Episode1 近くて懐かしい、黒翼の竜姫
Chapter1 雪風に背中を押されて
ACT1 侵入、いざ夜の教会へ
コルネルス暦八二四年 一月二十八日 木曜日 午後十一時三十七分
コルネルス連合王国東部 ドワレベス地方 カルドア領──
領の北東部に位置し、その東にはクルゼム領と接しているキルウィス森林にある小さな村。人口三〇〇ほどであり、農村として日々畑を耕す農夫や粉挽きの風車、水舎が回るありきたりな田舎。
レドは十日前に最愛の師を失い、見かねた教会の司祭がこうして教会から少し離れたところにある厩舎の隅にあった空いている納屋を貸し与えてくれたが、ひとりで考える時間を与えられたところで彼の傷ついた心が幾分かでも癒えるということはなかった。
川を流れ、漂着してきた孤児であるレドには身寄りがなく、美しい青い目から貴族かもと一時はもてはやされたが、いつまでも褒美を携えた者が現れず、次第にレドを助けようとする手は減っていった。幼いながらに食うため窃盗を働いたレドは、老いた者をターゲットにするという狡猾さを小さいながらに兼ね備えていたが、相手を見る慧眼はなかった。余所者と思しき相手が、実は引退した腕利きの冒険者で、ここに移住する者だと知って後悔した。簡単に制圧されたレドはきっと、司祭だって真面目な裁判などしないだろうと諦めたのだ。はりつけられて飢え死にか、焼かれるかを覚悟した。首を落とされたり、吊るされる楽な処刑ではないことくらいわかっていた。
けれどその老爺は「小僧、一人なら俺のところへ来い」と、周りの農夫に組み伏せられたレドに言ったのだ。「俺の名はラヴィオ。お前に、俺が昔使役していた使い魔の名をくれてやる。……レド、だ。いいな。ほら、若い男が寄ってたかって、そんなガキにムキになるな。どうする、レド」
ついていけば、何か変わる。そう思えた。それこそ、本当の親に会えるかもしれないと思ったのだ。
四歳の頃から始まった、スパルタな修行。何度も何度も殴られて蹴られた。骨が折れることも、それこそ内臓の位置が変わるのでは、という修行まで行ったのだ。そうして十年ほど。今年で十四になる今まで、ラヴィオと共に過ごした。鍛え上げられた肉体は、若者というには随分立派だった。もう、ちょっとした喧嘩では負けない。モンスターだって倒せる。
けれど、心の脆さばかりは……。
いや、くだらないことを考えたって仕方ない。ラヴィオはもういない。墓跡の下で眠っている。
今晩は酷く冷え込んでいた。鎧戸ががたがたなっていて、泥と藁で固めた隙間からわずかに冷たい風が吹き込んでくる。それでも使われていないような納屋とはいえ、最低限雨風──降っているのは雨ではなく雪だが──凌げるだけありがたい。
ラヴィオがくれた
石でも飛んできたのかと、レドは億劫げに起き上がって覗き窓のサッシをスライドする。
そこにいたのは銀髪の人虎族の少年だった。
「なんだよラウス」
「教会がおもしれーことになってんだよ。見に行こうぜ、レド」
幼馴染で、悪友。彼も孤児である。ある理由でここへ来て、幼い頃は教会で面倒を見てもらっていた。現在は盗賊を名乗り、悪徳な人物から金品を巻き上げるという……まあ、相手がどうあれそういったことをするやつだ。悪ガキでは済まされないことだが、今の時代盗む盗まれるは当たり前。もっとも、捕まって罰せられれば、最悪首が飛ぶ。
薄々の理由を察していた。前々から彼は、そのことを話していたから。
「一人で行けばいいだろ。俺を巻き込むな」
「しってかたる……じゃねえや、えっと、勝手知ったるってもんだろ? ほら、開けろって。寒いんだよ」
「外も中も変わんねえよ」
泣く泣く、ため息混じりにかんぬきを外す。
悪友のラウスが入ってきた。ウェアタイガーで、白虎と言える毛髪と耳、尻尾。野生的な顔だちに、悪巧みが浮かんでいる。憎めない盗人というか、突き放すのに苦労するようなやつだ。彼は自前で持ってきたランタンに火をつけて、それを床に置く。狭い納屋がぼんやりと照らされた。
「で、なんだよ。面白いことって」
「聖騎士がいるんだとよ、教会に。夕方仕入れたネタだ。酒場に忍び込んだら、その話題で持ちきりなんだよ。知ってるか?」
「聖騎士? 星十字島から出向してきたのか?」
「どこから来たのかは知らねえよ。でっかい街かもしれねえ。たまたま巡礼中に泊まりに来たのかもだけどよ。知ってるか、あいつらの装備。ミスリルだぞ。指輪ひとつでもすげぇ稼ぎになるぞ。セコい盗みなんて飽きてたし」
そういうことか、とレドはため息をつく。でも、それだけでないことは確かだ。彼の黄色い目が、そう言っている。レドの青い目が彼を射抜き、ラウスはじっとこちらを見つめた。
「とばっちりで俺の首まで飛んだらたまったもんじゃない」
「度胸試しだろ。なあ、どうだよ。ちょっとスってみねえか?」
「断るって選択肢は?」
「あるわけねえだろ」
「なら質問なんてするなこの馬鹿虎。はぁもう、日に日に悪徳が積み上がっていく」
レドはまたしてもため息。それから寝巻きを脱いだ。
「相変わらずキレーな体だな。傷だらけだけど」
「お前そっちの趣味でもあんのか。オカマ掘る趣味があんのか」
「盗みのためなら、なんだってするさ。掘られる覚悟もあるさ」
「なんてやつだ」
まさか今、自分は貞操の危機なのかと思いながら革鎧を着込んで黒いコートに袖を通す。両手には
「そうこねえとな。自分の飯は自分で稼がねえと。……ん」
悪友の目が、レドが首から提げている青い宝珠のネックレスに向けられた。
「これだけはやらねーぞ」
「ダチからは流石に盗まねえよ。……でも、そんな高そうなもん誰から奪ったんだ」
「師匠がくれた。肩身だよ」
「あー、その……今のなし。なんでもない。あと、そういうの服の中入れとけ。盗人からの防犯アドバイスだ。行こうぜ」
なんだかんだで気遣いができる。もっとも彼が仕事だと言い張ってやっていることは立派な窃盗で、犯罪だが。けれど同時にどこの誰が誰と寝ていたのか、だとかという情報まで盗むので、なかにはこっそり接触してその情報やらを買う者もいた。彼はそうやって食糧や酒を手に入れて、十六歳の今を暮らしている。
納屋を出ると、風が全身を打つ。コートのフードをかぶった。ラウスも隠密性の高い革鎧に、コートという出立ち。腰には短剣が二振。教会までせいぜい五〇メートル程度だが、風で舞い上がる雪が吹雪いて、そのホワイトアウトする視界では数メートル先がどうなっているのかもわからなかった。おまけに真夜中なので、なおさらである。
「あそこだろ」
ぼんやりと見える光。多分、篝火だ。
「真正面から行けるわけないだろ。聖騎士がいるんなら、見張りだっている」
「わかってる。俺が使ってる抜け道があんだよ。こっちだ」
ラウスが教会の周りを歩いて、裏庭へ。そこにある、巻藁を仕舞い込んでいる小屋に入った。それから床の一枚を外して、指をさす。
「ほら」
「いつの間にこんなの……」
「地道に掘り進んだ。行くぞ」
板の下には穴があった。人一人通れるかどうかというくらいのもので、狭苦しいがなんとか潜っていけそうである。ラウスはするりとそこに入り込んで、振り返って言う。
「いいから来いって」
「あ、ああ」
なんて用意周到なと思うと同時に、彼はもともと教会育ちだ。これくらいの通路なんて、それこそ鼻垂れの頃から作っていたに違いない。
若い夫婦が幼いラウスを預けに来た晩、騎士がやってきた。司祭は夫婦に用事があるという騎士の話を鵜呑みにし、夫婦が眠っていた家を教えた。すると騎士は従者と共にその家を訪ね、夫婦を引きずり出して捕縛した。翌朝、罪状を書き連ねた書状を読み上げて、剣で首を落とした。夫婦は盗賊だったのだ。
子供のラウスに罪はない、と最期に夫婦は言って、それから村人の頼みで彼は見逃されたが……その過去を知ったラウスは、九つの頃から窃盗を始めた。理由は知らない。けれど、その目には遊びの色などなかった。初めこそ悪戯で済んでいたが、今ではもう村ではラウスは罪人に近い扱いだ。彼は森にある樹上の隠れ家で食事し、眠っている。彼は、両親の仇を討ちたいのだろうか。
「親友のお前にだから言うよ」
真っ暗な穴を進む中、ラウスはぽつりと言う。
「俺の親が隠れてた家を教えたの、司祭じゃねえんだと。リジュイってシスターらしい。そいつ、ダイアモンドの指輪を大事にしてる。親の形見だから」
「それを盗むってことか。それが復讐?」
「ああ。少なくとも俺は処刑にはならなかったからな」
冷たい声で言った。大事なものを奪われる苦痛は、彼がよく知っている。初めから「ない」レドとは違う。彼には「あった」ものなのだ。両親という概念が、彼らと過ごした日々が。そして、大好きな父と母の首が飛んだあの瞬間を、はっきりと覚えているのだ。
「てっきり、教会を焼くとかそれくらいしそうだと思ってた」
「しねえよ。……しねえさ、流石に」
ラウスが突き当たりの天井を少しずらした。そこから目を出して周囲を見る。
こっそりと抜け出して、ラウスはその部屋を見た。監獄だ。
見張りの衛兵が居眠りしている。罪人がいないので、見張りは一人。ラウスは鉄格子から腕を伸ばして、そいつの頸動脈を締め上げた。ぐぐっ、と力を込めて落とすと、腰から鍵束を盗んだ。
「いいぞ。来い。ほら」
彼の手を借りて地上へ。
「ラウス、あの藁と
「だな。お前藁な」
「くっせえぞこれ。……厩舎の使い回しかよ、クソ」
「ホンモンのクソが滲んでるんだろ。……最悪だ、このロールも臭え」
石畳の上にそれらを置く。今までバレなかったのは、そもそもこの村に罪を犯すほどの価値がないことや、田舎ゆえに即座に裁判という名目で罪状が読み上げられて、すぐに縛り首か打ち首が執行されるからだ。そもそもそれさえもなく私刑というのが田舎では普通だし、都会でもままあることだ。
鍵の一つで牢を開ける。ご丁寧にしっかりと施錠し、ラウスは足音を殺して進む。レドも師から学んだ歩法で歩行音を消してあとを追った。
「静かだな。……まあ、聖職者だし寝てるわな」
「司祭が女囲ってるってのは。シスターとヤりまくりで、孤児の何割かは実の子、って聞くが」
「ハッ。腰振るのに夢中なやつ相手ほど、盗みやすいことはねえ」
見張りの一人。若い男だ。見ない顔である。
「……神官? 聖騎士のお供か……?」
こちらに背を向ける青年。ラウスは瞬時に背後から迫って、首と脇に腕を回して拘束。足を絡めて静かに転倒させ、レドが拳を突きつけた。
「大声を出せば首をへし折る。質問に答えろ」
「き、君たち……は」
「返答はイエスかノーかだ。……聖騎士がこんな田舎で何してる? アーティファクト探しか?」
「わ、わからない。恐らくは、ノー」
「末端には知らされてないってことか」
「イエス、イエス……」
ラウスは目を細める。
「リジュイってシスターはどこだ。好きに答えろ」
「せ、聖騎士様が、借りられた部屋でお世話を……く、詳しくは……知らない」
「そうか。安心しろ、殺さねえよ」
ぐぅ、と締める。青年はバタついて、すぐに気絶した。ラウスは彼を担ぎ、そばの木箱の向こうに寝かせて首から下に藁をかぶせた。暗いから見つからないし、凍死も……多分、しない。
「見ろ、ミスリルの指輪だ。二つもある。ほらよ」
投げ渡された指輪を掴んだ。
「お高そうだな。……村じゃ売れねえだろ」
「この仕事が済んだら、俺は出て行く。お前、ついてこないか?」
ラウスがそう問うた。
「親御さんを探すっつってたろ、お前。まあ、無理強いはしねえけど」
その話は、……魅力的だった。
師匠のラヴィオが死んで、そして彼はこの青い宝珠を渡した時、こう言ったのだ。
──『青い宝珠。俺はそれを調べてきたが、何もわからなかった。けれど、何かの運命のようなものを感じる。それをお前に託すために、ここへ来たのではないのかという。その謎を解き明かせば、お前のルーツに迫れるかも知れない』と。
「前向きに検討しとく」
口を噤んで階段を上る。聖堂のステンドグラスと説教台。誰もいない。ラウスは疑問を抱く。聖騎士がいる割に、なぜ……。
と、呻き声。
レドは声がした説教台の裏へそそくさと向かう。
「司祭、様……?」
紺色の司祭服を着た、五十半ばの司祭は腹を押さえ、血をこぼしていた。手には淡い白っぽい光。法術による治療をしているが、間に合っていない。ラウスは周囲を警戒していた。
「おい、何があった司祭様。強盗か?」
「お前、たちは……今際の際に、悪ガキに説教、するのか……。年寄りの、役目を……果たさねば、なるまいよ」
「黙ってろ」
レドは彼の衣類を歯で引きちぎった。紐状のそれで患部を縛って、ぎゅっと締め上げて止血する。
「なぜ、助ける」
「余生が終わった後、ラヴィオのジジイに聞け」
「ラウス、お前は、いいのか?」
「あんたに悪気があったんじゃねえだろ。……んで何があった、司祭様よ」
司祭は迷った末、けれどすぐに言った。
「やつらは、聖騎士などではないのだ。そうでは、なかった」
「神官どもはミスリルの指輪持ってたぞ。ありゃ、聖騎士のお供の証じゃねえのか」
「神官は本物だ。だが、聖騎士は違う」
司祭が大きく呼吸する。レドは察していた。
下顎呼吸──もう、胸を動かすだけの力もない。
「すまな、かった。……きみ、たちを……優しい、子を……。修羅に、してしまった……。わたし、の……罪、……だ」
「おい、司祭様。おい……!」
「ふざけやがって……クソ。あんたは一発殴らねえと、気が済まなかったってのに。……司祭様、……腹は立つし、割り切れねえけど。……それでも、世話になった。ありがとうな」
レドはやりきれない思いを抱え、それでも深呼吸して司祭の瞼を閉ざす。それから、ステンドグラスのすぐ下に横たえておいた。
聖騎士は、聖騎士ではない。
「逃げた方がいい、と俺は思う。ラウス、退くぞ」
「怖気付いたのかよ」
「悪いか。子供が首突っ込んで、どうなる」
「だったら、一人で──」
と、鉄靴の鋲の音。レンズで指向性を与えられた、魔導ランタンの青い光を向けられる。
「殺人犯を捕らえろ」
若い金髪の男がそう命じた。ハイエルフで、白い高貴な肌と眉目秀麗な顔立ち。線が細い優男だが、目が異様に鋭い眼光を放っていた。周りにいた種族も性別も違う神官がにじり寄って来る。
「待ってくれ、俺たちじゃない!」
「だいたいお前ら、聖騎士じゃねえんだろうが」
先頭の若い金髪がラウスを殴り飛ばす。
「ラウス! ──てめえ!」
挑みかかるも、複数人の神官に押し倒された。頭を掴まれて、石畳に叩きつけられて押し付けられ、腕を締め上げられる。
「牢にぶち込め」
金髪の男はそう言って、背を向けた。
そのマントには先端に三つずつ、そして中央に一つの穴が穿たれた、後光のような円を持つ十字架がデザインされていた。
……あいつが、聖騎士か。
レドは血が滲む口を、奥歯をごりっと噛んでその背中を睨んでいた。
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