ACT7 藍色の拳

「受けていた依頼、ね」

 ギースが請け負っていたモンスター退治の依頼にレドたちが付き合う流れになったのはむしろ当然だった。途中でキャンセルすれば違約金が発生するからであるし、信頼問題にも関わる。流れとはいえ傭兵であるギースにとって、この信頼は男の沽券にも関わる重大なものだった。

 昨晩の男湯で起こっていた湯浴み覗き攻防戦の苦労など知らない女性陣と、疲れつつもゆっくりと眠っていられたレドたちは朝早くに起きて食事を済ませ、クラムの旅装を整えてから、ルエズ市南のジュネオ山岳へやってきていた。

 ゾイルのフォニアに乗っているクラムの格好は軽装である。急所などを守るのは星霊金属プレートで、その下には黒い革鎧と布鎧。防寒用であり、防風防塵、またあるときはタンカにも暖を取る道具にもなる黒いコートを着させている。

 レドたちも昨日の収入で装備を変えており、武器以外はより良いものへ更新していた。レドとラウスは速度重視のアタッカーであるため、やはり軽装だ。仕立て直してもらった装備に身を包んでおり、レドはクラムの無言の圧力でお揃いの黒い色合いに、ラウスは白っぽいコーディネートだ。シオンの場合はそもそもが上位装備であるミスリルなので装備の更新の必要がないし、おまけに神官なので尚更変える必要もなかった。ギースは星霊金属の中でもレアな、赤みを帯びた鉱物を用いた鎧で、とりあえずはレドとラウス、そしてクラムの装備を整え直した、という具合である。

「ここいらでヴァルガオルグが出たっていうんだ」

「キルウィス森林でもたまに見るやつだな。暗い、灰色っぽいような黄ばんだ毛皮の、小鬼みたいなのだろ」

 レドがそういうと、ラウスが頷く。

「そういやいたな。寒い地域には少ない種類だ、ってんで大騒ぎだったな。女どもを地下へ逃がせとかって。まあ、ラヴィオのジジイが一人で暴れ回って始末してくれたけど」

 レドは手首を回した。グローブの具合は悪くない。何度か掌を閉じたり開いたりする。

拳闘士モンクってやつか? 徒手格闘だけなんて、人間相手でも相当に困難だと聞くが」

 もっともな疑問を抱くギースに、レドは「見ればわかる」と答えた。

 山麓部の豊かな緑が生い茂るそこで、五人と一頭は注意を巡らせる。ややあって、彼らはわかりやすい痕跡を見つけた。レドが指差すそれを見て、ピンときた顔をするラウスとギース。

 石だ。その表面が土に汚れ、湿っている。

 恐らくはあの辺を通った際に石がひっくり返ったのだ。そしてそれが乾いていないということは、石が裏返ってそれほど時間が経っていない。今日は雪は降っていないし、溶けた雪水で湿ったわけでもないのだ。

 静かに短剣を抜くラウス。その目が細められ、レドも拳を握った。左腕を前に、右腕を後ろに引く。左半身を前面にして半身になると、それはラヴィオがよく行っていた戦闘態勢ファイティングポーズそのものになった。クラムが「いる」と呟いた。

 間をおかずシオンが尖った耳をぴくりと動かし、上を見上げた。レドもラウスも、ギースも気づいていた。

「あそこです!」

 彼女は言うや否や法術弓に光の矢を形成し、放つ。ピシュッ、と放たれた閃光が樹上のヴァルガオルグの右肩を抉り、墜落させた。すぐ目の前に落下してきたそいつの頭をレドが殴り潰す。その拳には、藍色の魔力。

 ヴァルガオルグは数体でグループを作って狩りを行う人型モンスターであり、その大きさは一四〇センチから一八〇センチほど。獲物はなんでもいいが、人間も食べる。そしてこいつらが忌み嫌われる理由の一つが、人間の女を孕ませることだ。短い妊娠期間に次々とヴァルガオルグを産ませ、ほとんど輪姦に近い形で妊娠と出産を繰り返すため、捕まった女性はあっという間に死ぬし、生き延びてももう、真っ当な社会では暮らせなくなるほどには心が壊されている。

 ゆえに大陸全土でこいつらは嫌われており、有害駆逐指定種として認定されるモンスターとして知られていた。シオンの、どこか憎悪するような嫌悪感を浮かばせた顔も無理はない反応だろう。

「あれは……」

 レドの魔力を見てギースが思い当たるものがあるような顔をしたが、気持ちを持っていかれないよう目を細めて大剣を抜く。一五〇センチ近い刃渡りに、幅の広いそれ。重量など押し測るだけ無駄。大きく重い。それだけは確かで、そしてそれだけわかればいい。

 人狼族ウェアウルフ人虎族ウェアタイガーは獣人系種族の中では極めて身体能力に秀でた種だ。筋力、敏捷性、タフネス──そして優れた五感。ギースもまたそれを遺憾なく色こく受け継ぎ、大剣を腰に引いて踏み込む。

 低木をかき分けて出てきたヴァルガオルグへ突貫し、大気を打つ雄叫びと共に大剣を一閃。薙ぎ払われたそれが三体の胴体まとめて切り飛ばし、血飛沫を舞い散らせる。上から落下し、奇襲を仕掛けてきた個体へラウスが飛びかかった。さながら獲物を前にした虎そのものの獰猛さだ。腹を空かせた獣がそうするように、ラウスは爪の代わりに短剣を閃かせて、その切っ先を喉と側頭部に突き立てて押し倒し、すぐに抜いて飛び退る。

 レドの右拳の藍色が濃くなり、ざわつく低木の向こうの唸り声へ、あろうことか数メートルもの間合いがあるにもかかわらず右の拳を捻り、打ち出した。

「〈崩月榴砕拳ほうづきりゅうさいけん〉!」

 直後、数メートルもの間を不可視の衝撃波が駆け抜けた。ボッ、と音を立てて衝撃波が駆け抜けて腐葉土を抉り、藪を吹き飛ばす。巻き込まれた二体のヴァルガオルグが転がって、ラウスの短剣とシオンの矢がそれぞれにとどめを刺した。

 ゾイルじょうのクラムが周囲を見渡して、「レド、もう気配はない」と口にした。

 すーっと息を吐いて、もう一度吸う。それからまた吐き出すと、自然と藍色の魔力が薄くなって消えた。

「まだ精度が甘い」

 レドがそう言った。ラウスがナタを抜いて、死んだヴァルガオルグに刃を差し込みながら言う。

「ラヴィオのジジイ、鋼鉄に大穴開けてたしな」

「パンチで、ですか?」

「そう。レドが言ってた。あの変わった魔力の拳で、鋼鉄の板を何枚もぶち抜いたってよ。武勇伝で聞かせてくれたけど、若い頃は大型のモンスターを捻ったり、ゴーレムを一撃で粉々にして消し飛ばしたらしいぞ。さすがに、嘘だと思うけどな」

 気が遠くなるような話だ。独特な魔力があるとはいえ、それでも拳で鋼板を何枚も貫くなど人間業ではないし、まして大型モンスターを捻るように倒す、ゴーレムを粉砕などあり得ない。

 ギースはやはり、さっきの魔力と拳打にどこか思い当たるようなものがあったが、思い出せない。そんな馬鹿げた話を聞いた覚えもあるが、噂を耳に挟んだ程度だったのかどこでどう聞いたのかも曖昧だ。歳はとりたくないな、と自嘲して大剣をフックに引っ掛けてナタを抜く。

「村でも、こういうことをしてたのか?」

 解体作業をしながらギースがレドに質問した。

「ああ。師匠が仕事をもらってきて、その手伝い。休んでればいいのに、弟子の出来を見るんだとかなんとかって。ラウスはときどきついてきてた。ラヴィオのジジイは、ラウスの親についても知ってたし、多分ほっとけなかったんじゃないかって」

「そっか。……そのラヴィオ、って人は強かったんだろうな」

 ラウスが答える。

「強いなんてもんじゃないさ。ときどき山賊や、魔術師くずれが村にくるけど……そんな無法者を、それこそ剣や魔術を前にしても格闘術だけで黙らせてた。あのジジイの藍色の魔力は攻撃を防いで、それどころか魔術も弾く。なんかの術式だと思ったけど、違うってさ」

「ああ。身につけた俺だからわかる。……疑うわけじゃねえけど、言わないでもらえるか?」

 事情を知っているラウスはまだ大丈夫だ。シオンとギースは重く頷いて、クラムは「レドのお願いなら、大丈夫」と応じる。フォニアもそれに応じるように鼻を鳴らした。

 意を決して、レドは藍色の魔力の正体を明かした。

「これは魔力と気力を練り込んだものだ。ジジイは妖力、って言ってた」

「妖力……ですか?」

「亜人のことを極東では妖怪とも言うんだけど、その妖怪が持つ独特な力が妖力ってものらしい。ジジイはなぜかそれの扱い方を知ってた。俺が受けた修行は骨の構造が変わったり、内臓の位置が入れ替わるような怪我まで負ったものだけど、それは全部この力を物にするためだった」

 ヴァルガオルグの毛皮を剥いで、角を抉り取る。

「ジジイは死に際、この力は闇に葬るつもりだったって言ってた。使い方を間違えれば、大量虐殺さえ可能になるから、って。どうしてそんな力を俺に教えたのかは言わなかった。でももしかしたら、俺がランドルフの生まれ変わりだったことに……気づいていたのかもしれない」

「宝珠を持ってたのもラヴィオのジジイだったもんな。なくはない、ってとこか」

 思い返せば、自分はラヴィオについてほとんど知らない。

 どこからきて、なんの目的でキゥス村を終の住処にしたのかも。レドを弟子にしたのは孤児という存在に見かねたのかもと思ったが、今にして思えばそれも少し違う気がする。それこそラヴィオも、世界変革について信じていて、そしてレドがそれに巻き込まれると察したのかもしれない。だから稽古をつけ、この力を授けたのだろうか。……いや、それは流石に考えすぎだろう。けれどなんにせよ、この力は悪用してはならない。ラヴィオの顔に泥を塗ることになる。

「俺の出自もそうだけど、あのジジイのこともよくわかんねえんだよな」

 結局のところ、あの老人は何者だったのか。

 レドはいつかそれを解き明かそうと、胸の奥で誓った。

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