ACT4 輪廻の果て

 拳を握り込む。あまり力ませずに、ナチュラルに。ゆったりと余裕を持ち、何度か握り直して具合を確かめた。黒いインナーグローブと、灰色のフィンガーレスグローブの二重構造で保護されているとはいえ、硬いものほど脆いのは金属も人間も同じ。粘りと柔軟性をそこに両立させねば、自壊する。素人の喧嘩で、殴った側の拳にあざができるのは、力みすぎた自爆であるとすら言える。

 数回、うっすらと積もる雪を踏んで軽く跳んだ。

 隠れ家を出て二日、一月三十一日の日曜日。午前中。既にキルウィス森林を抜け、南のデイワーズ山岳へ来ていた。雪が比較的少なく──標高が高いところは雪の冠が威光を放つものの──歩きやすい。岩がちな痩せた地形に、細い木々と草花が生えている。流れる滝や川が流れ着く山麓は多少なりとも生い茂る草木に覆われており、人間の村はもちろんだが、原住生物や、そしてモンスターもいた。

「ははっ、久々だぜ。でも知ってるか? 百獣の王のライオンより、実は虎の方が強いんだぜ」

 黒い縞模様が印象的な白い尻尾を揺らすラウス。小さい頃、「もふもふしてるのかな」と何気なく触ったら突然触れたのもそうなのだが、どうもレドが思った以上に力を入れてしまったらしく、彼は「ぎゃぁあああああ!!」と悲鳴を上げていた。

 そんな奴が啖呵を切っても……と思いつつ、茶化さずにレドは首を回した。ラウスは意外と根にもつ。

 前方にはヴォルイエナというハイエナのようなモンスター、その群れがいた。

 黄色と黒のまだら模様で、鼻先からマズルの部分は黒ずんでいる。狡猾そうな目つきでこちらを見据え、威圧するようにじりじりとにじり歩く。しっかりとした骨格にしなやかな筋肉を毛皮で覆い、その全長は個体差があるものの、大きいもので一五〇センチほどあった。体重は、多分二〇キロから三〇キロ台半ばと思われる。

「神官様は、不殺主義、だっけか?」

 ラウスの挑発的な問いに、シオンは首をゆるく左右させた。

「迷える魂には救済を。神界にせよ冥界にせよ、導いていく。それが我々の教義です」

 法術弓を抜く。弓柄の中央に円があり、あそこで法力を矢に変換し、放つのだとこの旅路の間に教えられた。

 レドの両拳と足に、藍色の、通常はうっすらとした水色であるはずの魔力が灯る。この濃さは、ただの魔力ではないとラウスは知っていたし、シオンもなにか別種のものだと察した。けれど、知識にはなかった。あの濃い魔力と思しきエネルギーは、どこか違って見える。

 一陣の風が吹き下ろされ、レドは「ふっ」と短い呼気を漏らして踏み込んだ。ビスと金属板を仕込んだブーツの底が地面を踏み砕き、特別な魔力で強化されたレドの速力が彼の肉体を二歩で最高速度へ導いた。

 下段から擦り上げるような右のアッパーがヴォルイエナの下顎を打ち据える。人差し指と中指の拳骨がハイエナ型モンスターを打ち上げ、そいつはその一撃で白目を剥いて地面に叩きつけられて絶命した。牙は粉々に砕け、鼻も潰されており眼球も破裂。頭部の穴という穴から、どろどろした黒ずんだ血が溢れている。

 警戒、そして迎撃を指示する咆哮。残る六体のヴォルイエナが攻撃態勢に移る。威嚇と威圧から行動へ。いざという時のため、黒ゾイルのフォニアは隠れているが、仮にもゾイルもまたモンスターだ。多少の、馬とは比較にならないくらいの自衛はできる。

 ブゥン、と音がしてシオンが法術弓の見えない弦に光の矢をつがえる。輝くそれを放つと、閃光が突き抜けてヴォルイエナの一体、その額を撃った。ドスッ、と突き刺さった白光が喉から抜けて、脳味噌を貫かれたそいつはふらりと歩んで倒れた。散開したモンスターたちが波状攻撃を仕掛けようとするが、ラウスが短剣を逆手に二本抜き、素早く包囲を崩す。

 両手を広げて抱き締めるようにして短剣を左右から頭部に突き刺したラウスは、すぐに短剣を抜いて屈む。真上を飛んでいったヴォルイエナをレドの蹴りが打ち抜いて頭部を粉砕、左右に回っていたモンスターを互いにすれ違いざま、拳と短剣で打ちのめす。

 シオンは二人の連携に舌を巻きつつすぐに次の矢をつがえて、己に迫っていたヴォルイエナの胸を穿った。真っ白な光の矢が背中から抜けて鮮血を噴き出させながら、モンスターを絶命させる。

「この程度の雑魚じゃ、俺らの敵にならねえな」

 自信満々にラウスが言った。布で短剣の血と油を拭って、細いバターナイフのようなものでフラーに溜まった肉をこそげ落とす。

「油断を──」

「──するな、だろ、レド。わかってるっての。……さっさと皮なり剥いでいこうぜ。売れるしな」

 レドとラウスは腰の鉈を抜いた。藪を切り払ったり、獲物を解体する際に使うものだ。シオンは眉根に皺を寄せつつも、自分も鉈を抜いた。星霊神への祈りとして、十字剣を携えていた星霊神にならうよう十字を切ってからヴォルイエナの皮を剥いでいく。

 手慣れているのはラウスで、次に僅差でレド。シオンは知識と経験はあっても、どこか嫌悪感を感じてしまうせいで手際が悪い。グロテスクだというのももちろんだが、なにか悪いことをしてしまっていると、そう感じてしまうのだ。だがそれでも、こうして命の証を手にせねばならない。いたずらに、ただただ無意味に命を奪うことはただの外道の所業だ。それはレドたちもわかっていた。師匠であるラヴィオがそう教えていたからである。

 食べるにせよなんにせよ、命を奪った事実は変わらない。その命を無駄にせず、そしていつかは自分たちも別の命の糧になることが、世界の真理である弱肉強食という、絶対不変の掟だった。

 ヴォルイエナの皮などを畳んで、黒ゾイルのフォニアが身に帯びる袋へしまう。

「今日中には村に着くんだろうけど……本当にお尋ね者になってたらどうしような」

「レド、そういうの言霊が宿るフラグが立つからやめろ。極東の教えってやつらしい」

「知ってる。そもそもそれをお前に言ったのは俺だろうがよ」

「そうだっけ?」

 言い合いながら、その背中をフォニアの背に座って眺めていたシオンは微笑んだ。なんだかんだで仲がいい。育ちや環境はさておき、まるで兄弟のようでもある。底抜けに明るいラウスという兄と、どこかすれた弟のレド、というような。

 岩がちな土地を靴底と蹄鉄で踏み締めて進むと、脇に洞窟が見えた。かなり大きく繰り抜かれている。人工物ではないだろうが、モンスターが掘ったようにも見えない。天然の、恐らくは溶岩が通った後だとか、そこが風化したとか……そういう類だろうか。

「なんか、お宝でもあんのかな」

「小説の読みすぎだ、ラウス。そんな都合のいいことあるわけねえだろ」

「夢がねえなあ。……覗くだけ覗こうぜ」

「もう……ったく」

 フォニアも余裕で通れる広さだ。レドは呆れつつ先頭に立って、真ん中にフォニアに跨るシオン、もっとも重要な後ろをラウスに任せる。

「発光魔石……魔力脈が通ってんのかな」

「どうだろうな。レド、ランタンつけとけ。……なんか、変わった匂いがするんだよ」

 シオンが問う。

「山賊ですか?」

「違う。よくわかんねえ。嗅いだことがないんだ、これ。なんのにおいだ……? 敵意とか、殺意とか……それとは違う」

 レドは警戒を強くした。ランタンに、押しつけると着火する発火器という魔道具で火をつける。

 ぼんやりと照らされる洞窟。幻想的な、うっすらと青い輝きを放つ魔石。レド自身も、ここには敵意がないことは察していた。奇妙な場所、という認識がラウスと合致し、警戒心と冒険心、探究心が湧き上がってくる。

 何かがどこかでおかしい。理由はわからないが……けれど、これは、

「懐かしさ……?」

 レドの独白にラウスが問う。

「懐かしい? なんで」

「わからない。でも、なんとなくなんだ。なんとなく、そう感じる」

「川で拾われたのですよね? 洞窟ではなく」

「ああ。司祭様が言うには。嘘か本当かは知らねえけど。ひょっとしたら、ほんとはこういう穴ぐらで見つけられたのかもしれねえな」

 しばらく進むと、通路は狭くなり、やがて小部屋に行き着いた。

 藁が敷き詰められた、鳥の巣のようなものがある。そこに、黒い影が丸くなっていた。

「………………」

 レドは慎重に、恐る恐る近づく。

 そこにいたのは、レドと同じ髪の色──藍色の……。

「なあ」

 声をかけると、綺麗な黒いまつ毛に閉ざされていた瞳が開く。そこにはスリット状の黒目と、薄桃色の虹彩。

 どこかで、見たような。……でも、どこで? 顔も名前も知らない。なのになぜ、こんなにも懐かしいのか。

「ランディ……? いえ、違う。……私はクラム。あなたの……名前は? 綺麗な、あの人と同じ青い目……」

「目……? ああ、俺はレド。レド・ブラックバート」

 女は微笑む。

「そう。あなたが、私の伴侶なのね──レド」

「は……?」

「よかった、やっと会えた。私はあなたの伴侶。あなたのご先祖様と結ばれたいと願い、この姿に転生した竜王の子孫。竜の姫、クラム。あなたも知っているはず……ラプレという竜を」

「竜王だろ。初代国王の、竜……だっけ?」

 女は──クラムはゆったりと起き上がる。黒いイブニングドレスから、真っ黒な二対の羽根が生えそろう翼が伸びる。

「あなたと私は、輪廻の果てに再会したのね。やっと……やっと。長い、長い八〇〇年だった。ただ独りだけの八〇〇年。ねえランディ、今度こそあなたと過ごしたい」

 両手がレドの首に回される。翼が背中を包む。

「手放さないわ。もう、二度と」

「待て、待ってくれ。なんのことだ」

 慌てて手を払いのけて距離を取るレド。クラムは寂しそうに微笑んだ。

「私が怖い? 私が嫌い?」

「そうじゃない。混乱してるんだ。……俺はレド。ランディってやつじゃないし、ラプレはとっくに死んだだろ」

「そうよ。ランディも、かつてのラプレも死んだ。けれどあまりに強い後悔と未練が、輪廻の渦で転生を繰り返し、今ここへと顕現した」

 そうして、クラムは言った。


「あなたは、ランドルフ・コルネルスの生まれ変わり。そして私は、竜王ラプレの生まれ変わり、その子孫」


 生まれ変わり……? 俺が、初代国王の……?

「意味がわからない。……証拠は?」

「今はまだ。けれど、十二個ある竜王の涙を集めれば、それが確定する。揺るがぬ証拠が現れるわ。これを見て、レド」

 豊満な乳房の谷間から、竜王の生まれ変わりだというクラムは桃色の宝珠を取り出す。

「あなたも持っているわ。これと同じ竜王の涙を。竜王を統べるに足る、蒼穹の竜王ラプレが流した涙を」

 胸元から、レドは青い宝珠を取り出した。するとそれが僅かに輝く。ぷつん、とクラムの宝珠の紐が千切れて、桃色のそれがレドの宝珠に吸い込まれた。

「ほら。それが蒼穹の涙の証。全ての涙を受け入れる、空の王者の涙なの」

 これが、宝珠の正体。ユスフが言っていた竜王の涙の話は嘘ではなかった。

「あなたの出自は、私にもわからない。けれど、ランディの生まれ変わりというのは確かよ」

 ラウスとシオンは顔を見合わせていた。話している言葉、その単語や言っている内容は理解できる。けれど、どこか別の次元の、概念が異なる世界の会話にも思え、口を挟めなかった。

「連れて行って、レド。私を導いて。私もあなたを導く。竜王の古の玉座へ」

 手を広げるクラムがゆっくりと近づいてきた。

「初代国王は、最後はラプレに食われたと聞いた」

「ええ」

「どうしてだ」

「誰にも奪われたくなかったから。一つになっていたかったから。そしてそれは、他ならないランディが望んだことよ」

 クラムの顔が目の前にあって、甘い吐息がかかる。

「やっと、見つけた。私のレド」

 柔らかな唇が、レドの口に押し当てられた。レドは戸惑いながら、けれど抵抗はしなかった。

「もう、手放さない」

 どこか昏い声で、クラムはうっとりと微笑みながらされるがままのレドを強く抱き締めるのだった。

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