こんにちは。
今日は謎なタイトルを元にお伝えしていきます。
タイトルって難しいですね
さて、神仏のご利益って本来はどれくらいか、知っていらっしゃるでしょうか。
「本来は」ですからね。
カルマを換算せず、といった意味となります。
神仏は無から何かを生み出せるようなご利益は難しいらしいですよ。
つまり、数億円の所得がない人が、
「数億円手に入りますように」と祈っても、
なかなか叶わないのは、そういう意味です。
しかし、数億円を一度でも手にしたことがある人は、
このお願いが成就する可能性があります。
これは神仏のごひいきではなく、
願掛けをする人が「手段を知っている」からですね。
願掛けをするときは、この「手段を知っているかどうか」をぜひ思い巡らせてください
知っていたら、成就する可能性があります
そう、願望成就には、個々それぞれ差があるのです。
カルマや善行や運勢までも関わって来ますから
そこで
本来のご利益とは、どれくらいのレベルなのか、知りたくはありませんか。
例えば稲荷系(稲荷神と縁がある人)の人が、豊かさをご利益として受け取ったときには、こういった感じになります。
食べることに困らない。
これです。
大金が空から降ってくるわけではなく、収入がじゃんじゃん増えるわけではないのです。
※甘いわ…
「毎日、空腹感を感じられない程度には、食物が向こうからやってくる」
というわけです。
人からおすそわけがあったり、
物々交換で食べ物が手に入ったり、
細々と仕事が安定していたり、ですね
神さまからお使いを頼まれるときは、
そのお使いに見合った同等の金額が、別の方向からお礼としてやってきます。
わたしだったら、広島市〜出雲までガソリン代1500円くらい?←ハイブリッド
だったらその1500円が、どこからかやってきているはずです♪
ご利益とは、本来はこういったことなのです。
足るを知る、という言葉がありますが、
このささやかながら、食に困らない人生、
お礼として同額のものが返ってくる、
ということに気がつくのも、大切かもしれません。
一攫千金とか、
一発逆転などは、
その人のカルマと運次第、なのかもしれません。
※広島福屋の空中稲荷
そもそも、神仏への心願成就っていつからそんな流れになったのかというと…
過去の歴史を振り返ると、
外国から伝来した密教(真言宗や天台宗)を使って、
ガンガン願掛けをしていたのが、かの藤原一族です。
お前らか…
※失礼ですよ!
個人の利益をガンガン追求していくと、それ相応の代償が発生しますので、願いが全て叶うかたも、ぜひ、
試されているという気持ちでいてくださいね。
※閻魔大王
密教の教えって、悟りの世界に入るためのものなのにね…。
初っ端からこれですから。
もちろん心願成就の歴史も長かったりします。
神仏ってすごいんだわ。
現代では、すっかりご利益を得る手段になっておりますが、
心から神仏を敬うと、日常で平安を得ることができるようになりますよ
※出雲大社
さて、日本では神さまと仏さまは同一のもの、という独自の文化がございます。
これを神仏習合と呼んでいます。
神さまは縄文時代から、
仏さまは古墳時代に外国から入ってきたのですが、
昔はお坊さんが神さまの御祈祷をするのが当たり前で、戦後くらいまで神社でも合掌でした。
阿弥陀信仰が生まれたのは、平安時代の終わりに災害が多くなったからです。
ああ…
なんとなく分かりますよね。
今と違って国の保障もありませんので、
もういっそ阿弥陀如来にすがって、浄土につれていってもらおう!という教えだったのですね。
※阿弥陀如来
この流れを汲んで生まれたのが、鎌倉仏教です。
浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗、時宗などですね。
こちらは密教のような厳しい修行はいらないよ、という教えで、とても広く一般に広まりました
織田信長が苦戦した一向宗もそうですが、
本来願掛けが完全に叶うのであれば、信長公もすがったと思うんですよね…
しかし、信長公は排除の方向に動いてしまうのです。
信者の一致団結が、とても邪魔なものに感じられたのでしょうね。
つまり、信長公はものすごい業を背負っているはずです。
まだ生まれ変われていないはずですよ。
死ぬことを恐れないという浄土系の仏教は、戦争においては良し悪しになるのでしょうね…。
一方の神さまとは、全ての万物には神が宿るという考えです
これを、付喪神といいます。
そして、明治時代に神仏分離が行われたせいで、これに伴ってたくさんのお寺が廃寺になり、仏像が捨てられました。
これを廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)といいます。
日本の神道と仏教はとても相性が良かったので、今も神仏習合の名残が残っているところが多くあります。
名残が残る寺院は強力でしたので、ぜひ現在でも敬ってくださいね。
中国地方では、岡山の最上稲荷などがあります。
戦後の現代ではなんとなく、
結婚式→神さま
お葬式→仏さま
になってしまっていますが
このように、本来の神仏の存在というのは、お願いを叶えるものではなく、
一発逆転な豪快なものでもなく、
ささやかな日常が過ごせるように、見守ってくださっている存在なのです
「足るを知る」
わたしたち現代人が一番苦手とするものかもしれません。
だから、
もしかしたら…
もう願いは叶っているのかもしれないですよ