内容は理解できるのに、あまりにも今起こっていることの文脈から外れた内容で、二人はしばし、絶句した。
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