ACT3 旅立ちの朝

 コルネルス暦八二四年 一月二十九日 金曜日 午後十四時二十三分

 コルネルス連合王国東部 ドワレベス地方 カルドア領── キルウィス森林中部のキゥス村 その教会にて


「くそっ、いない!」

 神官の一人が怒鳴った。もう一人の若い神官も怒鳴る。

「やつら、シオン様を唆して脱獄したんだ!」

 教会の礼拝堂で、新たな司祭となった老齢な男と聖騎士アルト、そして高い法力ほうりきからアルトの側近になったリジュイを囲んで元からいた神官やアルトが連れてきた神官たちがそう言っていた。

「手がかりは?」

 アルトの低い声に、怒鳴り合う神官は黙り込んで、一人がおずおずと口を開く。

「それが……抜け穴がありました。裏手の小屋に続いておりまして、そこから出たのだろうと。けれども、その先が……」

「ふん。司祭様を殺し逃亡。このような凶悪犯がのさばっているなどと知られればいらぬ混乱を招く。内密に我々で捕縛する。最悪、殺しても構わん」

 冷たい目でアルトがそういった。彼の薄緑色の目には確かな殺意と、義憤の炎が見えていた。

「周辺を探せ。この吹雪だ。命知らずの馬鹿でなければ、村のどこかに潜んでいる。いいな」


×


 その日の夜。時間は午後七時半。外はもう真っ暗だ。

 隠れ家のテーブル──木箱にクロスを乗せただけのそこにはカードが置かれ、ポットには硬貨が数枚。

「どうする?」

「この手札で行く」

 挑発的なラウスの問いに、レドは頷いた。彼の自信のなさから、ラウスは恐らくはブラフをかけているだけでブタだろうと踏んだのだ。

「ツーペアだ」

 投げ出された手札。レドは鼻息をついて、

「スリーカード」

「は……? お前っ、無表情でまた……。クソ」

 ポットに置かれていた小銭を全てレドが掴んで、財布に入れる。

「賭け事なんて……全くもう。お金の無駄でしょう。やめたらどうですか」

 シオンは呆れ顔である。一時間半ほど続いた彼らの勝負はそれを最後に終わった。レドはビールを煽って、体を温める。

 床の覗き穴からラウスが地上を見ていた。

「雪は相変わらずだな。レド、どうだ?」

「昼間見た感じ、明日は多少は雪が収まりそうだとは思う」

「なら、明日出発で──」

 唐突にラウスの言葉が途切れ、レドは疑問を持った。

「なんだ、ラウス。神官か?」

「違う、行き倒れだ。ゾイルもいる」

「商人か? 見てくるか?」

「罠かも知れねえだろ。……慎重にいくぞ。シオン、お前は一応ここにいてくれ」

「え、あ……はい」

 レドとラウスはコートを着込んで降りた。静かに梯子を垂らして、吹雪く中下へ。雪に埋まっていないと言うことは、ここで倒れて間もない。

 呻くそいつは、見るからに行商人だった。大きなリュックを背負い、震えている。あまり悠長にはしていられない。レドは彼を背負って、ラウスは山羊のような角が生えている馬──ゾイロヴァルという人間に対し中立、もしくは友好的であるモンスターの一種に「助けるだけだ」と言った。馬もゾイロヴァルも賢いので、人の言葉を覚えることがある。そのゾイロヴァルは二頭おり、芦毛と黒毛の両者は訝しみつつも手出しはせず、冬毛の体毛と尻尾を揺らして頷くような仕草をした。

 背中に男をおぶって上に行き、ラウスは周囲を警戒しつつ後に続く。梯子を巻き上げ、基地へ。

「変な匂いはしなかった。普通に行き倒れただけだろうな。シオン、お前の毛布も貸してくれ」

「はい、すぐに」

 ラウスは一段目のベッドに男を寝かせ、ありったけの衣類と毛布をかぶせる。幸い、重度の凍えではない。ややあって、男がうっすらと目を開けた。

 きょろきょろと周りを見て、レドたちを見る。

 歳は三十半ばくらいか。種族は人狼族で、無精ひげが散った口元。細身で、精悍な顔立ちである。

「君たちは……」

「ネメシス怪盗団。……ってのはさておき、ただの悪ガキと神官だ。追い剥ぎじゃない。あんたは?」

 ラウスが問うと、男は「横になったままで済まない」と謝ってから自己紹介した。

「僕はユスフ・ウィーズ。見ての通り、旅の商人だ。そこのリュックには商品があるんだが……恩返しでできるのは、それをいくつか送らせてもらうだけだ。全部は流石にね」

「なら、商品じゃなくてゾイルが欲しい」

 ゾイルとは、ゾイロヴァルの略称だ。ユスフは薄く微笑んで、

「芦毛の子は父の知り合いからもらった子で、譲れない。黒毛の子ならいいよ。彼女は若いゾイルで、言い方は悪いが、あまり手放すには未練がない」

「わかった。ならもう、あとはいらない。ラウス、お前は」

「ゾイルだけでデカい収穫だ。あったかい食いもんがねえんだけど、腹減ってんなら少しは飯を出せるが」

「ぜひ、何かもらいたいかな」

 木箱を開けて、ラウスはドライフルーツの類を取り出す。それから、砂糖漬けの木のみなども。

「レド、そっちの干し肉。あとはビール」

「ああ。シオン、法術は?」

「使えます。ユスフ様、失礼します」

 神官であるシオンが両手に白んだ輝きを灯し、ユスフに近づける。

「温かいね。なるほど、これが法術……。随分訓練されている。淀みがないし……ひょっとして、高位の武装神官かい?」

「まだ、高位ではありませんが、武装神官です。あとこれは温めていると言うよりは、血行をよくしているだけです。あの、あまり力まないでください」

「いや、すまない。……しかし、腰も楽になるんだね、これ。助かるよ。三十五を越えてから、腰がどうも」

「腰痛にも確かに効果はありますから。もっとも、根本的な治療には至りませんよ」

 そうして食事を用意する頃には、ユスフは起き上がれるようになっていた。

「ありがとう。……本当にありがとう。八大星霊神と、君たちに感謝を」

 テーブルの上の食事に手を伸ばし、「まともな食事なんて、何日ぶりか……。いただきます」と呟きながら合唱し、すぐに手を伸ばした。よほど腹を空かせていたのだろう。咀嚼し、飲み込み、「美味いな」と漏らす。

 レドは外を見て、ラウスに言う。

「幸い、気取られてない。ゾイルは近くの小屋だろうな」

「ああ、ありゃあもともとあった廃屋だ。あそこからここの内装を取り繕ってんだ」

「廃墟でも、勝手に入るのはまずいんだろ」

「盗賊に法律を持ち出すな。掟、ってのはあるけど」

 虎の嗅覚で、窓から顔を出すラウスの鼻がひくつき、耳がぴくぴく踊る。

「変な匂いも不審な音もしねえ。追手は問題ねえだろうよ」

 食事をしていたユスフの眉が僅かに上がった。

「まるで、お尋ね者みたいな会話じゃないか」

「実際、私たちはお尋ね者です」

「それは、どういう……。何があったんだい?」

 乾燥させたオレンジを飲み込んで、ユスフは三人を見た。どう見たって十代の少年少女だ。この国には──いや、アルストランド大陸には明確に何歳以上から大人という定義はないが、それでも彼らを少年少女と呼ぶのは間違いではない。そもそもそんな定義、人によって変わる。少なくともユスフにとっては彼らはまだ年端もいかない子供だった。

 ややあって、レドが口を開く。

 昨日から今日にかけて起きたことと、シオンとの出会い。現在のキゥス村の様子、司祭の死と不審な遺言を伝える。

「聖騎士ではない聖騎士、か……」

 ユスフは顎に手を当て、目を細める。

「そうだね。……恩人に死んでほしくはないし、僕が知っていることについて少し話すよ。サービスとして、一つの個人的な意見として聞いてくれるかな。

 ……星十字聖教会が信仰する八大星霊神。その星の神々の中には数えられない、真っ黒な九柱目の星霊神がいるんだ。それは永遠なる闇夜をもたらすとされ、その闇は少しずつだけれどこの世界を支配しようとしている。星十字聖教会はそれを食い止めるため、少し強引な手段を取るようになっているのさ。

 ここ十二、三年でね。もちろん全ての教会がそうだとは限らないし、過激なのはごく一部。恐らくその聖騎士は過激派で、司祭様とそりが合わなかったんだろう。体良く君らを犯人に仕立て、真犯人が見つかった時に困らないよう、こっそり司祭様を始末しようとした、という感じじゃないかな」

 そう言われると、筋が通る。

 あの司祭は少々古い考えを持っていた。悪い部分も見受けられたが、いい意味でも旧態依然としていたのだ。そしてアルトとかいう聖騎士は若く、まさに過激な思想を持つ急先鋒と言える雰囲気であった。

 それほどの推理を、ただ他人の口から聞いただけで組み立てられるユスフもまた謎だが……けれどこの推論には、妙な説得力があった。

「ミスリルの指輪は、下手に売ると足がつく。僕でよければ物々交換になるが、買い取ろう。いい盗品商人を知っているから捌ける」

「キゥス村のやつらに見つかったら、俺らの足がつく」

 きつい目つきで、ラウスが言った。ユスフは微笑んで、

「僕はこれから東のクルゼム領へいくんだ。北のキゥス村には向かわない。危険だと分かっていれば尚更だ。そうだ。この符牒を知っているかな」

 盗品の取り扱いにも詳しいユスフは、胸元から一枚の布を取り出した。そこには短剣と狼の意匠が描かれていた。ラウスが「盗賊のシンボルだ」と呟く。

「そう。この符牒がどこかに刻んである店は、盗品を買い取ってくれる。盗賊の正式なギルドの認可が降りているからね。こういった存在は必要悪と言われていて、神官のシオンさんには受け入れ難いだろうけど、社会を成り立たせる上では必要なものなんだ。もっとも、僕は掟破りな盗賊を騙る外道の肩は持たないけど」

「あんたがそれを持ってるってことは……」

「盗賊ギルドと繋がりがある、ってことさ」

 シオンは少しの嫌悪を抱いた。けれど、彼の言わんとすることには一理あるし、理解もできる。教会にも汚職はあって、そういった根回しで成り立つ部分があることくらい知っているからだ。若い女神官の中には明らかに力不足な者がいるのに、いい事務職についているやつもいて、そいつらは往々にして「少しの休憩」と言って、司祭の部屋に消えることがある。男の中にも、そういった休憩を取る者もいた。女同士、男同士──それが罪ではないが、体を武器にする若手もいれば、それを求める上役もいる。正当な評価だけで成り上がれるものはごく僅かだ。自分はその正当な出世を目指していたが、今やお尋ね者である。

 微笑むユスフはリュックに右手の指輪を近づけた。すると紐が緩んで、彼はその中から雑多な商品を並べる。

「どうかな。ミスリルを譲ってもらえたら、旅の役に立つものと交換するよ」

 断りがたい申し出だった。

 レドとラウスは内ポケットに入っていたミスリルの指輪を渡す。そのとき、弾みで青い宝珠がちらりと顔を出し、ユスフの目が細められた。

「レドくんのその宝珠……。いや、まさか……」

「なんか、知ってんのか?」

「ああ、いや……。実在を疑われるものだけれどね。……竜王の涙、と呼ばれる宝石の一つが、そんな綺麗な青色だったと思っただけさ。初代国王、ランドルフ・コルネルスに仕えた竜王ラプレと、その兄弟姉妹の涙の結晶だよ」

 この国が竜の力添えで成り立っていることは知っている。だからこの土地では竜は高貴で神聖な生物とされているのだ。

「ああ、済まない。さあ、商売の話をしようか、ネメシス怪盗団の皆さん」

 ユスフは人のいい笑みを浮かべ、両手を広げた。


×


 翌日の朝。太陽はまだ少ししか顔を出していない。曇天の薄暗い空はまだ暗く、ユスフは人懐っこい笑みを浮かべた。

「本当に助かった。この恩は忘れない。……次に会えるのはいつかわからないけど、今度は僕が助けになれるよう尽くすよ。メディ、フォニアへ少し、お別れを」

 メディと呼ばれた芦毛の馬型モンスターのゾイロヴァル──ゾイルは、黒い毛のゾイルに鼻先を押し付けて、山羊のような角を擦り合わせた。

「フォニア、この子たちは僕と同じか、それ以上に優しい子だ。いい子にするんだ。いいね?」

 フォニアという黒ゾイルはぶるる、と鼻を鳴らし、頷く。

「ユスフ、ありがとう。正直、疑ってた」

 レドは素直に本音を言った。彼はまたしても、笑う。

「仕方ないさ。でも、君は本当にポーカーが強いね。ここまで負けたのは初めてだ。是非、リベンジしたい」

「次も、稼がせてもらおうかな」

「……前言撤回、かな」

 シオンも含め、ラウスもレドも、ユスフも笑った。

「そろそろ行くよ。レド、もしもその宝珠が本当に竜王の涙なのだとしたら──」

 芦毛の馬にまたがったユスフが、真面目な視線をこちらへ寄越した。

「──君は、きっと逃れられない鎖に、因果に縛られているのかもしれない」

 それは、どういう──。

 質問する間も無く、ユスフは東へ目を向けた。

「メディ、行くよ」

 常足なみあしで歩き始めた芦毛のゾイルが尾を揺らし、大きなリュックを背負った不思議な行商人が雪景色へ溶けていく。

 吹き抜けた風が積もっていた雪を舞い上げて、それが吹き散らされる時にはユスフの背中は何処かへと霞み、消えていた。


×


 それから一日が経った。一月三十日の土曜日の夜、業を煮やしたアルトは苛立たしげに髪を掻きむしる。

「匿っているのか、くそ」

 村人の多くが「知らない」の一点張り。一部は森に隠れ家があると言っており、そこへ行ったがもぬけの殻だった。

「いっそ、焼いてしまったら?」

 リジュイがアルトにまとわりついて、耳元で囁く。美しい彼女は全裸で、真っ黒な髪をするりと梳いて唇を聖騎士の分厚い胸板に当て、首筋まで舐める。

「死人に口なしとは、便利な言葉ではありませんか」

 薄緑の目に、アルトのその目に暗い火が灯る。

 彼はリジュイを押し倒して豊満な乳房に顔を埋めた。薄紫の肌と尖った耳。ダークエルフの甘美な囁きは、厄介な職務をさっさと終わらせたい彼には魅力的に聞こえた。

「そうだな。焼いてしまえばいい。全部、炭と灰になってもらおうじゃないか」

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